5−38 許しませんよ

 街のいたる場所で、祝福の花弁が舞っている。


 白と桃色のそれらが舞い散る様は、まさに“花々の都サルーダス”の名に恥じない壮観さであった。


「きれいですね……」


 清らかな水を落とす噴水の縁に腰掛けたフィールーンは、何度目になるともわからぬ所感を口にする。律儀に答えてくれたのは、となりを陣取っている女友達だ。


「ほんとね。あんなに色々なことがあったなんて、信じられないくらいよ」

「うむ。しかし人々が活気を取り戻すのが早い。良い街だ」


 エルシーが緑髪を束ねた頭をくるんと回し、次なる発言者を見る。その茶色の瞳には、なんとも言えない光が浮かんでいた。フィールーンもつられて見た先には、石畳の上で堂々と立っている大怪我人――リクスンの姿がある。


「……あたしには、宿で安静にしていないといけないはずの騎士さまがついてきていることのほうが信じられないんだけど」

「何を言う! 主君が街中にいるというのに、俺が寝ていられるか」


 力んで一歩前に出たリクスンだったが、その顔にぎこちない表情が走ったことをフィールーンは見逃さなかった。まだ痛みがあるのだろうと心配すると、気づいたらしい臣下は慌てて包帯が巻かれた手をぶんぶんと振る。


「フィールーン様、俺は平気です! 騎士たる者、どのような状態にあっても主君に付き従うのが」

「じ、じゃあ私、宿に戻ります」

「姫様!」


 目に見えて狼狽するリクスンに、思わずフィールーンは小さく吹き出した。つられてとなりの少女も笑う。湿布が貼られた頬を掻き、側付だけが困った顔をしていた。


「でもふたりとも、回復しきっていないのにごめんなさい。私がこの光景を見たいと言ったから、ですよね」

「いいのよ。あたしも本来のサルーダスが見たかったし。それになんだか……じっとしていられなくて」


 同意するように、皆の沈黙が落ちる。花弁を抱いた水がさらさらと流れる音と、ならず者の圧迫から解放された人々の明るい声だけがフィールーンの耳に届いた。


「……」


 結局、バネディット夫人は助からなかった。

 腹部のほとんどの臓器を失い、オルヴァから切り離された異形の手も霧となって消え去ったからである。彼女の死を悼む者はもちろんいなかったが、大きな機会損失となったのは間違いなかった。


「ねえ、フィル。またあの女のことを考えてるんでしょ」

「あ……」

「良いんじゃないかしら、あれで」

「そう、でしょうか」


 そんなに暗い顔をしていただろうか。見ると、こちらを気遣う少女の花のような笑顔があった。


「たしかに、あいつらの悪行をすべて暴くことは困難になったと思う。けど近しい幹部たちはみんな捕まえられたし、獣人たちは解放されたわ」

「義兄上にも文を出しました。後の裁きは、城の皆に任せておけるでしょう」

「あとの被害は、そうね……あたしたちの荷物が一部、見つからなかったことかしら」


 明るい空を見上げて言うエルシーの顔には、あまり悔しげな表情がない。


「逃げ出した“客”か用心棒の誰かが持ち去ったのでしょうけど、アテが外れたわね。薬草とか小道具の袋だったもの」

「でも、貴重な“竜薔薇”が入っていたんですよね」

「ヤークに文を出して、立ち寄る街にでも送ってもらうわ。最近はあなたもよく力を制御しているから、必要ないかもしれないけど」

「ああ。実に喜ばしいことだな」


 力強くうなずく臣下の姿に、フィールーンは落ち着きなく膝の上で指を遊ばせた。それらを包み込むように、となりからそっと色白の指が伸びてくる。

 

「失敗もあったけど、上手くいった部分もあったでしょう? 思い出すなら、そっちにしましょ。ね、フィル!」

「エルシーさん……」


 ぎゅっと手を握り励ましてくれるこの少女とてきっと、思うところもあるはずだ。フィールーンは友の言葉を胸の中で繰り返し、良い部分を思い返すことにした。


 屋敷のあちこちでかけられた、解放された者たちによる感謝の言葉。


“故郷に帰れる! 夢みたいだ”

