6−23 知りませんよ
「その運命の日は、大規模な魔術実験が予定されていた夜でした」
オルヴァ――魔術大国ケーラのかつての元首はそう呟き、うっとりとした様子で語る。フィールーンは一度身を乗り出そうとしたが、すぐそばで師が小さく首を振った。
「追跡の手も足りない貧しい国や、森に住むはぐれのエルフたち――それから旅の人間たち。それら有象無象の“実験体”が、私がいる研究塔前の広場に集められていました」
「お前……ッ!」
「珍しい光景ではありませんでしたし、私にとっては退屈そのものでしたよ。それに新術で一度にどれほどの人数を屠れるかを証明するため、あの野心家の魔術師が垂れ流し始めた理論演説ときたら」
当時の退屈さを思い出しているのか、オルヴァは細い肩をすくめてみせた。フィールーンは鱗が浮いた手で拳を作りつつも耐え、反吐が出そうな話の先を待つ。
「実験体たちの自我はとうに制御されていましたから、広場は静かなものでした。そして魔術師が呪文を唱え、彼らの命を刈り取ろうとした瞬間――“あの御方”が現れたのです」
「!」
その言葉に、フィールーンは目を見開く。ちらとアーガントリウスを見遣れば、彼も真剣な顔をして敵の語りを待っているのが分かった。師のねらいを理解した竜人王女は、上空でぶつかりあう仲間たちを気にしつつも口を結ぶ。
「広場――いえ、国のすべてが灰と化すのに時間はかかりませんでした。突如として砕け散った魔術防壁を見上げた国民たちの半分は、“あの御方”――完璧なる竜人が放った初撃で吹き飛び、死亡」
「……」
「敵の侵入を悟った魔術師たちが呪文を唱え終わる前にその口は焼け爛れ、杖を握る腕は砂となりました。あれが魔法という力というならば、創造神はなんという矛を世界に落としていったのだろう――そんなことを考えたのを覚えています。私が瞬きをふたつ落とす頃には、国民も実験体もすべてが等しく塵に還りました」
濁っていた敵の目が、強い輝きを帯びる。自国の破滅を、しかも国を統べるはずの立場であった者が浮かべるには、あまりにも毒々しい歓喜に満ちた光。
「そして崩れゆく塔の中へ……私がいる最上階へ、“あの御方”は舞い降りてきた。ただただ強く、美しかった。ヒトではどうあっても到達できない領域に君臨する存在なのだと私は瞬時に悟り、平伏した」
この場に舞台があったならば、彼は間違いなく当時を再現するために床に額を擦り付けていただろう。フィールーンがそんな想像をしてしまうほどに、目の前の敵はみずからの記憶に酔いしれていた。
その目がぐるりと回り、青ざめているフィールーンを捉える。
「どうして我が国を滅ぼしたのか――理由が気になるという顔ですね」
「あ、当たり前だろう! いきなりやってきて、そいつは囚われていた人々ごと吹き飛ばしたんだ。救出目的じゃなかったのなら、なぜ」
「知りませんよ」
「何!?」
そこに愉悦の表情はない。さんざんこちらを弄んできたこの敵だが、不思議とその言葉に嘘はないと感じてしまうほどに簡潔な答えだった。乾いた表情をしているオルヴァは、失望したように頭を振る。
「知る意味も権利もないのです。“あの御方”がそうなさった。ただそれだけです」
「なっ……! 自分の国が滅ぼされたんだぞ!? 民が皆殺しにされて、どうして」
「“あの御方”にとって大地に境などありません。それは我々ヒトが勝手に設けた、赤子が手慰みに作る砂山のごとき無意味なもの。そんなものは、一夜の雨で簡単にカタチを失う」
「お前っ、国を……命を、なんだと思っているッ!」
「フィル!」
つま先から駆け上がってきた熱が、炎の矢となってフィールーンの手から放たれる。しかし集中して練らなかった魔力は半端なものだったらしく、敵は鞭のひと振りを持ってして攻撃を容易に打ち消した。
「命、ですか。あらゆる生物を隅々まで開いてみましたけれど、そんな器官は見当たりませんでしたよ?」
「どこまでもふざけたコトを」
「大真面目ですよ。命だとか、心だとか――そんな不確かなものよりも確実に存在しているものに注力したほうが、よほど有意義ではありませんか」
「答えは分かりきってるケドさ、一応訊いといてあげるよ。お前が言う、その有意義なモノって何?」
沸騰しそうな怒りを抱える自分にかわり問うたのは師だ。その口調も心底から嫌そうだったが、問いを向けられた敵はよくぞ訊いてくれたとばかりに大きさの異なる両腕を広げた。
「もちろん、力――この世のすべてを従えるに相応しい、圧倒的な“力”です!」
ほらね、と知恵竜が小声で捨て吐く。それを聞いてか聞かずか、オルヴァは興奮した声で捲し立てた。
「竜人という伝説の存在を目前にし、私は“あの御方”の足元にすがった。自分では何の役にも立たないことはわかっていました。それでも可能なら、お側に仕え……かの御方が至上の力をもって、この世を更地にしていく瞬間を見たいと願ったのです」
