5−21 この頑固弟子ってば

 仲間を解放したセイルは続けて、自分の首に戦斧の刃を当てがった。夫人とその用心棒たちが揃ってぎょっとした顔になるが、かまわず横に滑らせる。


 音もなくチョーカーが分断されると、首にまとわりついていた重い気配も消え去った。夫人が目を剥いて叫ぶ。


「なっ……チョーカーだけを斬った!? どうなっていますの、その斧は!」

「なに、少し呪われちまってるだけさ」


 おどけて言った直後、心中からどこか硬い声が届く。


(せ、セイル……)

「何だよ、賢者? 珍しく驚いた声じゃねえか」

(だって君、今は竜人なんだよ? なんともないのかい、首)

「ああ。そういやそうだったな」


 ひょいとタルトトを抱え上げつつ、セイルは気のない声で答える。


「けど、なんでだろうな。はもう、俺を斬ろうとはしてねえ気がすんだよ」

(それは……戦斧になんらかの変化があったということかい?)

「知らねえよ。声だけ仲間同士、訊いてみりゃいいだろ」


 セイルは一旦そう締めくくると、腕の中でなにやら居心地の悪そうな顔をしている少女を見下ろした。


「怪我はねえな? タルト――いや、タルトトお嬢さまって呼んだほうがいいか」

「や、やめてくだせえよ! あっしは大丈夫でやんすから。それより」

「てっ、天井が落ちるぞぉ! 離れろーっ!!」

「!」


 背後の悲鳴が大きくなったことを聞きつけ、セイルもタルトトも言葉を飲み込んだ。大きな瓦礫が積み上がっていく音が響き、土煙がもうもうと立ち込めている。


「話はあとだ、商人。まずはこの埃っぽい館を出るぞ」

「そうはいきませんわ――オルヴァ! オルヴァはどこにいったの」


 夫人の怒声に返答はない。狂ったように使用人の名を叫ぶ女主人に、まわりの手下たちも焦りを見せる。


「あの厄介な使用人はいないらしいな」

(すでに逃げ出したか、それとも中央の騒ぎに駆けつけて瓦礫の下敷きにでもなったか――とにかく好機じゃないか、親友)

「だな!」

「うひゃああっ!?」


 翼を一度羽ばたかせ、セイルは矢のように中央へと飛んだ。時折降ってくる瓦礫の滝を回避すると、目を回したらしいタルトトが呻く。悪いがかまっている暇はない。


 先ほど戦った場に近づくにつれ、地面に空いた穴の数が多くなっていく。焼け焦げたものもあれば、氷の塊が散乱している部分もあった。派手なその有様にセイルが可笑しそうに喉を鳴らすと同時に、見覚えのある白い背中を視認する。


「おーい、姫さん!」

「セイル!」


 振り向いた竜人姫――フィールーンは、セイルとタルトトの姿を見とめると顔を輝かせる。乳白色の鱗に覆われた頬が持ち上がった。


「遅いぞッ! だが無事だったか。ふたりとも、よく戻った」


 竜人となった彼女を見るのも久しぶりだ。ドレスは煤で汚れて黒ずみ、端々は破けさえしていたが、セイルにはやはり不思議と好ましく感じられる。


「うう……ば、ばけもの……」


 周りに転がっている用心棒たちにも、死者はいないらしい。魔法のあとは豪快なものの、きちんと力を制御できるようになってきたのかもしれない。上々の出来に感心しつつ、セイルは獣人を抱え直して言った。


「大暴れご苦労さん、もう奪還は済んだぜ。エルシーと騎士野郎は?」

「こっちよ、お兄ちゃん! 来て、リンさんを運ばなきゃ――」


 土煙の中から聞こえた妹の声に、セイルも表情を明るくする。しかしそちらに向かって一歩を踏み出した瞬間、聞きたくもなかった音が耳を掠めた。


 ――パチン。


「うっ!? あ……がっ!」

「フィル! まさか」


 指鳴りに続いて響いたのは、上等な紳士靴が立てる足音。首を押さえてかがみ込んだフィールーンと彼女を気遣うタルトトの前に立ち、セイルは戦斧を構えた。


「ようやくお揃いですね。お客様」


 煙の奥から浮かび上がるようにして姿を現したのは、やはり使用人――オルヴァである。彼がチョーカーに仕込んだ術を発動したということは、セイルたちのすぐそばまで来ていたのだろう。