“ありがとう。この恩は一生忘れないよ”


 街に戻ってすべてを報告した時には、串焼き屋の親父は暑苦しい顔をくしゃりと歪ませて笑ってみせた。


“信じられねえ、本当にやっちまうとは! あんたらはまさに勇者様ご一行ってわけだ。こりゃ、うちの串を目一杯食ってもらわねえとな”


 意気揚々とたくさんの串を炙りはじめた男。煙の向こうにある目に光るものが見えたのは、自分の気のせいではなかったように思う。


“よかったなあ、ムクファ様……。きっと今頃はご家族で、天ノ国の美しい花々を愛でていらっしゃるだろうよ。ああ、よかった……それだけは本当に、よかったよ”


 空色の目を柔らかく開き、活気に満ちた街並みを見る。屋敷が陥落したと悟った見張りのならず者たちは皆、煙のように姿を消していた。心からおしゃべりを楽しめるようなったサルーダスの街が催した祝いが、この花吹雪なのである。


「きっと胸を張っていいのよ、あたしたち。暗かった街のみんなを、こんなに明るくできたんだから」

「――はい!」

「権利委譲書をバネディットに突きつけるあなた、格好よかったわよ? “フィールーン王女の世直し紀行”に書き加えとかなきゃね」

「え、エルシーさんっ! そんな」


 からかい顔の少女にずいと詰め寄ったのは、大真面目な表情をした青年だ。


「そのような本を書いているのか、ホワード妹!? 発行の際は声をかけてくれ、全力で国中を周ろう!」

「かっ、書いてないわよ! まったく、もう……」


 慌てて身体を引いたエルシーに、側付は不思議そうに首を傾げる。フィールーンは耳を赤くしている少女を見、反対に身を乗り出して言った。


「活躍といえば、エルシーさんだって! すごかったです、治癒の力」

「自分にできることをしただけよ」

「いいえ、ものすごい魔力を感じました。それにあの羽も、とてもきれいで」

「羽?」


 友の声に生じた驚きを感じとり、フィールーンは目を瞬いた。


「は、はい。あの……エルシーさんの背中に、大きな羽が見えて」

「――どんな羽?」


 問いただしたいが、聞きたくもないといった複雑な声だった。フィールーンは少々迷ったが、ただひとりの目撃者として説明する義務があるだろうと言葉を紡ぐ。


「桃色の、大きな……蝶のような羽、といいますか。私やセイルさんの翼とは違う、軽やかな感じで」

「むう、姫様がそこまで仰るとは。それは意識を失っていた己が悔やまれるな。まるでエルフたちの始祖といわれる、“妖精”のようではないか!」

「っ!」


 瞬間、エルシーの細い肩がびくんと跳ね上がる。驚愕の色に染まった横顔を見、フィールーンは心配になって声をかけた。


「あの、き、気になさらないでください。魔力の揺らめきで、たまたまそう見えただけかもしれませんし! あの声だって」

「声ですって!?」

「きゃ、わ、あのっ」


 両手で肩を掴んで揺さぶられ、フィールーンの視界で街が回った。


「誰の――どんな声だった!? なんて言っていたの!」

「はっ……はな、“花が咲く”、と……ひゃ、わわっ」

「よせ、ホワード妹ッ! 一体どうしたというのだ」


 すかさず伸びてきた側付の手に捕まり、ようやくエルシーは静止する。フィールーンはぐらぐらと揺れる視界を鎮め、うつむいた少女を穴があくほど見つめた。これほど動揺している友は初めて見る。


「“花が咲く”――つまり、……?」

「エルシーさん、あの」

「何でもないわ、大丈夫。教えてくれてありがとう」


 そう言ったエルシーの顔には、いつも通りの明るい笑顔があった。気にはなるが、ここで突き詰める事柄ではないと直感が訴える。


「よく分からんが、礼を言うのはこちらのほうだ。ホワード妹」

「えっ?」

「宿で姫様から詳細をお聞きした。やはり俺の傷を癒し、毒を消してくれたのは君だったのだな」

「!」


 少女の耳でくすぶっていた赤色が、みるみるうちに顔全体へと広がっていく。フィールーンは背後の噴水に飛び込んで姿を消すべきか迷ったが、結局石のように気配を薄めて小さくなっていることしかできなかった。


