6−7 だから正直に言うわ

 黒煙の下に広がるその光景を目にした時、少年――リクスンは、疾走の反動で脈打つ心臓がたしかに停止したのを感じた。


「そん、な……」


 故郷である村が焼けている。村人たちが毎朝交代で磨き上げる質素な門をはじめ、その先に長く伸びる道も、両脇に建つ見慣れた家々も。すべてが赤黒い炎に蹂躙され、見慣れぬ炭の塊に成り果てようとしていた。


 いや、心配すべきは建物ではない。もっと替えの利かないもののはずだ。リクスンは金髪に吹きつける熱波から腕で顔を守り、一歩踏み出した。


「父う――」

「はっはははァ! なんだよ、小せェくせに良い暮らししてんじゃねえか」

「!」


 聞き慣れぬそのどら声に、少年は反射的に道の脇へと飛び込んだ。まだ火の手がまわっていない家の横から顔を出し、かげろうの中に浮かぶ人影を注視する。大柄な男が、忙しく飛び回る仲間らしき男たちに号令を飛ばしているようだった。


「だがちっと俺の趣味じゃねえな。ああ、食糧庫は燃やすなよ。薬や家畜もだ」

「な、何だっていうんだ、あんたたち! こんな、こんなこと」


 怒りと狼狽に震える声に、少年は琥珀色の瞳を大きくした。分厚いナイフを手にした男に捕まっている村人には、もちろん見覚えがある。


「ただ、要らんものは処分していい――こうやってな!」

「うっ」

「ッ!?」


 断末魔とも呼べない、ただつまずいて転んだだけにも聞こえるほどの小さな悲鳴。たったそれだけを残して、見慣れた村人はどさりと地に伏した。リクスンの目に残ったのは、大柄な男が照り返す炎の中にかざした丸い物体――。


「ふ……ッ」


 ぼたぼたと何かが滴るそれの正体を悟った時には、少年の喉に酸っぱいものが混みあげていた。申し訳なさに涙を浮かべつつそれを水瓶の横に吐き出し、小さな肩を上下させる。


「な……ん、で……っ!」


 彼は間違いなく善人だった。陽気な男で、父や仲間たちの宴会ではいつも一芸や自作の芝居で場を盛り上げてくれたひとだった。その器用さを活かし、薬作りを家業としている。一昨日だって、父との鍛錬で打撲をこしらえてしまった自分の腕に、よく効く湿布を貼ってくれたばかりで――。


「きゃあああっ!」

「いやだ、助けて」


 それをきっかけに、村の奥から次々と悲鳴が湧き起こった。慌ただしい物音がそこかしこで響き、短い人生の中ではじめて耳にする不快な音が鼓膜を叩く。震えるばかりの膝を押さえ、少年はその惨劇を見ていた。正確には、ある一点から目を逸らせなかったのだ。


「あの、ひと……」


 道の中央に立ち、ならず者たちに指示を飛ばす男。背丈にも声にも覚えがある。山菜を採る少し前に林道で会った旅の者たち、その中にいた――


“また、村で会えるとも”


「あ……ああっ……!」


 金髪をぐしゃりと両手で乱した少年を最後に、場の時間が凍りつく。絵のように貼りついた光景の上に響いたのは、賊のものではない涼やかな声だ。


(何度観てもよい場面です。山賊たちを招き入れた愚か者は、他ならぬ貴方。幼子の親切心が引き起こした悲劇――ああ、胸に迫るものがあります)


 停止した世界の中でも、紅い炎だけがごうごうと蠢いている。


「おれは……は」


 熱い。

 熱くて熱くて、まだ離れているはずなのに、こちらの身さえ今すぐ焦がしてしまうほど――





「リンさん!」

「!」


 耳元に響いたその声に、若き騎士はびくんと身を跳ねさせた。燃えさかる故郷の光景が掻き消え、薄暗い洞窟が目の前に広がる。


「ぼうっとしていたけど、大丈夫? 火山の熱で参っちゃったのかしら」

「……ああ、少しだけだ。すまん」

「い、いいけど」


 喉から素直に漏れ出た謝罪に、となりから覗き込んでいた少女――エルシーが、大きな目を丸くした。彼女とはいつも口喧嘩ばかりしているが、今の己の状態ではそれもままならない。リクスンは愛剣の柄の感覚を確認し、長い息を落とした。


「……」


 精霊たちに彩られた洞穴を進みながら、自分の意識の奥へと呼びかける。うまくいく確証はなかったが、すぐにあの元使用人の声が浮上してきた。


(うふふ。良い場面でしたのに、水を差されてしまいましたね。なんとも勘の良い娘です)


 相変わらずの物言いには腹が立つが、リクスンは平静を保った。ちょうどこちらへ突進してきた火の精霊に、気合と共に剣を振るう。


「はッ!」


 緋色の閃光をまとった剣が、赤い火の玉を分断する。最初に襲われた時とは違い、精霊はあっさりと光の粒になって消失した。後方から、満足そうな少女の声がかかる。


「うん、良い感じね。ちゃんとできるじゃない、武器に魔力を通わせるの」

「君が授けてくれた助言のおかげだ」


 素直に礼を述べると、少女は白い頬を指で掻いた。実際、歩きながら彼女に教えてもらったことはこうして効果を出し始めている。


「“自分の中から力を取り出すのではなく、まわりに満ちるものと馴染ませるように”――か。俺にはなかった発想だ」

「なら良かったわ。あたしには精霊が視えるから、そう思うのが普通だったの」

「俺のまわりにもいるのか? 今」


 勝手な同居人に喋る隙を与えまいと飛ばした、軽い問いのつもりだった。しかしエルシーは、少し心苦しそうな声を返してくる。


「え、ええ。たくさんいるわよ、攻撃意思のない精霊たちが。でも……」

「む?」

「リンさんに興味があって、力を貸したがっているのに――拒まれているみたい」

「!」


 前方への警戒を忘れ、思わず発言者に振り返る。彼女のまわりの精霊たち――リクスンにも視えるものは、比較的力の強い個体らしい――が、こちらを警戒するように激しく明滅した。