 竜人の警戒網をもかいくぐる男の不気味さに、セイルの声も自然と低くなった。


「……てめえこそ、そのお客様を放っぽり出してどこ行ってやがった」

「申し訳ありません。すぐさまこちらへ出向いたのですが、お仲間に呼び止められてしまいまして」


 相変わらず完璧な会釈をしつつ答えたオルヴァに、セイルは金色の目を細めた。同時に、心中の友がハッとした声をこぼす。


(――師匠せんせい


 この場に顔を出していない仲間はただひとりだ。まさかあの知恵竜に限ってと思うが、竜人の視線はすばやく四方を巡る。


「うぉりゃああーっ!」

 

 ゆらりと大きく土煙が膨らみ、次いで発生した竜巻のような強風が身体を煽った。背中で受けたタルトトが悲鳴を上げて転がる。


「あんま竜ナメんじゃないよ、この生意気坊主! げほっ」


 天井近くから落ちてきた声の持ち主が、ぬっとセイルたちに影を落とす。竜の姿に戻ったアーガントリウスだ。


「アガトのじいさん! チョーカーは」

「物理的かつ魔法的に引きちぎったよ。相当量の魔力を流すから、あんまやりたくなかったけど……いたた」


 紫色の鱗に覆われた太い首を器用に前脚でさすり、竜は恨みがましそうな声で続ける。


「お前ね、職場愛ってのはないわけ? 気絶した用心棒たちを操って俺っちにけしかけるなんて、どうかしてるよ」

「恐れ入ります」

「褒めてないっての。薄気味悪いヤツだわ、ほんと」


 心底からの嫌悪を覗かせ、アーガントリウスは舌打ちをする。セイルと苦しむ仲間たちを見下ろした後、使用人にどすの利いた声を投げつけた。


「その趣味悪い術を、今すぐに止めな。腕を落とすよ」

「首を落としてくださったほうが早いですよ。指を鳴らすのはただの癖ですから」


 本物の竜を眼前にして、よくぞこれだけ平静でいられるものだ。現に観客のいく人かは腰を抜かし、泡を吹いている者もいる。


「それに私が息絶えた時点で、術の効果は最大限に高められます。貴方様が見たくもないものがことになります旨、ご了承くださいませ」

「お前……!」


 物騒な牽制をしかける時でさえ、使用人の顔には表情ひとつ浮かんではいない。その得体の知れなさにセイルは顔をしかめたが、何かがブーツのくるぶしをがしりと掴む感覚に振り向いた。


「い……け……! セイ、ル」

「何言ってんだ、フィル」


 竜人の魔力をもって抵抗しているのか、喉を押さえつつもフィールーンが身を起こしていた。彼女は戸惑うタルトトの背をぐいとセイルへと押しやる。


「先生と、お前たち、だけなら……逃げ、られる。はやく!」

「できるわけねえだろ!」

「そうでやんすよ!」


 荒い息を落としつつ、フィールーンは震える指でセイルの向こうを指差した。見ると、土埃が晴れた場にふたりのヒトが横たわっている。チョーカーの圧迫に気を失ってしまったらしい妹と、いまだ血だまりの中で動かない騎士だ。


「奮戦した、臣下と……友達を、置いていけるはず、ない……だろう? あたしは、のこる」

「んなこと言っても、お前さん――! ッ」


 セイルが否定の言葉を口にしようとした瞬間、バキバキと音を立てて地面が隆起しはじめる。そのひび割れがフィールーンが地につけた掌から始まっていると気づき、セイルはタルトトを抱えて宙へと退避した。


「アガト……先生。みんなを、たのむ」

「フィル!」

「はいはいわかったよ、この頑固弟子ってば。セイちゃん、この場は退こう」

「……っ、くそ」

「俺っちについてきて。竜っぽく派手に脱出するから。ああ痛そぉ」


 闘技場の端まで届きそうな翼を左右に広げると、ますます地下が騒がしくなった。アーガントリウスのすぐそばまで移動しつつ、セイルは離れていく仲間たちを見下ろす。


「!」


 ぼうっと青白い光が溢れ、半球型の防護壁が彼らを包み込んだ。その中心でこちらを見上げるのは、陶器人形のような顔をした使用人だ。


「皆さまのことは、この私が責任を持ってお預かりいたします」

「てめェ……!」

「またお会いできることを、主人ともども楽しみにしておりますね」


 商品としての価値は微塵も落としたくないのだろう。皮肉にも、仲間の安全は彼に託しておくのが今は確実らしい。牙を唇に沈めつつ、セイルも翼を広げて加速の体勢に入った。


 最後に見たのは、白い鱗の中でかすかに輝く金色の瞳。


「たまに、は……。心配する側になって、みるんだな……セイル」

 


 崩落による瓦礫の雨が降りしきる中、その声は妙にセイルの耳に残った。


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