5−37 いらないっての

「オる……ゔぁ……っ、かは……!」

「申し訳ありません、バネディット様。もう少し鮮明な言語でお話ください」


 腹を貫かれたまま立ち尽くしている主人を見、使用人オルヴァは穏やかに応じる。セイルは不快感に眉を寄せた。


「お前……」


 セイルが胸元に掲げた大戦斧をがっちりと掴んでいる、巨大な手。ぬらぬらと輝く鮮血がまとわりつくその異形の手は、女の腹を突き破って伸ばされたものだ。主人と共に、近くにいた者を屠るつもりだったのだろう。


「ひ、ひえぇっ!? な、何でやんすか」

「こっち来い、タルトッ!」


 セイルが背にかばっていたタルトトの気配が移動する。目で追うと、狼の獣人が少女を退がらせるところだった。他の仲間や獣人たちも十分に距離を取っている。セイルは眼光を強め、凶行に及んだ男を睨んだ。


「どういうつもりだ、使用人――いや、“半端竜人”」


 絨毯へ滝のように流れ落ちる血を踏み、オルヴァはもう一歩横へと進んだ。耳障りな音が響き、夫人が苦しそうな声をあげるが構う様子はない。


「そのような呼び方。どうぞ今までと同じように親しく、ただのオルヴァとお呼びください」

「親しくはしていない」

「そうでしたね、これは失礼。けれど、ほら――これでどうです?」

「!」


 もう片方の手――こちらはすらりとした人間のものだ――を掲げ、指をパチンと打ち鳴らしてみせる。いまだ仲間たちの命を握っている宝飾品の存在を思い出したセイルは、急いで後方へと首を回した。


「ただのチョーカーに戻ってるわ!」


 遠くにいる妹が驚きの声を落とす。その手に何の変哲もない紐があるのを確認しつつも、セイルはさらに警戒を濃くしてオルヴァを見た。


「何のつもりだ」

「皆様の奮闘を讃えたまでのこと。このような品のない玩具、もう必要ありません」

「お……ま、え……ッ!」


 怒りと絶望が混ざった女の目がぎょろと動き、裏切り者を見る。彼女の口から太い血の筋が垂れるのを眺めながら、オルヴァは能面のような表情を崩さずに答えた。


「感謝の言葉は不要ですよ、元ご主人様。貴女の招いた失態の後処理は任されましょう」

「どう……じ、て……」

「貴女こそどうして、私のようなどこの馬の骨ともわからぬ男を雇ったのです? 綺麗な顔をしていることだけが雇用条件というのは、あまりに浅慮ですよ」

「がっ……ぎゃ、うがああぁっ!」


 女とは思えない、獣じみた悲鳴がセイルの耳を震わす。お喋りな心中の友も、さすがに言葉が出ないらしい。飛び散った血泡がびちゃりと頬に付着しても、元使用人は気にも留めず話し続けている。


「ああ、しかしお礼はお伝えしたいのです。この数年間で、獣人たちの生態はよく理解しました。たしかに彼らの身体は強靭です。これなら、“あの御方”に良きご報告ができるかもしれません」

「何言ってやがる! てめえも逃さねえぞ、クソ野郎!」

「ロロっ、だめでやんす!」


 騒がしい足音と声を響かせ、セイルの横から小さな影が飛び出してくる。ダガーを振り上げたロロヴィクだ。セイルは戦斧の柄から片手を離し、その薄い上着をつかもうとした。


「待て! ――ッ!」


 こちらの動きを予想していたかのように、異形の手に力が上乗せされる。がくんと身体が傾き、セイルの手は宙を掴んだ。片手では支えられない。戦斧を投げ出すべきだと決意した瞬間には、灰色の獣人は標的へと到達していた。


「てめえはここで殺すッ!」

「そう、もうひとつ理解したことがあります」


 誰もが捉え切れないほどの速さで、オルヴァの手がしなる。叩き落とされたダガーが床に落ちる音と、首を掴まれたロロヴィクがうめく声が重なった。


「が、ぁっ!?」

「身体は丈夫ですが、やはり君たちには頭が足りないということです。ケモノはケモノということでしょう。創造神はやはり残酷ですね」

「ぐっ……クソ、が……っ!」

「ロロヴィク!」


 少年の仲間たちが戦慄の声を上げ、一斉に背を丸める。しかし飛びかかる者はいない――セイルは鍔迫り合いの状態を保ちつつ、獣人たちへ目を遣った。どの顔にも、紛れもない恐怖が浮かんでいる。


「な、何なんだよ、アイツ」

「ばけものだ。あんなの、居ていいのかよ……」

「……」


 怯え切った声による呟きを耳にし、セイルはわずかに目を細めた。


(セイル)


 心中から友に静かに名を呼ばれ、青年はハッと現実に返る。敵は色のない曇天のような瞳で捕らえた獲物を見ていた。


「君には失望しましたよ、“心なき狼”さん。けれど遊戯の前に私がお渡した短剣をきちんと使用してくださったことには、感謝しています」

「それに塗ってあった毒なら、オレの妹が中和した」


 相手の動揺を誘うための言葉だったが、異形の手は戦斧を掴んで離さない。オルヴァはセイルの後方へと視線を投げ、狐のような顔で笑う。


「そうでしたね。でなければ、騎士の彼がああも元気なはずはありません」

「貴様ッ……!」

「精霊封じを施した牢に地精霊が現れたことも、それと意思疎通した者がいることにも驚いているんですよ。まさに収穫祭のような夜でした」


 騎士の憤りには取り合わず、オルヴァはひとりごとのように言う。その瞬間、かまいたちのような風が彼の細い腕を落とした。


「おや」

「かはっ! は、はぁ……ッ」

 

