6−22 懐かしい名です
「全属の魔法使いを2人も相手にできるとは。私は幸せ者ですね」
「余裕じゃないの。竜人になって、ちょっと気も大きくなってんじゃない?」
黒煙噴き上げる火山を背景に、2人の魔法使いとひとりの魔術師が睨み合っていた。上空では紺碧と橙の異形姿がぶつかりあっていたが、その得物が奏でる金属音もこの地上までは届かない。
「うふふ、まさか。名高い大魔法使いとそのお弟子さんを相手取るという今、全力を尽くさぬほうが無礼というもの。こちらをお目にかけましょう」
相変わらずの涼しげな声に、竜人フィールーンは乳白色の鱗が浮いた鼻にシワを寄せた。オルヴァがヒトの手で細い腰の後ろから取り出したのは、黒々とした太い鞭である。
「ケーラが編み出した魔術は変幻自在で、杖などという単純な道具に扱い切れるものではありませんでした。これはそんな魔術を御し、かつその力を出し切るために開発された鞭です。まあ私だけしか扱えなかったが故に、流通は叶いませんでしたが」
地に垂れた黒い蔓のような得物を見た師アーガントリウスが、端正な顔を思い切りしかめて舌を出す。
「うぇー。それ、見世物小屋でかわいそうな獅子を痛ぶる時の道具でしょ。あーヤダヤダ、どこまでもシュミが悪いヤツだわ」
「ふむ、その例えはそそりますね。さすがでございます」
歪んだ賞賛を送る敵に牙を剥き、フィールーンは吠えた。
「フン、そんな細いヒモで何ができる! 正々堂々、魔術で戦え」
「さてそれはどうでしょう。ご覧になりますか?」
楽しそうに言うと同時、元使用人の手がしなる。小さな動きに見えたそれだが、彼の手が握る得物の先端はまるで蛇のように乾いた大地を打った。その細い“紐”がまとうのは、凶悪としか呼べない風の棘だ。
「!」
竜人姫の金色の瞳は大きく見開かれたが、手は的確に動いた。瞬時に展開した風の防壁が、抉られて飛んできた岩石をふたたび地面へと送り返す。
「おー、いいね。お見事」
背後にいる師匠が嬉しげに口笛を鳴らしたのを聞きつけると、思わず白い尻尾が弾んだ。
「ま、まあ……ただのヒモじゃないことは認めてやる。さすがケーラの遺物だ」
「恐縮でございます」
「そんなに畏まるコトないんじゃないの? どちらも等しく、国を統べる一族なんだからさ」
気楽に差し込まれた知恵竜のひとことに、半端竜人は薄笑いを引っ込めた。フィールーンは驚かなかったが、やはりという顔で師匠を見遣る。
「そろそろちゃんと名乗ったらどうよ。魔術大国ケーラ・ルウ――その最後の元首、オルヴァード・アミシュエン・ケーラ」
「懐かしい名です。その名は今では熱心なケーラ魔術研究者しか知らないほど、世間から抹消されたはずですから」
「お前たちの国で開発された、その鞭みたいなくだらない玩具。そゆのに苦しめられてきた子を知ってるってだけ。覚えたくもなかったよ、そんな名前」
罵られようと、能面のような顔には何の感慨も浮かんではいない。フィールーンは胸元に手を掲げたまま、油断なく相手の言葉を待った。
「では貴方はご覧になったのではありませんか。ケーラの最期を」
「あー、えっと、いつのことだっけ? どっかの国が一夜で滅んだってのは聞いた気がすんだけど……その時の俺っちって、破天荒なふたりの弟子の世話で忙しくしてたのよね」
「そうですか。しかし嬉しいです。貴方がたであれば、我が国が滅ぶに至った詳細をお伝えする価値もあるというもの」
血色の悪い舌で唇を湿らせているオルヴァを見、ついに竜人王女が身を乗り出して言った。
「うるさいぞ! ふたたび貴様の話術に嵌るつもりはない。リンにかけた支配を解けッ!」
「まあまあ王女様、そうお熱くならずとも。それに今からお話するのは、貴女が大好きな歴史のお話ですよ。いつもそこの師匠と、楽しく話していたでしょう?」
「そうやって、アタシたちの旅を覗き見ていたのか……不快だ! 今すぐ消しとばしてやる」
振りかざした手に水の魔力を込め、フィールーンは身体をひねった。放たれた水球はすぐさま槍の形を成し、憎き敵へと一直線に襲いかかる。しかしこの程度の攻撃なら、あの魔術師ならば弾くだろう――そう思い第二射を用意しようとした王女の耳に、魔法が肉を抉る生々しい音が飛び込んできた。
「な……!?」
水の槍は見事に敵の肩を貫通していた。相手がまったく回避行動をとらなかったことに気づいた王女は、牙を備えた口をぽかんと開ける。
「うふふ。狙うなら頭ですよ、王女さま」
血が噴き出す穴を異形の手で覆い、オルヴァは愛想良い声で続けた。
「竜人は丈夫なんですから。それとも、このようなことをされてもまだ命を奪う覚悟は決まらないと?」
「く……あたしを試したのか!?」
「貴女みたいな善人が頂点に立てば、いったいどんな国が出来上がるのでしょうね。きっと秩序のない、おそろしく曖昧な正義を掲げる国になるに違いない」
「なんだと!」
頬がカッと熱くなり、フィールーンは拳を握った。自分のことだけならともかく、今のは間違いなくゴブリュード国への侮辱である。その怒りのままに頭上へと両手を突き上げ、陽炎を揺らめかせる巨大な火球を創り上げた。
「無礼なその舌ごと、焼き尽くしてやるッ!」
交差した手を振り下ろすと、魔法は火の粉を散らしながら空を疾った。オルヴァはその場から動かず、微笑と共にゆるりと鞭を振る。鞭が描いた弧に沿って宙に炎が走り、複雑な模様を成していった。
『“
「あっ!?」
相手が繰り出したのは、同じ属性の力を跳ね返す魔術だった。そのことに気づいたフィールーンは前方に手を掲げ、水の防護壁を創り出す。しかし竜人王女が放った火球がこちらへ牙を剥くことはなかった。
「そっちは――まさか!」
恐ろしい速度で遠ざかっていく火球――その先に控えているのは、火竜たちの集落だ。敵が悪意をもってそちらへ魔法を逸らしたのだと悟り、フィールーンは青ざめた。集中が解けて消え去った防護壁を見、オルヴァが楽しそうに口を開く。
「この見事な火球がどのくらいの破壊力を備えているのか、ご自身の目で確かめてはいかがです? 王女様」
「や、止めろッ!!」
慌てて手を伸ばして水の槍を放つが、追いつけない。自分が気持ちに任せて放った魔法が、罪のない火竜たちの集落を焼き尽くす――そんな場面を思い描き、フィールーンの顎が震えた。
「んなコト、弟子にさせるワケないでしょうが」
「!」
ジュッという音と共に、彼方にあった炎の球が消失する。太陽のように輝いていた魔法が消え去った場所に残っているのは、幾筋もの濃い水蒸気だ。急いで首を動かしたフィールーンの視界が、水の粒をまとった手をひらひらと振る人物を捉える。
「せ、先生……!」
「お喋りも良いけど集中ね、フィル。そいつの口車に乗らないこと」
「すまない。助かった」
相殺魔法を差し向けてくれたのは師、アーガントリウスだった。脱力して尻尾を垂れさせつつ、フィールーンは長い安堵の息を吐き出す。両手で頬を軽く打つと、キッと敵を見据えた。
「ふん、さすがは一国を率いていた魔術師だ。あたしの魔法を利用するとは」
「貴女こそ、今の尊大な態度のほうが君主らしくて素敵ですよ」
「う、うるさい! 大体、お前の言葉からは全然“心”というものを感じないぞ。たまには本心をしゃべってみたらどうなんだ、気持ち悪い」
「ココロ、ですか」
ヒトの手を細い顎に添え、元使用人は小首を傾げてみせる。フィールーンの目にはやはり、それはどうにも作り物のようにしか映らなかった。
「魔術を発動させるのに必要なのは適切な呪文と魔力、それから基本的な
「だから心は要らないっていうのか?」
「ええ、そうです」
作り物の顔に、途端に禍々しい笑みが浮かぶ。思わず竜人王女は粟立つ腕を抱き、身震いした。
「ケーラ・ルウの民として生まれた者なら皆、骨の髄――いえ、魂の底にまで刻み込まれる言葉があります」
「何だと」
「“
「ウェルヒャ……んぐっ!」
聞き覚えのない言語を復唱しようとしたフィールーンの口に、素早く褐色の手が伸びてくる。
「覚えなくていいの。こんな愚かな言葉で、君の記憶領域を侵しちゃいけない」
「おやまあ、ひどい言い草ですね。知恵竜様」
「繊細なこの子なら、口にするだけで精神に傷を負うような悪意ある言葉だ。まったく、油断も隙もないったら」
「ほう、ご存じでしたか。しかし少々、育成の方針が甘いのではありませんか? ケーラでなら有り得ない光景です。判断を誤った弟子を鞭で打たないなど」
「女の子は褒めて育てるタイプなの、俺っちは」
しばし無言で睨み合う師と敵を交互に見、フィールーンは色違いの目を瞬かせた。アーガントリウスの眼光は、今までに見たことがないほどの鋭さを帯びている。
ふと灰色の瞳を細め、敵は同じ色をした曇天を見上げて語り始めた。
「ケーラは、実に分かりやすい国でした。魔術の知識と扱いの巧みさが評価に直結し、実証した理論こそがその者の名声や富となる。結果を出せない者は、国の中央にそびえる研究塔から離れた貧民街に押し流されていく仕組みです」
「……」
ゆったりと語っているように見えるが、敵の周りには淀みなく魔力が渦巻いているのを感じる。フィールーンはもどかしさに眉を寄せたが、聞く姿勢をとっている師にならって大人しくしていた。
「さらなる力を欲し、新たな呪文を開発する。ヒトを使った被弾結果を添えた魔術研究の文書が毎日、山のように研究塔へと集まりました。私はその最上階で、選りすぐりの数枚を眺める役です」
「人体実験だと」
くだんの国に関する、恐ろしい歴史が頭をよぎる。城の書庫塔にさえ、ケーラ国のことが記された書物はほとんどなかった。実は今のフィールーンが持っている知識はすべて、竜の賢者夫妻の研究室から得た知識だ。禁書とされているその本を読んでいたことが知れた時は、こっぴどく叱られたものだが――。
「ほとんどが、ヒトを平伏させるために作られた術ですよ。ヒトで試さずに、どうして完成を謳えるのです?」
「貴様っ……!」
「フィル。言い合っても仕方ないってモンよ。これがケーラ人なんだから」
外道な言葉を平然と口にするオルヴァを思い切り睨み、フィールーンはツノ頭をふいと背けて言い放った。
「……どうして、滅んだんだ。ケーラは」
「興味がなかったのでは?」
「お前が最後の元首だと聞いて、気が変わった」
それは本心だった。今までは盲目的に書物を信じてきた自分だが、やはり実際の世界は広い。バネディットのような闇がそこかしこに潜んでいるのが現実なのだ。歴史が書き換えられていたとしても不思議ではない――だとしたら。
「あたしは、正しい歴史が知りたいんだ。今の世界を生きる、ひとつの命として」
「……」
どく、と身体の奥で脈打つものを感じ、フィールーンは知らずと口角を持ち上げた。きっと知識を追い求める者であった“白き友”も、同じことを言うに違いないだろう。
灰色の尻尾を一度ゆらりと振り、かつての魔術大国元首は静かに言った。
「ケーラは、周りの国々による総攻撃によって滅びたのではありません。それは我らの破滅を知った国々が結託し、自国の歴史書を彩るために歪曲したものに過ぎない」
「!」
「彼らには理解できなかったのでしょう。手の出しようがないほどに強固な魔術防壁を粉々に破壊し、さらに優れた魔術師をひとりたりとも逃さずに殺し尽くすほどの力を持つ存在がいるなどという――信じがたくも、唯一の“真実”を」
「……まさか!」
紫の瞳を見開いた師の横顔に浮かんだ驚愕が、フィールーンにまで伝播してくる。ぞわ、と鱗に覆われた肌が騒いだ。
「ああ、今でもあの日のことは忘れられません」
空虚だった瞳に、狂気に満ちた光が宿る。オルヴァは愛おしそうに異形の腕に指を這わせ、陶酔した声で告げた。
「我が国は……偉大なるケーラ・ルウは、たったひとりの“竜人”の手にかかり、その終焉を迎えたのですよ」
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