6−8 見極めさせてもらおう
洞穴の最奥には、今までの道が嘘だったかのように広大な空間が待ち受けていた。熱された空気が上へと立ち昇り、火の粉に混じって精霊たちが舞っている。
「上のほうで何か光ってるわ」
目の良い射手が指差す方角へ、リクスンも顔を持ち上げる。正円の空間を囲む岩壁はそり立つようにして上へと伸び、その途中でたしかにいくつもの光がキラキラと乱反射していた。騎士の肉眼にも、それらが剣や盾などの武具の形をしているのが確認できた。
「あれが、この洞穴の“守護者”が集めているという武具か」
「どれもすごい魔力に満ちてるわ。楽しみね!」
「ほう?」
嬉々として言ったエルシーに小言を送る前に、頭上から低いその声が落ちてくる。宝の中からむくりと起き上がった影は、眩い輝きを放つ真紅だ。
「なんとも気の早い娘じゃ。もう我の宝を手にする算段をつけるとはの」
「!」
磨かれた宝の山から音もなく飛び立ったのは、これまた見事な黄金の翼。巨体を持つ鳥でありながら、広い縦穴を降下してくるその姿は蝶のように軽やかだった。
「あれが……!」
真紅と金に彩られた豪奢な翼を広げ、石床に着地した怪鳥。その正体は――。
「“守護者”とは、まさか――不死鳥なのか!? あの伝説の」
「まさしく。我こそは母なる火山の護り手、ファレーアである……ぞ……」
紅い羽毛に覆われた細長い首を高く持ち上げていた不死鳥“ファレーア”は突如、畳んだばかりの翼をバッと左右に広げてのけぞった。緋色の双眸を限界まで見開き、威厳を捨て去った上ずり声で叫ぶ。
「お、おっ、お主ッ! アーガントリウス・シェラハトニアか!?」
「え? あたし?」
「とぼけるでない! そのように可憐な娘の姿に化けても我には筒抜けじゃぞ、この色ボケ竜めが!」
虫を払うように翼をばたつかせ、不死鳥は警戒の色を濃くしてエルシーを睨んでいる。リクスンは戸惑う少女にうなずき、咳払いして声を張った。
「名乗りもせず失礼いたしました。彼女はエルシー・ホワード、“儀式”の臨時救護係です。そして俺はリクスン・ライトグレン――挑戦者にございます」
「吐かせッ! その娘からは、あの嫌らしい竜の魔力がぷんぷん匂うぞ」
「ああ、もしかしてこの子かしら?」
エルシーが手でひょいと頭上の精霊を持ち上げてみせる。精霊は耳をぴくぴく振ってみせるも、その可愛らしさが不死鳥を和ませることはなかったようだ。
「む、むう……“報せの鳥”、いや獣の魔法か。すると娘、お主はアレの弟子か」
「いいえ、あたしじゃないわ。それにアガトさんはこの場に何も手出ししないから、儀式を続けてほしいんだけど」
「うむ、そういうことか。あいわかった……って、仕切るな小娘!」
「アガトさんと何があったの?」
「終わった話題をすぐに掘り返すとな!? お主さては、一向に話を聴かない一族の生まれか」
自身の声だけが洞穴に響き渡っていることに気づいたのか、不死鳥は咳払いをするように首の羽毛を波打たせた。
「ふ、ふむ……崇高なる我の姿を見て及び腰にならぬとは、なかなかに剛気な若者どもじゃ。久々に相手になってやってもよかろうて」
「どうやら話したくないらしい。ホワード妹、以降そのことには言及するな。鳥にも触れて欲しくない恥というものがあるのだろう」
「鳥っていうな! お主もたいがいじゃな、剣士よ!? ギムリウスの人選はどうなっておる!」
金色のくちばしをくわっと開いて抗議した不死鳥だったが、やがて巨体をゆっくりと膨らまして声を低くした。
「――ふん、調子を狂わせおって。擦り傷以上の覚悟は出来ておるのだろうな、愚かな挑戦者よ」
「!」
火山の主の高まった魔力に、周囲の精霊たちが呼応するように強く明滅する。エルシーも笑顔を引っ込め、リクスンの後ろへと退がった。
「改めて問うぞ、剣士リクスン。お主はこの“猛火の儀式”に挑むのじゃな?」
「……はい」
「そう畏まらずとも良い。お主はこれから、持てる力のすべてを尽くさねばならぬ。そのような細事に気を巡らす余裕は無くなるぞ」
「では、遠慮なく間違いを訂正させていただきたい――まず俺は騎士だ。畏まり、頭を垂れる先には常に、我が主君がおわすのみ」
しばらく鞘で休ませていた得物を、涼やかな音を立てて引き抜く。顔の前で一度立てて敬意を示すと、迷わずにその鈍色の切っ先を炎の化身へと向ける。
「そして彼女をこのような灼熱の穴へ導くことは出来ん。必ず俺が、この“儀式”を突破する!」