「感謝はもちろんだが――君の尽力のおかげで、俺は大事なことに気づいたのだ」

「な、何よ……?」


 迷いのない光が琥珀色の瞳にきらめき、年下の少女を熱く見つめ返す。フィールーンはいよいよ魚になりきる覚悟を決め、後ろへ身体を傾けはじめたが――


「まだまだ自分は鍛錬不足である、という現実にだ!」

「は?」

「新たな鍛錬の目標もできたぞ――毒など受けつけぬ、強靭な体づくりだ! 怪我が治り次第、さっそく毎日の鍛錬に組み込んで」

「――っ、もう一回生死を彷徨ってくるといいわ!!」


 エルシーが片手を空へと振り上げた瞬間、背後の水が熊のように立ち上がる。ぎょっとした通行人たちとフィールーンには目もくれず、水の塊は宙をうねって騎士へと襲いかかった。


「な、なぜだ……」


 金髪頭からぼたぼたと水を滴らせ、側付が石畳に倒れ込む。フンと鼻を鳴らしてそっぽを向いたエルシーに苦笑し、フィールーンは臣下の前に屈み込んだ。手を伸ばすと、リクスンはガバッと身体を起こす。


「主君の手を借りて立ち上がるなど! 滅相もないことです」

「む、無理しないでください、リン。私が一番、元気なんですから!」


 こんな時にまで畏まる側付に、フィールーンはなるべく気さくに笑いかけた。しかし彼は少々気まずそうに視線を逸らし、いつもの半分以下の声量で呟く。


「それに……姫様には、謝罪をしなければなりません」

「えっ?」

「貴女の期待を背負っておきながら、俺はあの“遊戯”で敗北を晒しました」


 血まみれとなって倒れ込む臣下の姿を思い出し、フィールーンは黒い眉を下げた。敗北を嘆いたとでも思ったのだろうか、リクスンはさらに強張った声で続ける。


「主君の顔に泥を塗った事実は、許しがたいことと存じます。しかし今後は、二度と――!」

「はい。そんな“勘違い”は、二度と許しませんよ」

「か……勘違い?」

「ええ。なぜなら、あなたは誰にも負けていないからです」

「!」


 驚きのあまりわずかに口を開けたまま固まっている青年。その珍しい姿に吹き出しそうになりつつも、フィールーンは咳払いで威厳とやらをなんとか作り出す。


「そもそも私は、遊戯に勝つように命じた覚えはありません」

「し、しかし……!」

「あなたに“お願い”したのは、決して死なないこと。忘れてしまいましたか」


 ますます困惑を深める側付の様子に、ついに堪えきれなくなったフィールーンは小さく微笑んだ。それはやがて温かい誇りへと変化し、心に満ちていく。


「私の前にいる騎士は、足のない幽霊ですか?」

「い、いいえ姫様! そのようなことは」

「なら、立ってください。いつものように、胸を張って――さあ!」

「っ!」


 ぐいっと側付の手を引き、力任せに立たせる。怪我人に対して強引すぎたかと心配になったが、痛みよりもやはり驚きが勝ったらしい。逞しい腕をぽんぽんと優しく叩き、フィールーンは直立した臣下を見上げる。


「ありがとう、リクスン。今回もまた、私のお願いを聞き届けてくれましたね」

「フィールーン様……!」

「さすがはゴブリュードの――いいえ、私の騎士です。本当に、ご苦労さまでした」


 この一言に、リクスンはすぐに膝をついて頭を垂れる。


「なんと慈悲深きお心……ッ! このリクスン、やはりどこまでも貴女にお仕えいたします」

「い、いいから立ってくださいーっ!」



 通行人たち物珍しそうな注目を集め、結局フィールーンとエルシーが慌てる羽目になるのだった。

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