めまいがするようだった。フィールーンは信じられない想いで目の前の敵を見つめた。
「お前はその場で、何もしなかったのか? 自国を滅ぼした相手を目前にして」
「しましたとも。私はケーラが培ってきた知識をすべて“あの御方”に献上し、役立てると誓いました。必要であればこの身を、日々の退屈しのぎに削ってもらっても構わないとまで進言した――その結果」
「……血を与えられた」
暗い声で結論を先回りしたのはアーガントリウスだった。同じ現象――彼の場合は決して望んだものではなかったが――を味わったことがある者だけが出せる苦い声を聞き、フィールーンの鱗の奥に痛みが走る。
対して敵は、これ以上の名誉はないといった輝きを顔に浮かべ言った。
「ええ、そうです! なんと慈悲深い御方でしょう。そして私も、身を裂くような変化の痛みに耐え、竜人の血に“選ばれた”。まさしくこの御方の手足となるために、私という存在があったのだと……それまでの空虚な生に、はじめて意味がもたらされたのだと感じました」
異形の爪のひとつに口づけを落とし、主人を得た“従者”はほうと息をつく。嫌そうに目を細めた知恵竜が、フィールーンの肩を掴んだまま訊いた。
「それで、お前はその“御方”が満足するような働きができたわけ」
「耳が痛いお言葉です。お恥ずかしいことですが、私などまだまだ半端者。ですからこうして、力ある“素材”集めに奔走しているのですよ」
「……!」
なるべく表情に出さないよう努めたが、その言葉はフィールーンの記憶の一場面を呼び起こした。自分にとっては運命の分かれ道となった、あの夜――不思議な木こり青年に助けられる直前のことだ。
“オマエ、食べる。もっと、ツヨく、なれる!”
「城であたしを襲ってきた半端竜人も、他者を食らおうとしていた。あれは錯乱ゆえの行動ではなく、自身の強化を目的としていたのか!?」
「へえ。これは新情報じゃない、フィル。ヤツらの素敵な生態が明らかになって、俺っち嬉しいわあ」
乾いた声で所感を述べる師を見、竜人王女は慌てて言い返した。
「あ、あたしも、多分セイルも、先生やみんなを食おうと思ったことなんてないぞ! 先生なんて竜姿になっても細くて、肉が少ないし――」
「うん、具体的に想定しなくていいから。でもその感覚が確かなら、もう少し条件が絞り込める」
「条件?」
あまり言いたくはないという表情だったが、アーガントリウスはいつもの修練のように丁寧に答えを授けてくれた。
「力の強化を求めてとはいえ、正気であれば“同族食い”なんてしない。それを実行するのは、かなり下位の半端竜人ってコト。そもそも奴らの身体は、竜人の魔力消費に長くは耐えられない。少しでも延命したいという本能なのかもね」
「な、なるほど……。ではこの変態使用人は、やはり上位の力を持っていると」
こちらの推論を楽しむかのように滞空したままのオルヴァをちらと見たあと、大魔法使いはふたたびフィールーンに紫色の瞳を向けた。
「竜人がどれほど存在するかはわからないけど……中位、くらいかねえ。実際、アイツはなるべく竜人化を避けようとしてる。それは下位の者とは違う賢い行動だけど、自身の力を強化するために俺っちたちを捕らえようとしているのは確かだから」
「そうか。この力を持ってして奴が中位の竜人であるというのは恐ろしいが――なんだか、やってやれないこともないって気がしてきたぞ!」
ぐっと拳を握って宣言したフィールーンに師は一度目を丸くし、そして小さく吹き出して言った。
「いいねえ、その誰かさんを彷彿とさせる前向きさ! 逆に言えば、そんな欲に駆られない君やセイちゃんの竜人化はやはり、かなり優れたものだということ。自信を持って爪を振るうといい」
「任せてくれ、先生! 今度こそ、大魔法使いの弟子の肩書きに恥じない戦いをしてみせる」
「ちょっとそれ、もうある程度戦ってみたってコト? えー、俺っち見てないんだけど。“大雑把に記憶する鏡”で録っておきたかったなぁ、弟子の戦い」
「うふふ。知恵がある者たちの会話は楽しいですね」
穏やかな口調に反し、敵の手が素早くしなる。ぴし、と空にするどい音を響かせ、鞭が大蛇のようにうねった。
「下位の竜人たちのように、手当たり次第に肉を食らうような品のないことは致しません。私が求めるのは、優秀な“力”を持つ強き存在のみ――そして幸運なことに今、この鞭の届く位置にその“
「言ってくれるな。お前の事情は全部訊いた……つまり、ここからは待った無しだ」
魔法使いにあらぬ形相で牙を剥き、竜人王女は爪を有する手をゴキリと鳴らして唸った。
「あたしたちを簡単に皿上に並べられると思うなよ」
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