5−39 バカでやんすね
立ち昇るスパイスの香りがセイルの鼻腔をくすぐる。手にした数本の串焼きをじっと見つめる青年に、呆れを含んだ警告が寄越された。
「旦那、食べちゃだめっすよ? それ、みなさんの分なんすから」
「あれまあ、ヨダレでも垂らしそうな顔しちゃって」
大通りの中央から少しはずれた位置にある広場。屋台の食べ物を味わう人たちのために設けられたテーブルを囲む仲間たち――タルトトとアーガントリウスが、こちらに目を光らせていた。
セイルはわずかに恨みがましい声で弁明する。
「……。いくらでも食べるといいと、焼き物屋の親父が」
「全員で屋台に顔出した時に、もうたらふく食べたじゃねえっすか!」
「さらに今、追加の串をもらったばかりじゃないの。街の大恩人とはいえ、これ以上はスマートじゃないって。セイちゃん」
気取った笑みを浮かべた知恵竜が、氷の入ったグラスを傾ける。小洒落た花が添えられたジュースをこくりと飲み、商人も苦笑した。
「しっかしまあ、よくそんなに食べられるもんだ。大変な山場を乗り切ったばかりで、あっしは食欲なんか湧かねえや」
「竜人になると腹が減る」
(うん、たんと食べたほうがいいよセイル。僕としても君の腹の虫と同居するのは、なかなか堪えるからね)
心中に住まう友の冗談を仲間たちに伝えると、二人とも楽しそうに笑った。その和やかな輪の中に、もうひとつ明るい声が投げ入れられる。
「お、見つけた! もう発っちまったんじゃねえかってヒヤヒヤしたぜぇ」
ぞろぞろと仲間たちを引き連れてやってきたのは、狼の獣人ロロヴィクだった。屋敷で与えられたボロ服はもう着ていない。簡素なものだが全員が街着をまとっており、浮ついた雰囲気が満ちている。
「ロロ! どうだったんでやんす、市長との話し合いは」
「ああ。城から騎士隊が到着するまで、街の宿を一部解放してくれるってよ。さらに食事つきだ」
長い爪が光る親指をぐっと立て、少年は年相応の笑顔で報告する。セイルの隣席から軽やかな音が上がり、ぴょこんと尻尾を立てた少女が飛び出した。
「そりゃよかったっす!」
「食事まで出るなんて、ずいぶん気合入った対応じゃない」
「この街のやつらとしても、屋敷に集められた獣人たちのことは気になっていたらしい。助けになれなかった、せめてもの詫びなんだそーだ」
肩をすくめる獣人の顔には、少し居心地の悪そうな表情が浮かんでいる。無意識に串のひとつをかじっていると、セイルの疑問を見抜いた友が穏やかに言った。
(もちろん彼らから、ヒトを恨む気持ちがすべて消え去ったわけじゃないだろう。けれど、親切な者たちがたくさんいることも知ったはずだ)
「……ふぉうか」
(食べるのは一本にしておくことをおすすめしよう、友よ)
肉を喉の奥へごくんと押し込み、セイルは素知らぬ顔で獣人たちの一団を眺めた。さまざまな色やかたちをもつ耳と尻尾は、どれも嬉しそうにゆったりと揺らいでいる。据えた目をして武器を握っていた姿が嘘のようだ。
「それでよ、タルト。ちょっといいか?」
「ん?」
その輪の中心に迎えられたタルトトの前に立つのはやはり、灰色の毛並みを持つ少年である。
「率直に言う――オイラたちと一緒に来てくれねえか?」
「えっ!?」
少女の驚く声と、セイルが椅子から腰を浮かすのは同時だった。しかし細い何かが腕にぽんと置かれ、木こりは自然と椅子に押し戻される。手の持ち主は、ゆっくりと首を振るアーガントリウスだった。
「オレたちの案内役だぞ、アガト」
「いいから黙ってるコト。これはあの子たちの話」
静かな光を浮かべた紫の瞳に射抜かれ、セイルはひとまず腕組みをして座り直す。獣人たちの輪の中で、彼らのリーダーが弾むような声を出した。
「お前には、本当に世話になったと思ってる。バネディットの悪行を根っこから掘り返せるのも、お前が城への伝令に色々と情報をもたせてくれたおかげだ」
「ロロ……」
困惑したままのタルトトを見下ろし、わずかに背の高い少年は黒い鼻を鳴らす。
「ムカつくが、変態使用人の言うことは一部当たってる。オイラも獣人ってのは皆、頭が良くないモンだと思ってた。お前に会うまではな」
「!」
「全身の毛が震えたぜ。あのバネディットを相手に、偽の権利書を暴くなんてな。きっと、相当な努力をして身につけた知識なんだろうってみんな言ってる」
ロロヴィクの言葉に、タルトトは縞模様の頬を紅潮させてうつむいた。取り囲む獣人たちも、小さな口笛や拍手で少女の健闘を讃えている。それらが静まるのを待ち、少年はふたたび口を開いた。
「ほとんどのヤツらは騎士隊に連れられて帰郷するか、安心して住める場所を探す予定だ。けどオイラと一部の仲間は、散っていった同胞たちの最期の言葉を故郷に届けてまわる。その旅に、お前も同行してほしい」
「どうして、あっしを」
「言っただろ。頭が良い獣人が一緒にいてくれりゃ旅の不安もないし、お前から色々学びたいとも思ってんだ。あのババアの財産売りさばいてカネは入るから、ちゃんと払うモンも払うぜ」
自信たっぷりに言うロロヴィクを見、セイルは知らずと呟いた。
「……オレたちのほうが払える」
(払っているのはラビエル陛下でしょ。でももし、彼らがそれ以上の額を提示したら――我らが商人は、どんな決断を下すんだろうね)
