5−29 内緒にしてくれますか?
まぶたの裏にこびりついた桃色の光が薄れるのを待ち、ようやくフィールーンは目を開けた。
小さな精霊と光の残滓が舞う中に浮かび上がったのは、向かいの牢の隅で座り込んだ少女の姿だ。
「え、エルシーさんっ! 大丈夫ですか」
「……」
反応がない。気を失っているわけではなさそうだが、エルシーは膝上の仲間――リクスンの横顔を見下ろして黙っている。その虚ろとも言える濁った瞳を見とめ、フィールーンはさらに大きな声で呼び掛けた。
「エルシーさん!!」
「……フィル? どうしたの、珍しいわね。大きな声を出して」
「ど、どうしたのって」
反応があったことは喜ばしいが、その呑気ともとれる発言に少々面食らう。どうやら記憶に混乱があるらしい。大きな力を行使した反動だろうか――フィールーンは背筋を伸ばし、なるべく簡潔に説明した。
「ここはお屋敷の牢です。“遊戯”で重体となったリンを、エルシーさんが治癒し続けてくださって……。けれど解毒方法がなく、困っていたところで」
「リンさん……? あっ!」
乱れた緑髪を揺らし、少女は慌てて騎士へと目を落とした。緊張した表情で彼の紅い肩へと手を添える。指の隙間から微細な光がこぼれた。
「……よかった。解毒は成功したみたい」
「で、では――!」
「危ない場面は脱したと思うわ。あとは安静にしておけば目を覚ますはずよ」
「あ……ありがとうございますっ! 本当に私、なんてお礼を言えば」
湧き上がる歓喜に頬を持ち上げたフィールーンだが、ハッとして表情を戻した。エルシーの細い両肩が小さく震えていることに気づいたのだ。
「よかった……ホント、に」
「エルシーさん……」
こちらの声が届いたのか、少女はぐいと手の甲で目元を擦った。次の瞬間にはいつもの快活な顔になり、フィールーンを見つめ返している。
「さあ、ここからが忙しいわよ! まずはあなただけでも脱出しなきゃね」
「えっ?」
「意識のないリンさんを連れてはいけないでしょう? それに、ごめんなさい……あたしも少し休まないと、動けそうにないのよ」
「そ、そんな! 謝ることなんて」
よく見れば、やはり友の顔には濃い疲労が現れていた。さきほど解毒の力を使う前に言っていた謝罪はきっと、このことだったのだろう。
「あ……」
顔の前に手を持ち上げると久々に、重苦しい手枷の存在を思い出した。
「そっちも簡単にはいかなさそうね。お兄ちゃんたちが来るのを待つって手もあるけど、この牢は少し見つけにくい位置にあるみたいだ……し!?」
「?」
途端に顔を強張らせたエルシーの視線を追い、フィールーンは背後を見やる。少し前と同じように、冷たい石壁を背に半透明の女が宙に浮かんでいた。
「ムクファさん! よかった、消えてしまわれたのかと」
『……』
フィールーンの嬉しそうな声に、屋敷の令嬢は穏やかに微笑みを返す。対してやはりまだ慣れないのか、エルシーが引きつった顔のまま言った。
「あ、あなたが言ったように……やっぱり何かこちらに教えたいことでもあるのかしら」
こくりとうなずいてみせるも、女は喋らない。エルシーはうーんと唸り、蜘蛛の巣が張った天井を仰いだ。
「この建物はそれほど広くないし、見張りも三下がひとりしかいない。大怪我人と女だからって見くびってるのね。それよりも屋敷や部下たちの立てなおしに忙しいみたいだわ」
「え、エルシーさん? どうしてそんな情報を」
「もちろん、“小さな隣人”たちから得たものよ。でも途中であのオルヴァとかいう従者が何か施したみたいで、風精霊の声は聞こえなくなったわ」
「……」
フィールーンは少し考え、無言で立ち塞がる鉄格子をコンコンと叩いた。もちろん硬いのだが格子の間隔は狭く、太さもそれほどない。
「フィル? まさか、竜人になって破壊しようって言うんじゃ――」
「あ、いえ……。そんなことをしたらたぶん、この建物ごと吹き飛ばしてしまうので」
「自信たっぷりに言わないでよ!?」
ぎょっとして身体を逸らしたエルシーに苦笑し、フィールーンはひとつ大きく息をした。ムクファも首を傾げてこちらに注目している。
「……今から私がやること、リンには内緒にしてくれますか?」
「友達の内緒話は大歓迎よ。でも、何をするの」
「ええと――ちょっとした学びの“復習”、です」
もうひとりの“竜人”のように、気が利いた文句のひとつでも言えたら格好がつくのだが。フィールーンは一度目を閉じ、暗闇の中に揺らぐ自身の魔力へと精神を集中させた。
「“すべてのものには水が巡る”……」
川のように蛇行する水の魔力を捕まえ、手の付近に留めて凝縮させる。肌を冷気がなぞった。師から学んだ“理”を復唱しつつ、想像を深める。
「“それらは凍てつけば刃となるが、過ぎたる力は塵へと還るのみ”」
しかし大事なのは、口に出す言葉ではない。想像が“創造”となり、己の前に実現されると信じる心――それが“魔法”という現象のすべてなのだ。
パキパキと季節外れな音が響く。フィールーンの耳に、友の驚く声がどこか遠く聞こえた。
「か、枷が凍っていく……!?」
その言葉に、王女はうっすらと目を開けて成果を見下ろした。鉄の枷――加えて、両手でしっかりと握った格子も――は今や霜が張りつき、その凶悪な色を濁らせている。密着している手首が、熱を持ったようにするどく痛んだ。
