6−9 どいつもこいつも
そこからしばらく自分がどうしていたのか、リクスン少年の記憶にはない。逃げだす好機でもあったはずなのに、どうやらその場に立ち尽くしていただけのようだ。我に返ったのは、全身を炙るかのような炎の熱が冷たさに変わっていると気づいた時だった。
「雨……」
遅すぎる雨が降っていた。曇天の空から涙のようにこぼれる水がようやく、村を蹂躙する炎を鎮めてまわっている。天が哀れみを寄越してくれたのだろうかとぼんやりと考えていた少年の背後で、ぬかるんだ道を歩いてくる大きな足音が聞こえた。
「恵みの雨だ、丁度よかったぜ。ちっと火が回りすぎちまったからな」
山賊の頭だと気付いた時には、彼の手下たちによってふたたび左右から拘束されていた。無理矢理回された視界の中央に、太い腕を組んだ大柄な男が映る。
「元気がねェじゃねえか。状況は見えたみてえだな、ガキ?」
「……なんで、だ」
「あ?」
リクスンの声は小さかったが、雨音に負けるほどではない。大仰に首をかしげる頭は、下卑た顔でこちらへ耳を突き出している。怒りを沸き立たせる気力さえ失った少年は、彼を知る者からすれば信じられないほどの無機質な声で問いを繰り返した。
「なんで、こんなことを」
「おおう。当然のギモンってやつだなァ。いいぜ、優しいお頭さまがまた教えてやる」
解答者の背後では、手下たちがまだ忙しく家捜しを続けている。火の手から逃れた家財や食糧が、献上品のように彼の背後へと積まれていくところだった。虫唾が走る光景だが、リクスンに彼らを止める手段はない。
「俺たちゃなにも最初っから、こんなことをするつもりは無かったんだぜ? お前ェの親切な『案内』でこの村に辿りついたあと、まずは村長の元を訪れた」
「父上……」
「そう、お前の親父。そんで教養ある俺様は、礼儀正しく尋ねたのよ――“この村にあるすべての食糧と薬をください”ってな」
「!」
リクスンが目を見開くと同時に、左右から下品な笑い声が上がる。
「さっすがお頭! 丁寧な物言いができる御方だぜ」
「だろ。でもな、あの頑固親父――お前ェさんとそっくりのしかめっ面だったなァ――は、冷たくこう返してきやがったんだ。“それはできない”とな」
「うへえ、ひでェもんだ! 人間の言うことだとは思えねえぜ」
少年の腕を掴んでいる手下たちが、揃って頭を振る。それらを見上げたリクスンはふと、彼らに共通する“違和感”に気付いた。
「その、斑点……」
「見つけたか? そう、俺たちゃ哀れな病人なのよ」
手下の粗末な着物から伸びる腕には、紫色の斑点がびっしりと浮かんでいた。よく観察すれば、お頭を含めたどの顔にも同じものが見受けられる。
「もっと東のほうから流行り出してる病だ。まだここいらや王都へは広まっちゃいねえようだがな。だから食い物よりも正直、薬を探してる」
「ちゃあんと腹も減ってますぜ、頭。着るものも足りねえ」
「もちろん金もだ」
遠慮なく声を重ねてきた手下たちに肩をすくめて見せ、彼らの頭はごわついた髪を揺すって答えた。
「ま、そういうこった。なのにお前の親父は“王都へ早馬を走らせ病のことを伝えるから、村の外で待っていてほしい”なんて言いやがった。ひでえだろ?」
「だからって――!」
「その先を簡単に言うんじゃねェぞ、ガキ」
何かが光ったと思った瞬間には、リクスンの目前に分厚い刃の輝きが迫っていた。すでに赤黒い液体をまとったその凶器に、少年は言葉を飲み込む。
「壮絶な渇きと飢えに、カラダの内側を這い回るような病の疼き――加えて、何日も山道を歩き通しときてる。俺たちの苦しみがわかるか?」
「……っ」
「道中で何人も死んだ。もう数日と待ってはいられねえんだよ」
だからといって、見つけた村からすべてを奪うのはやはり間違っている。その言葉がしっかりと頭にあるのに、少年は口を開いたまま固まっていた。かわりに、静まりかえった場に低い声が響く。
「詫びろよ、ガキ」
「え?」
唐突なその要求に、リクスンは硬直した。見ると、大男は太い腕を左右に開き、天を仰ぐように身体を逸らせている。痺れた思考でも、粗野な山賊にしてはずいぶん芝居がかった仕草だと感じた。
「そりゃそうだろうが? てめえの親父が判断を間違ったせいで、村のやつらはみんな死んだんだ。親父はもういねえ、なら息子であるてめえが詫びるしかねえだろ」
「……!」
誰かが視界を操作しているかのように、男の背後に広がった光景が鮮明になっていく。
「おれ、の……せい」
焼け焦げて傾いた、家々の屋根。
冬に備えるための食糧や、それぞれが家人を想って仕立てられた衣服。
煤と血にまみれた、それでいてどこか見覚えのあるだれかの身体。
すべて、自分が――判断を誤ったがために。
「ま、こうしている間にもお前に病はうつっちまっただろうから、とにかく全員死ぬんだけどなァ!」
狂ったように笑うその声には、人間とは思えない歪んだ感情が込められていた。リクスンの頭の中で、そのどら声がわんわんと反響する。
「……っ」
