6−30 さらばだ

「お忙しいところ失礼いたします、義兄上あにうえ

「リンか。入れ」


 義兄が在中している、騎士隊長執務室。幼い頃より見慣れた場所だというのに、その日はどこか余所余所しく目に映ったのをよく覚えている。


「ふむ、その真剣な顔。それにわざわざこの執務室を訪れるあたり、朝食を囲みながらではできぬ話だと察するが」


 部屋の主である美丈夫が羊皮紙から顔を上げ、若き騎士――リクスンを見る。大きな窓からこぼれる陽光が義兄カイザスの銀髪を滑り落ち、書類に占拠された机上を妖精のように舞い踊った。


「はい。本日はに、大事なお願いをしたく参りました」

「うん? 珍しいな、お前が頼みごととは。ははあ、さてはまた鎧の寸法が合わなくなったのだな。やれやれ、15の男というものはこんなにも縦に伸びる生き物だったか――」

「いいえ。鎧はまだなんとか使えます」


 机下の引き出しを掻き回していた騎士隊長の手がぴたりと止まる。身を起こした義兄をまっすぐに見据え、リクスンは告げた。


「俺を、フィールーン姫様の側付に推薦していただきたいのです」





「があああッ!!」


 熱い。身体の隅々――まだあまり長い付き合いではないツノや翼、尻尾の先までもが燃え上がるような熱を放っていた。空中に身体を留めるのが難しくなってきたのか、橙色の翼は忙しく空を掻いている。


 その動きを支配している憎き“同居人”が、リクスンの内部から苦々しげな声を響かせた。


(無謀なことを……! 自らの魔力を内側で爆ぜさせるなど、自害にも等しい行為ですよ。今すぐお止めなさい)


 熱した岩石のような鱗が、容赦なく生身部分の頬を焼く。その感覚に歯を食いしばっていたリクスンだったが、初めて耳にする敵の狼狽した声に自然と口角を持ち上げて答えた。


「放っておいても、すぐに潰える命だ……。一か八か、可能性に賭けてみるのも悪くない」

(清廉な騎士が博打とは。貴方の主君が嘆きますよ)

「俺が貴様に屈し、抵抗なく堕ちることのほうが……あの方はよほど、お嘆きになる。……っぐ、ぁッ!」


 ひときわ大きな痛みが走り、リクスンは仰け反った。翼の付け根付近に、ぬるりと液体が伝う感覚がある。


(ご覧なさい。今裂けたのは、身体の各部にある魔力の集中点です。それらの多くを損傷させると、魔術も魔法も二度と扱うことができなくなりますよ)

「構う、ものかっ……。俺には、剣がある」

(折角手に入れた火の魔力で掴み取るものが、己の灰と骨になっても良いのですか)

「はっ……どうした、オルヴァよ。ずいぶん、貴様に似合わぬ早口ではないか」

(!)


 そう指摘してやると、内部に住まう意識体は黙する。その間にリクスンは血と火傷に侵食されつつある顔を持ち上げ、同じく滞空している竜人を見た。


は順調みてェだな、騎士サマよ」

「楽しくはない、がな……。貴様の準備は、整ったのか」


 言葉を紡ぐ最中にも、身体を巡る魔力が着実に破滅を呼び寄せている。しかしセイルが言ったように、自身の魔力を最大限に高めておくことは内部の敵にとって歓迎できない事象であるらしい。オルヴァの冷たい魔力の勢いは弱まっている。


「俺はいつでも構わねえぜ? お前の気合が最大限になるのを待ってるだけだ。もしてめえの中の変態野郎がカラダ動かして逃げるってんなら、鬼ごっこにも付き合ってやる」

「それはない、だろう……。もはやこの身体で空を駆っても、貴様からは逃げきれん、からな。そうだろう、我が半端竜人よ」

(……。でしたら私も、大きな賭けに出るまでです)


 ぎしりと筋肉が軋む音を無視し、剣腕が勝手に構えの位置へと動く。鮮やかな橙だった鱗のいくつかはヒビ割れ色褪せており、激しい痛みをもたらしていた。リクスンはそれらを睨み、さらなる魔力を手へと送り込む。


「させる……かああッ!!」

(なっ――!)