 喉から手を引き剥がして投げ捨て、ロロヴィクがよろよろと後退する。吹き出した血が壁を濡らすが、オルヴァはまったく動じずに自身の切り落とされた手を見下ろした。


「闘技場で言ったよね。次は腕を落とすって」

「アガト」


 褐色の指に風をまとわせた知恵竜が、暗い顔をしてセイルと並び立つ。


「余裕こいててもいいけどさ。女子供を痛ぶるのはやめなよ」


 オルヴァは納得したようにうなずき、肘だけになった腕で優雅に会釈した。


「世に名高き知恵竜どの、さすがにお早い魔法で。尊敬いたします」

「いらないっての。お前、そのヒトの影に潜んでたね? 魔術師なんかには出来ない芸当だ。けど、魔法使いでもない」


 夫人の大きな影の中で、セイルはたしかにうごめく別の影を見た。するとこの怪しい男は、この部屋でのやりとりをすべて聞いていたのだろうか。同じ考えに至ったらしい友が、難しい声を出す。


(これほどの力を持っていながら、バネディットを助太刀せずに傍観か……。この男はまったく別の目的を持って“使用人”を演じていたんだね)

「……ああ。だが、今は」

「それですよ、木こりさん!」

「!?」


 セイルに向かって急に言葉を放ったオルヴァは、今までにないほどの興奮を見せて言った。


「屋敷のいたるところであなたを観察していたのですが! それ、何なんです? 誰と話しているんですか?」

「お前――?」

「恥ずかしがらずとも結構! まさか、精神の中に精神を飼っているとでも? ああ、そうだとしたら――それがまさしくあなたの竜人としての強さや美しさであるというならば、私はぜひその仕組みを知りたいのです!」


 天を仰ぐように両腕を振り上げると、貫かれているバネディットの巨体も宙に浮いた。女の身体が大きく震え、ずるりと不安定に傾きはじめる。そこへ飛んできたのは、真冬とも思われるような冷気だった。


「フィル!? ど、どうしたのよ!」

「……っ」


 妹の絶叫にセイルが振り向いた先では、フィールーンが宙に向かって手を突き出していた。白い光がその手を包み、真剣な王女の顔を照らし出している。相当な集中を要する魔法なのだろう、額に汗が浮かばせて言った。


「あ、あのまま手を引き抜かれては、あの方は、死んでしまいます……っ!」

「フィル」


 セイルのとなりにいる彼女の師が、鎮痛な声を漏らす。セイルにも――そしてもしかすると、当の王女にも――哀れな女が辿り着く結果は見えていたが、それでも立ち尽くすわけにはいかなかった。


「ッ!」


 自由になった戦斧を振り上げ、セイルは絨毯を蹴った。胸の中心に魔力を掻き集めると、両眼から黄金の光が揺らめき立つ。翼を出すにも十分な広さを持つ部屋に感謝し、竜人は氷漬けになりつつある敵の腕へと迫った。


「ああなんと――なんという美しさ、強靭さ! まさに、“あの御方”のよう」

「じゃあそいつに伝えてくれよ。どこぞの玉座に収まってねぇで、そろそろ直接会いにこいってな!」


 ガキン、と大きな音を立てて大戦斧がオルヴァの腕を叩く。硬い――が、たしかに裂傷が走った。牙を剥き、セイルはいまだ余裕を保っている敵を睨んだ。


「てめえ、やっぱり竜人だな」

「そうそう! その戦斧にも興味があるんです。“遊戯”では間違いなく獣人を斬りましたよね? けれど死ななかった。どういう仕組みです」

「自分の身体で試してみろよ、変態野郎。だけどな、まずは外へ出やがれ!」


 戦斧を押し込む腕に力を込めると、腕だけを竜人化させたオルヴァは絨毯に跡を残しながら後退する。背後にあった豪奢な寝台に衝突しつつも、その顔から笑みは消えない。


「お誘いは嬉しいのですが、今宵はここまでにいたしましょう」

「あ?」

(セイル! もう一方の手を)


 賢者の警告が飛ぶより早く、オルヴァは迷いなくヒトの手で氷漬けになった異形の腕を落とした。その手にはすでに、失われたはずの手指が復活している。


「良い趣味とは思えませんが、こんなものが欲しいのでしたら――どうぞ!」


 バネディットと、彼女を貫く異形の手が含まれた氷塊。オルヴァは爽やかな声を投げつつ、それらを遠慮なく蹴り飛ばした。細足とは思えない力が加えられた氷塊が暗い部屋を舞い、最前列にいたローブの男へと迫る。


「ちょっとお!?」

「じいさん!」


 セイルは衝突地点に飛び込み、翼と手を広げた。背中に重い衝撃が走り、軽く呼吸が奪われる。尖った氷のいくつかが背の肉を抉るのを感じた。


「ッ、ぐ……!」

「セイちゃん」

「セイルさんっ!」


 駆け寄ってきた仲間たちの合間を縫い、視線だけで敵の姿を探す。皆の目がこちらに引き付けられた一瞬を逃さなかったオルヴァは、窓枠に長い足を颯爽とかけるところだった。


「待てよ、クサレ野郎――!」

「名残惜しいですか? 嬉しいですね。けれど色々と情報も手に入りましたし、私は満足ですよ。これから先、面白いものも拝見できそうですしね」


 笑顔の中にするどい眼光を潜めたまま、細面が部屋をぐるりと見回す。その視線が捉えたのはセイルではない誰かだったようだが、本人は灰色の目を満足げに細めた。



「どうぞ素敵な旅を。また会いましょう」



 やはり恭しい会釈を残し、狂人は闇夜の中へと消えていった。


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