5−22 なに、簡単なこって

 館で起きた騒動など知らぬ顔で輝く、見事な満月。


 少し肌寒い上空を音もなく飛び、竜人はかちりと上下の牙を打ち鳴らした。


「悪ぃな、タルト。小洒落た上着なんてもってねえんだ」

「……お気持ちだけ、いただいておきやす」


 腕の中におとなしく収まっているのは、金糸雀色のドレス姿をした少女――タルトトだ。夜空の先をぼんやりと見つめている彼女は、いつものはつらつさを欠いている。


 セイルは首をひねり、自身の長い黒髪がたなびく背後を見遣った。


「ついてきてるかー、アガトのじいさん?」

「いるよぉ、セイちゃーん。でもそろそろおじさん、降りたいかなーなんて」


 月光を照り返しながら上下に揺れているのは、紫の鱗だ。長い首の先にある尖った顔で器用に苦笑しているアーガントリウスは、最後に「いたた」とこぼす。


「派手な脱出劇だったからな」

「魔法で地上までの大穴を開けてもよかったんだけどね。“遊戯”のために囚われたヒトや獣人たちが、どこにいるかわかんなかったし」


 巨竜の姿を目にしたほとんどの者がセイルたちに道を空けたが、もちろん抵抗がないわけではなかった。


“獣人はなんとしても無傷で捕らえろとの仰せだ! いけ、いけーッ!”


 まだ癒えていない擦り傷や切り傷をさすり、知恵竜は小さく呻いている。セイルも地下を出てからはヒト姿で応戦したが、商人を護ることに徹したのでそれほどの傷は負っていない。


「にしても、やけにすんなり出してくれた気がするな」

「ま、俺っちたちが“商品”を取り返しに来るって確信してんでしょ。あちらさんにも被害が出てるし、ここは一時休戦ってコトで」

「……そんな暇、ねえっすよ。アーガントリウスさま」

「ん? どしたの、タルっち」


 大きな尻尾を揺らしながら呟いた商人に、知恵竜がきょとんとした声を返す。少女の顔がゆっくりと持ち上がるのを、セイルは黙って見ていた。


「うまい解決方法がありやすぜ――あっしをオトリに使うんでさあ!」

「タルト」


 こちらの声にも、商人は笑顔を崩さない。しかしそれは、切り貼りしたようなぎこちなさを感じさせるものだった。


「なに、簡単なこって。あっしを正門あたりに放り出してくれりゃあいい。ケガしたとでも喚いてたら、バネディット自らが飛んでくるはずでやんす。そしたらそのスキに、旦那はフィールーン様たちを救い出すって寸法で」

「穴だらけな作戦だな。そのあとお前を助けに行くんだから、二度手間になっちまうだろが?」

「……っ」


 わずかに口を開けたまま固まったタルトトを見下ろす。彼女が次の策を講じる暇を与えず、心中の友が言った。


(もちろん、タルトトを交渉材料に使うのも愚策だ。向こうには魅力的な人材が3人もいる。たとえ応じたとしても、あとで簡単に約束を違えるだろう)

「――って言ってるぞ、賢者サマは。他に妙案があるか、ともな」

「……手厳しいや。賢者様は」


 諦めたように苦笑し、獣人は口を閉じた。月光が差し込む隙がないほど細められた瞳は、遠くにある館へと向けられている。


「……どうして来ちまったんです」

「あ?」


 縞模様の浮いた指先を不安げにこすり合わせ、獣人はちらとセイルを見上げる。髪と揃いのオレンジ色の瞳には、戸惑いの光が差していた。


「皆さんの財産である宝石は――ちいと荒っぽい方法でしたが――ちゃんとお返ししやした。エルシーの姐貴の精霊が見つけてくだすったんでしょう?」

「ああ。ちゃんと全部あったらしいぜ」

「ならこんな危険な館にまで、あっしを探しに来なくても良かったはずでやんす。見てのとおり、これはてめえの過去の不始末が招いたことで」

「だからなんだよ?」


 セイルの促しに、焦れたように獣人は唇を噛み――甲高い声を出した。


「だから、見捨てて良かったって言ってんでやんすよ! あっしは皆さんと違って、ただの雑用と案内人です。代わりならいくらでもいる」

「それエルシーの前で言うなよ? なんで言わせたって、俺が平手打ちされる」

「だ、だって……! これ以上首を突っ込んだら、みなさんが」


 そこまで言ったあと、タルトトはふいと顔を背ける。とはいっても抱き抱えられている以上、その横顔はセイルの視界から消えることはなかった。


「旦那……」

「何だよ。寒ィか? ま、その格好じゃあな」

「へへ、どうにもくすぐってぇ言葉だ。つーか旦那、笑わねえんですかい」

「何でだよ。割と似合ってるぞ」

「……。相変わらず、正直なお方だ」


 感謝の言葉と共に、うつむいていた顔がゆっくりと持ち上がる。


「本当に、すまねえことをしたでやんす。あっしのせいで、皆さんが大変なことに……」


 沈みかけの夕陽と同じ色をした瞳が、気まずそうに伏せられる。


「り、リクスン様は大丈夫でやんすかね? エルシーの姐貴の力があったって、あんなに酷ぇ具合じゃ……!」

「心配ねえさ。あいつは丈夫だ」

「フィールーン様だって、あっしらのために相当な無茶をなさっちまった。タダで済むとは思えねえっす……」

「飛んでる最中は、いつものお喋りを控えとけよ。舌噛むぞ」

「……それでも喋り続けるのが性分ってもんで」


 上空の冷えた夜風が、彼女の呼気を白く染め上げる。しかし少女の肩が震えている理由が寒さによるものだけではないことに気づき、竜人は抱える腕に力を込めた。


「ねえ、旦那……。あっしね、思うんですよ」


 獣人の少女はどこか淡々とした声で続ける。


「どうして神さまって御方は、あっしたちみんなを、“同じ姿”に創って下さらなかったのかって」

「……」


 身体と同じく不安定に揺れるその声に、竜人はただうなずきだけを返す。


「どうして獣人って奴らに、こんな耳や尻尾や牙なんかを、お付けになっちまったんだろうってね……。いや、良いんすよ? ど偉い御方の大仕事に、あっしなんぞがクチを挟む気はねえんです。ただね……」


 優美なドレスの胸元をシワを寄せながら握りこみ、少女は牙を覗かせて吠えた。


「本当にただの気まぐれだってんなら一言、こう申し上げてやりてえんです――“この大バカやろう”って!」

 

 艶やかな布地を滑ってセイルの頬を打ったのは、真珠のような少女の涙だった。すぐに風にさらわれて後方へと流れていったその液体に振り向かず、竜人は静かに言う。


「話せよ。タルト」

「え?」

「あのクサレばばあ――バネディットのことを知らなきゃ、作戦の立てようもねえ。それにはお前が知ってる情報が要る」


 真剣な顔で申し出てみたというのに、それを台無しにするかのような気楽な声がうしろから夜風を追い越してもたらされる。


「そーよ、タルっち。騎士くんもなんかわけありっぽかったけど、俺っちとしては可愛い女子の秘めたる過去が気になるわあ。屋敷の周りで降りられる場所を選定する間に、聴かせてちょうだいよ」

「旦那、知恵竜さま……」


 自分のことを他人に話すのは意外に不得手なのか、タルトトはセイルたちを交互に見つめた。しかしやがて、いつもの流暢な話ぶりが嘘のようなか細い声で語りはじめる。



「――あっしがゴブリュードであいつらに出会ったのは、10のころでした」

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