「ふぃ、フィル! それ本当に、大丈夫なの!?」
「は……はい。私、丈夫ですから」
エルシーの心配ぶりは臣下とそっくりだった。痛みに涙目になりつつも、フィールーンはそんな他愛のない共通点を見つけて微笑む。
「このまま、冷やし続けれ……ば!」
「きゃ!?」
流し込む魔力はそのままに、王女は両手首の拘束と冷やした格子を思い切り衝突させた。バキンッという大きな音が薄闇をつんざき、次いで金属が床に落ちてちらばるけたたましい騒音が響く。
「で、できた……! よかった」
「うそ、鉄が割れたの? 信じられない」
いまだ冷気をまとう、黒々とした破片たち。それから細い格子の残骸。鉄格子に人が通れるほどの隙間ができたことに確認し、フィールーンは胸を撫で下ろす。手首は赤紫色に変色し痛んだが、成果は狙い通りのものとなった。
「はい。“大体のものは凍らせれば砕けるもんよ”という、先生の教えを思い出して……。竜人である私の丈夫さを信じて、やってみたんです」
「なんてこと雑に教えてるのよアガトさん!? それにフィルも無茶しすぎだわ。手首ごと砕けちゃったらどうするのよ!」
額に手を当てた少女の発言内容はなるべく想像しないようにし、フィールーンは苦笑した。
「で、でも私も、“危ない橋”を渡り切れたようで、よかったです」
「……。はぁ、まあ上手くいったならよかったってことにしましょ。それで」
「――なんだァ、今の音?」
「!」
コツコツとブーツの音が近づいてくるのを聞きつけ、女たちは固まった。「見張りよ」とエルシーが口の動きだけで教えてくれる。慌てるフィールーンだったが、石床に散らばった鉄格子を片付けている時間はない。
「おーい、お嬢ちゃんたち。今さら暴れてくれるなよ」
蝋燭の明かりを持って現れたのは、黒服を着込んだ夫人の配下だ。こちらへ向けた気怠そうな目の下に、葉の冠を模した彫り物がうっすらと浮かび上がる。
「……!」
フィールーンの頭の中で、知識という書物のページが目まぐるしく送られていく。黙り込んだ囚人たちをよく見るためか、男が無遠慮に柵へと近寄った。
「って、うわ!? なんだこりゃァ、牢に穴が!」
白く濁った鉄格子を見、男はあんぐりと口を開けた。たしかにその様子は“三下”を思わせる。フィールーンは閃きに任せ、目元を厳しくしてうつむいた。
「……りです」
「あん?」
フィールーンの出した低い声に、見張りとその向こうにいる友までもがびくりと跳ねるのを感じる。
「
「なっ、なに言ってんだ、お嬢ちゃ……」
「それ以外に、人知を超えた力によって穿たれたこの穴の説明がつきますか? あなた方によって無残に殺された屋敷の者の恨み、無念……それらが招いた結果なのです」
「ば、馬鹿なことを……“お化け”なんて、いるわけが」
口調とは反対に青ざめていく見張りを見、フィールーンは不気味な笑みを浮かべてみせた。まだひりひりと痛む手を大仰に広げると同時に、背後の気配が大きくなる。
『……』
暗い顔をしてゆっくりと宙に滑り出たのは、エルフの女。音もなくはためく長いスカートを見上げ、見張りは腰を抜かして呟いた。
「あっ……あ、あ、あんたは!? たしか、この屋敷の」
「哀れな悪人よ。ひれ伏し、許しを乞うより他はありません。さもなくばこの方の大いなる怒りに呪われ、えーと、とにかくどんな物語よりも恐ろしい結末に――」
「フィル……フィルってば!」
エルシーの呼びかけにハッとして言葉を飲む。見れば、男は泡を噴いて通路に大の字になっていた。気弱な上に意外と信心深かったのだろうか、その指は神に懺悔するように組み合わされたままだ。
「もう、びっくりした。あなたって時々、演技派よね」
「そ、そんな。怖がらせてしまってすみません。けどこの見張りさんの刺青から、“世界樹信仰”の方なのではと思って」
「……。もしかして、その人たちもこういう“お化け”を怖がったり?」
「はい。彼らの教典には“恐れるべき罪の化身は、透けた身体で蘇る”という一節があります」
感心するような哀れむような目で男を観察するエルシーを横目に、王女はハッとして宙を仰いだ。
「ムクファ様も、失礼なことを並べ立ててしまって。あの、私……」
慌てて謝罪すると、“お化け”役に徹してくれた女が可笑しそうに肩を震わせる。その無邪気な笑顔を生身で拝めないことに一抹の切なさを覚えつつも、フィールーンも笑みを返した。
笑いが収まると、ムクファは牢をすり抜けて通路に浮かぶ。出口を指差し、こくんとうなずいてみせた。
「ついてきてって言ってるみたいね」
「は、はい……」
「こんなに頼りになる案内人は他にいないと思うわ。行ってきてくれる、フィル? さっきの地精霊の力を感じて、あの能面従者がやってくる前に」
「でも」
「あたしたちなら大丈夫」
疲労が滲んだ、しかし強い意志を浮かべた茶色の瞳。友の言葉を信じ、フィールーンは深呼吸して答えた。
「分かりました。必ず、助けに来ます――みんなで!」
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