 ごう、と恐ろしい音を上げ、真紅の炎が剣腕を食らう。腕を取り巻く鱗の一部がずるりと滑ったのが見えたと同時、文字通り骨まで焼き尽くすほどの炎の熱が身を斬り刻んだ。


「ああああッ!!」


 いくら身を支配していると言っても、得物を握る手が損傷していれば剣技を繰り出すどころではない。炎の中で痙攣した手がついに大剣を取り落とすのを見、ようやくリクスンは魔力を送るのを止めた。


「ハッ……はぁっ……!」


 炭化の一歩手前まで焼け進んだ腕を見下ろし、異形姿の青年は汗と共に荒い息を落とした。堅牢な鱗がなければ、皮膚はすべて溶け落ちていたかもしれない。


(馬鹿な! 自らの剣腕を灼くなどと――それでも騎士なのですか!?)

「そうだッ……それも、この場を生き残れたらの……話だ」


 大剣の輝きが遠くなり、吸い込まれるように赤土へ消えていく。特殊な宝剣だ、折れたりはしまいと思うものの、その柄をふたたび握る機会が巡ってくるかどうかはわからなかった。


「いいや。どのような姿に、なろうと……俺は騎士だ。あの日、そう……自分で決めた」





「お前を、フィルの側付に?」


 カイザスの驚いた顔を見つめ、リクスンは駆け上がってくる緊張を抑えつつ用意してきた言葉を紡ぐ。


「はい。義兄上が――隊長が、ラビエル陛下側付の任にお就きになっているのと同じように」


 ふむ、と義兄は形の良い顎をさすって呟く。しばらく考えた様子を見せたあと、侍女たちに“大海の瞳”と称される深い蒼をこちらに向けた。


「しかし今の姫は、書庫塔で軟禁されている身。そうなると、側付の仕事というのは、あー、こう言うのも何だが……おそらく暇なものになるぞ」

「承知しております」

「茶化しているのではない。お前が何よりも苦手としていることではないか。騎士隊の任で忙しくしているほうが、性に合っていると思うが」


 焼け落ちた村から義弟として引き取られて数年。さすがにこちらの性分は正確に把握されているらしい。しかし若き騎士は鎧に包まれた胸を張り、きっぱりと言った。


「おっしゃる通りです。それにいずれ貴方の後を継ぎ、騎士隊長を目指したいとの志も変わってはおりません」

「ならば――」

「しかし今は……今、俺が成さなくてはならないのは、恩人を孤独からお助けすることなのです」


 自分がこの義兄の言葉を遮って発言を押し通すのは珍しい。それでもここは是が非でも、こちらの決心を伝えたかった。


「あまり陽も射さぬ書庫塔で、あの厳しい大臣との勉学続き。さぞお心が疲弊しているはず。竜人の気質を刺激せぬよう、侍女の出入りもほとんどないと聞きました。そんな場所に恩人を独りにしておくことには、もう耐えられません」

「……。たしかに、幼少期から姫と付き合いのあるお前の申し出に、隊長わたしからの推薦状があれば、陛下は聞き届けてくださるかもしれぬが。しかしまた、隊内でよからぬ噂が立つのではないか?」

「……」


 ぎくり、と無意識に体が強張る。義兄はいつもの落ち着いた声で、リクスンが覚悟していたことを忠告した。


「お前が一途に精進する姿は、一部の者から見れば眩く映る。私の義弟という立場を、いまだ暗い見方でしか受け取れぬ者もいる始末だ」

「そのようなこと! 俺には」

「――関係ないのだろう?」

「!」


 この心配に対する意気込みも用意していたのだが、その思わぬ言葉にリクスンは一歩進み出そうとしていた足を止めた。上等な鎧の肩を器用にすくめ、カイザスが白い歯を見せて微笑む。


「分かっているとも。もう何年、お前の兄をやっていると思っている?」

「あ、義兄上……!」

「すまんな。隊長として、少し意地悪を仕掛けてみたかったのだ。よく動く優秀な騎士を失うのは、実に惜しいのでな」


 了承してくれたのだと認識しても、リクスンは礼を言うのも忘れてその場に立ち尽くしていた。影が浮き出たかのようにいつの間にか姿を現していた義兄の右腕クリュウが、そんな騎士にぼそりと告げる。


「貴方様がおらずとも、隊の堅牢さは変わりませぬ。自分が居りますから」

「クリュウ殿……」

「どうか身体が鈍る前に、お呼び下さい。手合わせなら付き合いましょう」


 親愛が込められたふたつの眼差しに見守られ、リクスンは背を伸ばした。


「ありがとうございますッ! 己が定めた任務、しかと果たしてまいります!!」

「はっはっは。まだ着任してもないというのに、気の早い義弟だ」





 熱い。文字通り身体が燃えている。全身が炎に包まれていてもおかしくないほどの熱。だというのに形状を保っていられるのは火の魔力を身につけたからか、異形たるこの竜人姿のおかげか。


(なんという炎の勢い……!)

