5−23 調査でやんすよ

 タルトト・テルポットはごく普通の獣人だった。

 そして――その“普通”に耐えきれない獣人でもあった。


「ああ、いやになっちまう! ふたりとも、どうしてもっとデカい夢を見ないんでやんすか!?」

「そうは言ってもねえ、タルト。うちはじゅうぶん、暮らせてるじゃないか」

「そうよ。ラビエル王は、ずいぶんと獣人に良くしてくださっているし」


 質素なスープが入った椀を持ち、のんびりと答えるのは彼女の両親だ。一家揃っての豊かな巻き尻尾を揺らし、少し大きめの前歯を楽しそうに鳴らす。


「騎士隊の方も、この獣人街までよく見回りに来てくださっているわ。おかげで、心ない人たちが獣人をからかう場面も減ったでしょう。お父さんに仕事が来たのだって――」

「だから! そういう受け身で、施されてるカンジがイヤなんでやんすよ!」

「タルトはむずかしい言葉を知ってるなあ。また市場を見に行ってたのかい」


 やんわりと話す父の言葉には、幼い自分を心配するような響きが含まれている。そのことにさらに腹を立てつつ、少女はドンと拳で木机を打った。


「将来のための調査でやんすよ。あっしは与えられた仕事で決まった給金をもらうだけの暮らしなんて、まっぴらなんでね!」

「その商人言葉、可愛くないわよぉ」

「なにか欲しいものでもあるのかい? 高いものじゃなければ――」

「っ、もういいっす」


 上手く主張が通らないことに辟易し、タルトトは荒々しく家を飛び出した。父が大工仕事でもらってきた端材で遊んでいる小さな弟妹たちを横目に、つんと顎を上げて大通りへと歩いていく。


「……べつに、あんたらの稼ぎが不満ってわけじゃねえんだ。よくやってると思ってるよ」


 言えなかった言葉をぽつりと曇り空へ浮かべた。そう、現代の獣人はそこまで悪い暮らしをしているわけではない。身体能力を極め、栄えある騎士隊へ入隊を果たした者もいると聞く。


 現に少女の家も、7人家族が毎日食べていけるだけの営みができているのだ。それなのに、いつもこの心には重いものが渦巻いている。きっと、それは――。


「いらっしゃい、いらっしゃい! どなた様も近くに寄ってご覧あれ! 本日仕入れましたのは、世にも珍しい珊瑚の筆具――」

「お客さん、まさかそんな三流品を買うか悩んでいるんじゃないでしょうね? うちのテントはご覧に? そりゃいけねえ、財布は一度仕舞っておくれよ」


 城下の心臓部である、ゴブリュードの大市場グランドマーケット。意識せずともたどり着いたその場所を仰ぎ見、少女は大きく息を吸い込んだ。スパイスと果物、それから古い陶器や布の香りが黒い鼻をくすぐる。


「ああ、やっぱここは良いや。この熱気、たまんねえっす」


 八方から聞こえてくる活気ある商人の呼び込みに、沈んでいたタルトトの心は躍りはじめた。そう、ここは夢の集まる場所だ。自分の手腕ひとつでその日の稼ぎがきまる。己の頑張りが、正当に評価される場所なのだ。


「おっ、また来たのかい。リスちゃん」

「こんにちは、ティグトさん! 今日もテントの隅で、商いを見させてもらってもいいっすか? それに……よければ、品出しくらいできやすが」

「へえ、もう品物の場所を覚えちまったってか? 獣人にしちゃ優秀だなあ」

「ん……ま、まあね」


 他国の品物を並べているテントの下で、馴染みになった店主が豪快に笑う。悪い男ではないのだが、やはり“ヒト”の考えにそった発言をすることがあった。タルトトはちくりと痛んだ胸を押さえつつ、いつもの通りテントの暗がりに待機する。