「俺が、精霊の力を拒んでいると?」

「そんな感じがするってだけ。あたしは今まで、あなたは魔力に頼らない戦い方を追求したいのかと思ってた。でも、違うのよね」


 少女の瞳が、まっすぐにリクスンを射抜く。薄暗い洞穴のなかにあってもそれは、精霊の燐光を反射して静かに輝いている。


「ねえ。ここには、あなたの主君はいない。だから正直に言うわ」

「何を……」

「このままじゃ、あなたは火を使いこなせない。過去の自分を乗り越えなきゃ」

「!? な……君は」


 驚くリクスンにひとつうなずき、エルシーは髪をくすぐる精霊に指を添える。


「少しだけど、あなたの記憶が視えるの」

「! そんな馬鹿な」

「あたしもこんなこと、初めてよ。どうやら精霊たちの中に、かなりお節介な子がいるみたいね……。あなたのことを、あたしに教えてくれようとしてる。断片的に、見たことない風景が頭に浮かんで」


 そこまで話すと、少女は辛そうに顔をうつむけた。よく見れば、その細い肩は震えている。首筋に浮かんだ汗も、きっと暑さのせいではないのだろう。


 万一少女が倒れても支えられるよう一歩近づき、リクスンは訊いた。


「……何を視た」

「焼ける、村と……暴力を振るう人。逃げる人。それから……それから」

「もういい」


 遮るように告げると、エルシーは少し青い顔でこちらを見上げてくる。いつも百合のようにすらりと背を伸ばしている彼女が、今日は少し小さく映った。


「君は引き返せ。ホワード妹」

「なっ! 何で」

「この洞穴に満ちる火の魔力は、俺の人生で最低の記憶を呼び起こしている。これからさらに、その光景は見るに耐えんものになるだろう」

「リンさん……」


 怯えと心配が混ざった瞳が大きく見開かれる。記憶が蘇る本当の原因はもちろんこの身に宿る迷惑な同居人にあるが、それは黙っておいた。言えば彼女はひとりでは引き返さず、自分を引き摺ってでも連れて帰るに違いない。


(王国騎士ともあろう貴方が、約束を違えるおつもりですか?)

「――俺は残る。試練は続行だ」


 この場で不自然ではない言葉を選び、内なる声に返答する。オルヴァはしばらく沈黙していたが、先に口を開いたのは現実にいる仲間だった。


「やっぱりあたしも行くわ。リンさん」

「ああ、そうして――な、何ッ!? 話を聞いていたのか、君は!」

「聞いてたわよ。狩人の耳をナメないでちょうだい」


 威厳高く緑の髪を揺らして言い切ったエルシーは、挑戦的な瞳で洞穴の奥にわだかまる闇を睨んだ。


「あの気配が強まってる。もうすぐ“守護者”が待ち受ける場所のはずよ」

「だから尚更、引き返すべできではないか! 今よりも強い魔力の影響を受けたら、俺は――」

「だったらやっぱり、“救護係”は必要じゃない! 自分じゃ身を護る魔力だって展開できないくせに」

「それは気合いでなんとでもなる!」

「ならないわよッ!」


 どちらの声も大きくなり、洞穴の前後にわんわんとこだましていく。久しぶりの言い合いに両者は息を切らせていたが、顎を伝う汗をぐいと手で拭ってリクスンは主張した。


「……視て楽しい記憶ではなかろう。だがもう過去のことだ、君が心を痛める必要はない」

「いいえ。あなたの心は、まだ悲鳴をあげてる」

「!」


 汗で頬に張り付いた髪を払い、少女は眼光をゆるめて言った。かわりに少し寂しい光が、明るい茶色の海に漂う。


「記憶ってずるいわよね。楽しいことよりも、辛かったことのほうがずっと鮮明に残るんだもの」

「……」


 リクスンはそこで、彼女とその兄が経験したという惨事のことを思い出した。友と肉親を一度に失うという悲劇。さらに彼女はその後、竜人となって眠り続ける兄を狂いそうなほどに心配しながら数日を過ごしたという。


「でも、自分が背負っているものは誰かに分けることができるの。だから、あたしに少し渡してくれない? 見ての通り、身軽さには自信があるのよ」

「ホワード妹……」

「この先何を視たってあたしはあなたに幻滅しないし、見捨てない。あたしはあなたを評価する主君じゃない――ただの仲間よ」


 入り口とは反対方向、洞穴の奥へと続く道に立ち、少女は宣言した。


「どうするの、リクスン・ライトグレン? 雄々しき騎士が、このまま逃げ帰るっていうの?」

「馬鹿を言うなッ! 誰がそのような無様を」

「なら、ちゃちゃっと済ましちゃいましょ。戻ったら、族長の家で冷たい甘味が待ってるわ」


 にっこりと笑い、エルシーはショートブーツの音を響かせて進み始めてしまう。リクスンは詰めていた息を吐き、ぐいと顔を上げた。


(強気な娘がお好みですか? てっきり貴方は、あの王女のような女性が――)

「黙れ。貴様もこれで、文句はなかろう」

(ええ、願ってもない展開ですよ。どうぞ進んで下さい)


 ふんと鼻を鳴らし、騎士は不穏な力が満ちる洞穴の最奥へと足を踏み入れる。


 しかしその心にかかる暗雲は、ほんの少しだけ薄らいだような気がした。


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