「これしきの、炎……。“あの時”に感じた熱さの、足元にも……及ばんッ!」


 脇腹に張り付いていた鱗が裂け、鮮血が伝う。その太い一筋すら熱によって舞い上がったかと思うと、空気に解けていくようにして消え去った。それでもリクスンは構わず、身体のあらゆる部分へ魔力を送り込む。


「!」


 引っ張られるようにして身体が動き、リクスンは焼け焦げた剣腕と反対の腕を振りかぶった。体重を乗せるようにして繰り出した拳が狙う先はもちろん蒼き竜人だ。


「ッ!」


 岩を殴ったような重い手応え。思わず呻いたのは相手――セイルも同じだった。彼は大戦斧を片手で持ち、反対の腕を顔の前に掲げて防御している。


「熱ィな。風呂が沸きそうだ」


 蒼い鱗に覆われた腕の向こうで、異形の顔がニィと不敵に笑む。拳を打ち込んだまま、リクスンも小さく笑った。


「謝らんぞ」

「わーってるよ。むしろ飛び込んできてくれりゃ、都合が良いってもんだ」


 仲間がそう言った瞬間、リクスンの――いや、竜人の肌にびりびりとした緊張が走った。自然と視線を吸い寄せたのは、彼の大戦斧クレアシオ。脈動するように赤く輝くその得物を見、慄いたのは自分ではない。


(本当に斬ろうというのですか、仲間もろとも)

「仲間だからだ……。貴様には、分からんだろうがな」

(くっ!)


 傷ついた手足が最後の猛攻へと動く。仲間はその一挙一動を防ぎ、あるいは受け止めてくれたが、その表情は崩れなかった。


「何だよ。別れの挨拶にしちゃ可愛いじゃねえか。クサレ変態野郎」

(私は……!)

「覚悟しろや。俺はどこぞの姫さんほど優しくはねェぞ」


 ドッと重い蹴りが胸に打ち込まれ、リクスンは後方へと体勢を崩した。回る視界の中で、見えぬはずの太陽が輝く。それは血よりも赤い、紅。


「行くぜ、騎士! 生きる気があんなら今、証明してみせやがれ!!」


 頭上に迫るその赤い煌めきを霞む目で睨み、リクスンは吠えた。


「上等だ! 来いッ!!」

(止め――!)


 刹那青年の身体を揺さぶったのは、たしかに斬られたことによる衝撃だった。自分よりもわずかに大柄な蒼き竜人は、その後も容赦なくその刃をリクスンの胸板に突き立てていく。


「おらああッ!!」


 咆哮と共にさらにずぶりと刃が沈む。その光景は鮮烈だったが、リクスンの身体から噴き出したのは血柱ではなかった。斬られているのは肉ではない。むしろ何かが気がした。


 まるで故郷の村の山々を蛇行して流れる――清らかな、川のような。


(ああああッ――!!)


 その苦悶の声が自分の口ではなく体内から響いてくるものだと知り、リクスンは残りの魔力をすべて燃やしはじめる。


「その場所は……さぞ熱かろう、使用人よ……。だがそれが、今の俺に宿った……本当の、熱だ……!」

(貴方が……火に、打ち勝とう、などと……!)

「いいや……俺はもう、無力だった少年ではない。今はゴブリュード王国第一王女……フィールーン・シェラハ・ゴブリュード様が側付騎士――リクスン・ライトグレンだ! この使命、誰にも邪魔はさせんッ!!」


 曇天を焦がすほどの熱が身体を覆い尽くす。熱い。しかしその熱の中を、ひとつの光が翔けていくのが分かる。


 自分はその光を追いかければいいのだ――何も恐れずに。


「さらばだ、穢れた同居人よ。俺は、俺の居るべき場所へと帰る」



 紅い閃光が炸裂する。分厚い雲の海を伝い、その光は連なった火山の峰を照らし出した。


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