セイルはわずかに眉を寄せ、挑むように獣人たちの輪を見守った。細い彼らの間から、驚きに固まっている小さな横顔が見える。
「獣人に生まれたんだから、丈夫なカラダを売りにして生きてくしかねえ――自然とそう諦めてたオイラたちにとって、お前は可能性そのものなんだ」
「そんな、大袈裟な……」
「オイラは身を守る武術を、そしてお前は立場と権利を守る知恵をみんなに広めていく。新しい常識を作っていこうぜ、タルト!」
「!」
その提案に、オレンジ色の瞳が大きく見開かれた。少女の心が揺れたのを悟ったセイルは、思わず串を落としそうになる。
(彼女は幼いころから、獣人の在り方に疑問を抱いていた。それに革命を起こす提案というのは、魅力的に感じるかもしれないね)
「不穏なことばかり言うな。テオ」
「あー、なんとなく伝わってくるわ、お前たちのやりとり。アイツたまに、すごい嫌な予言めいたこと言うよねえ」
苦笑するアーガントリウスは落ち着いているが、セイルはそうもいかなかった。
「……」
たしかにこれからの旅路は薬の材料集めのため、知恵竜が先導することになるだろう。だからといって、いつも自分たちを明るく支えてくれた商人が抜ける場面など考えられない――考えたくはなかった。
「へえ! んじゃ一体、あっしという逸材にどれほど“出す”ってんです?」
「そうくると思ったぜ。これならどうだ?」
ロロヴィクの手が動き、指先で額を示してみせる。どよめいた獣人たちに遮られてセイルにはよく見えなかったが、タルトトは目を点にしていた。
胸の内に不安がよぎり、木こりはふたたび立ち上がる。倒れていく椅子を掴んだ知恵竜も、その光景を見て小さく口笛を吹いた。
「あーらま、太っ腹なこと。俺っちも雇ってもらおうかねえ」
「……」
老竜の軽口に付きあう余裕はない。セイルはテーブルの上で拳を作り、じっと仲間の反応を待った。
「!」
そしてその仲間――タルトトが、提案者の手にそっと指を伸ばすのを見て絶句する。彼女はこちらを見もせず、明るい声で告げた。
「すげえや! 商人としちゃ、これ以上ない待遇でやんす!」
「っしゃァ、そうこなくちゃな!」
もう一方の手を天へと突き上げ、ロロヴィクは快活に笑った。しかし商人の少女は静かにうつむき、少年の手を両手で包み込む。
「タルト……?」
「――やっぱり、バカでやんすね」
「なっ!?」
「毎月こんなに払ってちゃあ、すぐに大赤字になっちまいやすよ」
戦いで荒れた同胞の指をそっと折らせ、その提示を柔らかく却下する。獣人たちと同じく、セイルも小さく口を開けたまま固まった。
「無茶苦茶な額だとしても――あっしにそれだけの価値を感じてくれたってんなら、光栄なことこの上ねえでやんす。ありがとう、ロロ」
「お、オイラは本気だぜ!?」
「ええ、わかってまさあ。だから、なおのこと嬉しいんだ」
にっと持ち上げられた小さな頬から、ひとしずくの涙がこぼれ落ちる。震える指できゅっとロロヴィクの手を包み、タルトトは困った笑顔を浮かべた。
「正直、あんたらのことが心配でならねえ。また悪いヤツらに騙されやしないかって、今から不安でやんすよ」
「だからお前が必要だって――!」
「けどね。あっしには放っておけない、大事なお仕事があるんでやんす」
焦る同胞ににこりと笑いかけたあと、タルトトはセイルたちを見た。獣人の列が割れ、すべての視線がこちらへと注がれる。
「まずはそこの旦那がた。ひとりは旅に関しちゃずぶの素人で、おまけにあとのことを考えもしない大食漢。もうひとりは旅慣れているはずなのに金の管理に甘くて、ちょっときれいな女を見かけただけでバカ高ぇ花束を渡すようなお人でやんす」
セイルとアーガントリウスはお互いの顔を見、目を瞬かせた。
「ちゃんと次の食事の分は残して食ってる」
「ちゃーんと、そのレディにあった花を選んでるってば」
この言い分を耳にしたタルトトは、細い肩をすくめて同胞へと向き直った。
「それから、荷物になる本ばかり買いたがる王女さまに、絶望的に物価交渉が下手な騎士さま。しっかりしてんのに、珍しい香辛料の押し売りには負けちまう女の子なんかもいましてね」
「なんだよ、そりゃ? よく旅してられるな、お前ら」
「でしょう。あっしが金と荷物の管理を怠れば、3日で野垂れ死ぬ可能性が出てくるご一行だ」
大袈裟に空を仰いだあと、タルトトは一度大きく息を吐く。
「大事なお方から任された、あっしにしかできないお役目ってやつっす。だから今、それを放り出すことはできねえんだ」
「……けどよ、危ない旅でもあんだろ? 詳しく聞いちゃいねェが、斧の兄貴やお姫サマの“あの姿”――どうにも、とんでもねえ戦いのニオイがすんぜ」
目を細めてうなるロロヴィクに、仲間たちが同意のうなずきを添える。一部の瞳にやはりくすぶる怯えを見てとり、セイルは自然と視線を彷徨わせた。
「ああ、色々と危ない目には遭ってやすよ。正直、割りに合わないって思ったことも」
「なら――!」
「でもやっぱり、あっしは旦那たちと一緒に行きやす」
「!」
力強いその言葉に、セイルは弾かれたように顔を上げる。見つめた先ではいつも通りの明るい商人の顔が、したたかな笑みを作っていた。
「“良き黄金は、険しい
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