5−20 信じてやすぜ

 王女の身体が白く発光すると同時に、爆発するようにして魔力が迸った。それは目に見えない不思議な力――ではなく熱球のような質量をもち、地下の天井へと衝突する。


 すさまじい風と熱気にさらされ、客たちは木の葉よろしくなぎ倒された。


「うっ、うわああ!? なっ、なんだ、何が起きて――」

「危ないぞ、あれじゃ天井が落ちるかもしれない! 退がれ、退がれ」


 水をかけられたアリの群れのように、観客たちが逃げ惑う。ある男は仮面を投げ捨て、ある女は先に自分を通せと連れのショールを掴んで叫びだす始末だ。


(なんとまあ。“大暴れ”の役目を横取りされてしまったね、セイル)


 阿鼻叫喚の中にあってもなお穏やかな声。心中から響いてくる友の声にうなずきながら、青年――セイルは、衝撃で亀裂が生じてしまった地面を踏みしめる。


「!?」


 中央から吹きつける粉塵の中、自分の見張りをしていた男が振り向いた。歩き出そうとするセイルを見、どこかぎょっとした顔になって叫ぶ。

 

「お、おいてめえ、動くんじゃねえ!」

「逃げないのか、用心棒。あとはお前だけだぞ」


 セイルの勧めに、用心棒を務めるならず者はあたりに目を凝らす。ヒトの目にも、場に残った黒ずくめが自分だけだということが確認できるだろう。


「う、ううっ……」


 闘技場の反対側に控えていた用心棒たちは夫人の命令に従い、異様な変化を遂げようとしている王女を止めに走ったらしい。しかし全員が、彼女が放った衝撃波にことごとく倒れてしまっていた。


「許さないぞ……」


 竜巻のように砂塵が舞う中央から、低い女の声が漏れ出てくる。


「不条理の権化ごんげめッ! この穴蔵ごと、あたしが消し飛ばしてやる!!」

「な、なんだ女、お前どうして――ぎゃああああっ!」

「ばっ、化け物だぁッ――うあああーっ!?」


 驚愕の声に重なったのは、赤や青の光。小規模の魔法だ。通路の奥から現れたらしい増援は、哀れな悲鳴ひとつ上げて静かになった。


 その様子を見た用心棒は、ぎこちなく振り向いてセイルを仰ぎ見る。背からはみ出す大戦斧を恐々と見つめ、引きつった笑みを浮かべた。


「あー……つまり、非常事態だな? これじゃ、職務遂行は厳しい」

「断念する理由が要るなら、くれてやる」

「うぐっ!」


 セイルはヒトの目では追えない速さで手刀を繰り出し、男の意識を刈り取った。しかし見張りが倒れる音はひとつではない。同じような音が響いてきた方向を見ると、粉塵を払いながらアーガントリウスが現れた。


「派手におっ始めちゃったねえ、あのコは」


 魔法の残光がまとわりつく指先で頬を掻き、知恵竜は主催者たちのいた観覧席をちらと見る。なにやら女の怒号と慌ただしい足音が聞こえてくるが、その姿はセイルにも視認できない。


「どうやら対象物を視界に入れてなきゃ発動できないらしいね、この素敵なチョーカーちゃんは。変化と同時に目くらましを展開するなんて、我が弟子は優秀だわあ」

「……竜人状態のあいつが、そこまで考えられるか?」


 素直な疑問をぶつけると、王女の師をつとめる竜は長い指を左右に振る。


「ふふふ、実はそっちの訓練もしてたのよ」

「訓練?」

「うん。アセンビア湖ではかなりの自我を保てていたという事実を元に、竜人化における魂の在り方を再定義したわけ」

「なるほど。テオ、訳をたのむ」


 即座に助けを求めるセイルに、心中から苦笑とともにテオギスの声が返ってくる。


(つまり今のフィルは、若干の自我制御が可能ということだね。僕が思うに、変化の際にあふれる意識のりどころを変更したんじゃないかな?)

「拠りどころ?」

(そう。怒りに任せた力の発散ではなく――仲間を守るための、力のさ)


 テオギスの言葉が途切れると同時に、メキメキと不吉な音が地下に響き渡った。客たちの多くが心配していたことが実現しようとしているらしい。


「時間がない」


 すでにいくつかの石の破片が降りはじめた場へ向け、セイルは駆け出そうとした。しかしローブの袖をひるがえし、知恵竜が静かに言う。


「セイちゃん、中央のことは俺っちが」

「アガト」

「その斧とこの煙幕が揃えば、やれることがあるっしょ?」


 くいと親指で後方を示し、アーガントリウスは砂塵の中へと歩き出す。その紫色の髪がなびいて消えていくのを見送り、セイルは胸の中心に魔力を集めた。


 紳士服の背中へ、ごく静かに黒髪が滑り落ちる。翼がバリッという音を響かせてその一張羅を食い破った。


「……まったく。いいとこ取りは勘弁だぜ、姫さんよ」


 紺碧の鱗が浮き出たぶん、この格好をさらに窮屈だと感じてしまう。調子を確かめるため腕を曲げ伸ばししていた竜人セイルに、友が陽気な声をかけた。

 

(焦ることはないさ、竜人殿。もうひとり、“囚われの君”がいるじゃないか)

「まあな――行くぜ!」


 思いきり地を蹴り、翼を広げて低く滑空する。大混乱の観客たちを横目に、セイルは一直線に主催者が座す物見席を目指した。


「お客様を広間に誘導なさい! 今宵の失態が漏れないよう、“土産”を持たせなくてはなりませんわ。それから、館の外の見張りに連絡を――」

「ご立派な商魂だな。けど、自分の心配もしたほうがいいぜ!」

「なっ――お前!」


 砂埃の渦から飛び出したセイルを見とめ、バネディットが目を剥く。それは這い上がってこれないはずの高さにある場所に到達したセイルへの驚愕か、それともこの異形姿への困惑か。


「だっ……旦那ぁ!?」


 もうひとつの悲鳴に、セイルは口の端を吊り上げる。目標物である獣人――タルトトの眼前にトンと着地すると同時に、背から大戦斧を取り上げた。


「待たせたな、タルト!」

「ひっ、お前な、なにを――!」


 セイルが大上段に振り上げた大戦斧を見、夫人を含めた屋敷関係者は全員身構える。


「そこでじっとしてろ。できるな?」

「へ――へいッ! もちろんでやんす!」


 商人はドレスに包まれた体で直立し、ぐいと顔を天井へ向けた。縞模様が浮いた細い喉で光る、黒々としたチョーカーがむき出しになる。


「信じてやすぜ――旦那!」


 こちらの意図をすばやく察してくれた少女の賢さに、セイルは満足げに笑んで呟いた。



「良い子だ」



 大戦斧が銀の尾を引いて振り抜かれ、少女を戒めから解き放った。


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