「よし。今日もいろいろと“盗ませて”もらうっす」


 給金もない、ただの見学兼小間使いのような役割。それでも少女は常に三角耳をぴんと立て、数週間でありとあらゆる商いの基本を学んだ。


 効率の良い勘定のやり方、値切ってくる客との攻防。新規客への魅力的な声かけ。そして帳簿への美しい書き入れ方――。

 そのすべてが少女の目には輝いて映り、いつか自分もこの大通りに店を構えることになったら、と想像しては胸を焦がしていた。


 そんなある日のことだった。

 初夏だというのに豪奢な黒い服を着た、あの夫婦がテントを訪れたのは。


「ごきげんよう。ミスター・ティグト」

「ん? おお、こりゃ驚いた! バネディットさんじゃありませんか」


 ハーブの束を数えていたタルトトは、明るい店主の声に振り向いた。背の高い初老の紳士と、彼の2倍ほどの身幅をもつ夫人が目に入る。2人の服が黒いせいか大通りの日差しがほとんど遮られ、テント内が暗く滲んでいた。


「お噂はかねがね。ご夫婦は、最近はカルメアのほうで幅を利かせいらっしゃるとか」

「まあ、光栄ですわあ。わたくしたちもちょっとした仕入れがあって、この古巣に立ち寄りましたのよ」

「そうでしたか。まあこの店には、おふたりに必要なモノなんて――」

「その子は?」


 すっと音もなく持ち上げられた女の太い指が示す先――それが自分だと知り、タルトトは仰天した。取り落としたハーブの束ね紐がほどけ、パラパラと敷物の上に散らばる。


「あ、あっしでやんすか」

「わたし、と言いなさい。娘」

「えっ? あ……」


 相手が上流階級の客であることを意識できていなかった。そういえばいつもの気さくな店主も、どこかかしこまった言葉遣いをしている。観察が足りていなかった自分に頬を赤らめ、タルトトはできるだけ身なりを整えて夫婦に身体を向けた。


「――失礼しました。わたしのことでしょうか、奥様」

「よろしい。頭は良いみたいですわね」

「は、はあ……。最近手伝いに来てくれている子なんですよ。けど、ただのしがない獣人娘で」

「何ですと?」


 恐縮した様子のティグトにずいと顔を寄せたのは、黙っていた紳士だった。丸メガネの奥で、灰色の瞳がらんらんと燃えている。


「君、君! 今、獣人を軽んじたのではないだろうね、え?」

「ば、バネディットさん!? い、いえ、自分は決して」

「獣人はすばらしい種族だ、そうは思わんかね!」


 勘定机のかどに店主は腰を打ちつけたが、紳士は長い身体をぬっと店の中に乗り入れて唾を飛ばした。


「優れた身体能力、そして神によって造られた愛らしい見目! 教えれば呑み込みは早く忠義に熱い、信頼のおける種族――それが獣人なのだッ!」

「は、はい、おっしゃる通りで」

「しかし王都は――ゴブリュードの一族は、まことになっていない。彼らを鳥籠のような一画におしこめ、簡単な仕事に従事させてばかり。彼らはもっともっとその力を、そして魅力を押し出していくべきだ! そうだろうッ!?」


 机から釣り銭箱が落ち、けたたましい音がテント内を支配する。ようやく口を閉じた紳士は、あの熱弁が嘘のように静かになった。呆然としていたタルトトに、今度は夫人が声をかける。


「聴きましたでしょう、娘。あなた――自分が輝ける場所が欲しいと思ったことはありませんの?」

「えっ……!」


 心臓が高鳴り、無意識に尻尾が膨れあがる。タルトトはじわりと汗ばんだ手を握り、興奮に上気していく身体を抱きしめた。雑踏の声が遠ざかっていく。


「わたくしたち、あなたのような魅力的な獣人たちとお仕事を共にしておりますのよ。各地に拠点を構え、それぞれの能力を引き出すお手伝いをさせていただいていますわぁ」

「じ、獣人と……?」


 城の近くに住んでいそうな、この上等な身なりをしたヒトたちが。自分を魅力的だと言い――必要だと望んでくれている。どこか頭の隅で鳴っている警鐘を無視し、少女は挑むような瞳で夫婦を見上げた。


 ごくりと唾を呑みつつも、なるべくはっきりとした声で告げる。



「お話を、聴かせてください」



 この一言で、己の運命を手放すことになるとも知らずに。


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