「天晴れな口上じゃな。だが気概だけでは羽のひとつも遣れぬぞ、若造」
陽炎のようにゆらりと身を起こした不死鳥は、一度の羽ばたきで大人の倍ほどの高さまで飛翔する。紅と金で織られた長い尾が優美にそれに続いた。
「強き炎は、何もかもを焼き尽くす。敵も味方も――そして己自身も、のう」
「……」
「前進したくば、その猛き炎を力で以って従えるのみじゃ。お主にその覚悟があるかどうか、見極めさせてもらおう!」
声高に開幕を告げると、不死鳥ファレーアは耳をつんざくような雄叫びを縦穴に響かせた。ただの威嚇のひと鳴きに込められた魔力の濃さに、リクスンの肌がじりじりと痛む。
「……ッ」
いや、こんな痛みではなかった――あの時はたしかに、もっと。
*
容赦無く張られた頬が、じんじんと熱を持って痛む。血の味がする口を開けると目が潤んだが、リクスンは震える声で叫んだ。
「は、はなせッ!」
「この村のガキっぽいですぜー、
自分の金髪を鷲づかみしている荒くれ者が、興味のなさそうな顔で訊く。焼けゆく村の家探しをしていた山賊に発見されたリクスンは抵抗も虚しく捕まり、彼らの頭である大男の前に突き出されていた。
「あぁ?」
頭と呼ばれた男は、手下たちが集めてきた物品の袋を検分するのに執心している。こちらを振り向きもせずに言った。
「ほかと同じだ。売るか殺すかでもしとけ」
「けど頭、こいつの髪を見てくださいよ。村長夫妻と同じ色だと思いやせんか」
「!」
ぐい、と頭を押されてうつむかされる。まるで頭を垂れているようで気に食わなかったが、縄で後ろ手に拘束されている少年は歯を食いしばることしかできなかった。
「ほーォ。たしかにこの明るい金髪は、あいつらと一緒だな。他にはいなかったからな、よく覚えてるぜ」
「ち、父と母はどうしたっ!?」
「死んだよ」
「え」
まるで朝一番の挨拶のように、気軽な返答。自身の目の前で立ち止まった太い脚を辿ってゆるゆると顔を上げたリクスンの視界に、血と錆の匂いをまとった暴君の顔が映り込んだ。
「う……うそ、だ」
少年のか細い声に、男は黄色い歯を見せてにたりと笑った。牙を剥く野犬のようでいて、狡猾な蛇のようなちぐはぐさを持つ笑みだった。顔に浮いた紫色の斑点が、いっそう不気味さを加速させている。
「まあそう思いたいわなァ。いいぜ、すぐ近くだ。見てこいよ」
「いいんですかい、頭」
「俺は情け深いんだ。それにこういうこたァ、自分の目で見ねえと信じねェもんさ」
ぽんぽんと親しげに肩を叩かれ、そのまま村の通りへと押し出される。リクスンは何も考えず、感覚を消失した足でよろよろと進み――やがて駆け出した。
「父、上……母上ッ……!」
山賊たちが陣取っている村の中央から自宅までは、そう距離もないはずだった。なのに走っても走っても、たどり着かない。道中に転がる家財や農具、そしてどこか見覚えのある着物を身につけた黒い塊――それらを避け、あるいは乗り越えて進む必要があったからだった。
「だれか――だれでもいい、返事をしてくれ!」
無力な少年が救いを乞う声を聴いても、村を蹂躙する緋色の壁は揺るがない。喉に舞い込む煤に咽せながら叫んでいた少年はようやく、溶けないのが不思議なほどに熱されたブーツの足を止めた。
「……っ!」
ごうごうと燃え盛る家の戸口。そこに見慣れた背丈の人間がふたり、折り重なるようにして倒れていた。血と灰にまみれてもなお優しい色をした、長い髪。それを抱くよう回されているのは、いつも自分を鍛えてくれた逞しい腕。ふたりの背中から突き出る長い凶器の切先が、血と脂に光っている。
ふたりの質素な服の端に火が乗り移っても、リクスンはその場から動けなかった。琥珀の瞳の中いっぱいに、炎に食われていくヒトの最期が刻み込まれる。
「あ……」
探し人が見つかったというのに、言葉が出てこない。いや少年には、すべてが正しく理解できていた。
もう取り返しのつかぬ事態が起こったのだということ、そして。
「おれの……おれの、せいで」
すべてのきっかけが、自分の愚かさにあったということを。
「あ、ああ……うあああぁーーーーッ!!」
吸い込んだ熱と灰が、細い喉を灼いていく。
それでもその長い長い慟哭が途絶えることはなかった。
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