しかし内部でぶつかってあちこちを傷つけるその声は、少年の中から出ていくことはなかった。これからこの言葉はきっと、呪いのように自分についてまわる――それは恐ろしく、冷たい感覚だった。
「誰も助けにゃこねえぜ。俺たちを追ってた王国騎士の一部隊も、病を見るなり撤退しちまった。笑えるだろ? 結局みんな、我が身が可愛いってこった!」
斑点の浮いた団子鼻からフーッと大きく息を漏らし、山賊の頭は改めてリクスンを見下ろした。黒々とした大山のような男は少年にとって、絶望そのものに映る。もはや怒りよりも、悲しさと恐ろしさが体内で渦巻いた。
「この世に正義なんざねえ。奪って殺して、最後に立ってたヤツだけが真実よ」
こちらに向けられた鈍色の光が、気味が悪いほどゆっくりと動く。撫でるようにして頬の薄皮が切り裂かれ、温かい血が顎へと滴った。
(山賊たちは半ば、自棄になっていたのですね。こんな小さな村に、流行病に効く薬などあるはずもない。けれど人知れず野垂れ死ぬくらいなら、多くを巻き添えにしたかった……こんなところでしょうか)
目の前の暴漢たちとは違う、涼やかな響き。どこか面白がるような冷たさを含んだその声はまるで、少年の耳元でささやくように続けた。
(実に、醜い)
誰のことを言っているのだろうか、と思った。言葉の流れを拾うかぎり、もちろん暴虐をはたらく男たちのことに違いない。だというのに、少年の胸には刺されたような痛みが駆け巡っていた。
「おれ、も……?」
そんな考えが巡ると、痛みは全身に広がっていった。無念と怒りに倒れた村人たちが起き上がり、自分の全身を掻きむしっているかのような――
「リンさんッ!!」
*
「ッ!」
雨と煤の匂いが遠のき、少年の意識は“青年”――騎士であるリクスンへと戻ってくる。それでも目の前で踊るのは、鎮まったはずの炎だ。
「しっかりして!」
「!」
そのよく通る声に背中を打たれ、リクスンはようやく己の身体と状況を認識した。
「ホワード、妹……」
今は“猛火の儀式”に挑んでいる最中であり、この声は“救護係”を務める少女のものだ。彼女の軽やかな足音がこちらへと駆けてくる。
「大丈夫?」
「ああ。俺は……戦っていたか」
奇妙なこの問いにも、少女――エルシーは、真剣な顔でこくりとうなずいてくれた。岩壁に打ちつけたらしい背中に、温かな治癒術の感覚が広がっていく。
「ええ。でも、急に動きが鈍くなって。また……記憶を視たのよね」
少女の端正な顔には、苦悶の表情が浮かんでいる。また彼女を“道連れ”にしてしまったことを悟り、騎士は剣の柄をぎゅっと握りしめて呟いた。
「……すまない」
「謝ることじゃないわ」
優しい緑の光が弱まり、離れていく。治療を終えた少女は「がんばって」と言い残し、壁際の暗がりへと下がっていった。
同時に、炎の壁の上で何か赤いものが煌めく。
「どうやら、よからぬ記憶に苦しめられているらしいの。若造」
「不死鳥……!」
紅と金に彩られた羽毛を震わせ、巨鳥ファレーアは細い嘴を開いて器用に笑う。そのしもべである炎の魔法はみだりに洞穴を燃やさず、いたる場所で円を描くように揺らめいていた。
「恥じることではない。この火山は火の魔力にまつわる、世界のあらゆる記憶が還る場所。時折お主のように、儀式の最中に過去を垣間見る者がおるわ」
(おや、失敬な鳥ですね)
慈悲深い不死鳥の言葉に異議を唱えたのはもちろん、この身に巣食う“同居人”だ。
(貴方に素敵な幻影を送っているのは、まさしく私の尽力だというのに)
「貴様……ッ!」
(うふふ、しかし今のは少し危なかったですね? あの鳥が容赦なく魔法を撃ってくるので、慌てて記憶の再生を止めたんですよ)
仲間の少女に聞き取れないほどの声で、リクスンは歓迎できない同居人へと噛みついた。
「俺への嫌がらせなら、あとでいくらでも付き合ってやる。だが今は干渉するな」
(そう言われて大人しくしている敵がいますか? もちろん、まだまだ苦しんでいただきますよ。貴方にも――彼女にもね)
あの従者の冷たい灰色の瞳が、自分を通り越して何かを見つめている。リクスンはゾッとして振り返った。火の精霊たちに護られている少女の姿を見とめると、勝手に声が震える。
「な……」
(彼女を苦しめることは貴方にとって、鞭で打たれることよりも堪えるようですからね。幸い私は、この不死鳥を怒らせる手段を持っていますし)
「何だと!?」
(つまらぬ戦いが続くのであれば、使ってみるとしましょう。まあ彼女だけではなく、この洞穴全体が灰塵に帰す可能性もありますが……ね)
深い付き合いではないこの男だが、冗談を言っているのではないと何故か理解した。リクスンは歯噛みし、勢いよく立ち上がる。
「うむ、気概は十分じゃな。まだまだ魅せてくれるのであろ、人間よ?」
面白がるように啼いた不死鳥を睨み、騎士は熱風吹き荒れる洞穴の地を蹴る。主君の前では決して落とさない悪態が、噛み締めた歯の間から自然と転がり落ちた。
「――どいつもこいつも!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます