4−26 触んないでくれる?

「お前が世界に絶望していることは知っている。知恵竜、アーガントリウス」

「……」

「フィルっ! 前ーッ!!」


 湖面から叫び声として届いた忠告に、フィールーンはどこか冷静な表情で敵を見据えた。神経が研ぎ澄まされたのか、怪物の動きが先ほどよりも鈍く映る。


「邪魔するな!」

「ギャッ!」


 フィールーンが伸ばした腕に魔力を込めると、植物の蔓が伸びるように光が広がった。完全な球体となって自身を覆うと同時に、敵の攻撃をはじく。


「防護魔法、使えんのね」

「いや、セイルの見よう見まねだ。とりあえず、凌げればいい――そんなことより!」

「う」


 ぎろりと金の瞳を細め、話題を逸らすことに失敗した知恵竜が身を竦める姿を睨む。防護壁を傷つけようと躍起になっている半端竜人を差し置き、フィールーンはするどい声を放った。


「お前は約束したじゃないか。保護主である、アイリーン様に――“待っている”と」

「……。若い頃の話だよ」

「いいや、老いたって約束は古びない。でなければ今、お前がそんな苦しそうな顔をする理由が見つからないからな」

「!」


 竜人王女の指摘に、アーガントリウスは褐色の頬をわずかに引きつらせる。


「半端竜人、そして奴らを増産している“黒幕”……そいつらは今も、次の犠牲者を探しているに違いない。組織とやらの動きが活発になれば、大規模な竜人化が発生することもあり得るだろう」

「……そうなりゃ、大事件だね」

「ああ」


 実際に、城を襲った半端竜人たちについての調査は難航している。

 王都を経って数日後、伝令を使って届いたカイザスからの報告書にはこう記されていた。


『城内、そして王都内で行方が分からなくなった者はいない。旅行者や流れの者、あるいは国外から捕らえてきた者である可能性が高い。十分に警戒せよ』


 フィールーンがその内容を伝えると、知恵竜は表情を曇らせる。やはり彼の中には世を憂う心が残っているのだと確信し、王女はふたたび言葉を紡ぐ。


「あたしはこの身体をどうにかしたい。けどそれ以上に、世を乱す奴らを放っておくわけにはいかないんだ!」

「……ご立派な心意気。さすがは王女サマだな」

「逃げるな、アーガントリウスッ!」


 その言葉には魔力など篭っていなかったが、びくりと竜の身体を震わせる。


「お前は立派にやってきた。困窮する者たちを見返りなしに救い、知恵を求める者には余すことなく与えた」

「……」

「世界中のどこにでも、お前の功績を讃える書物が存在している! 正直、ものっっすごく羨ましい!」

「正直すぎない、それ? 竜人ってみんなそうなの?」


 その一言には取り合わず、フィールーンは牙を剥いて叫んだ。


「だから世界を――自分を、諦めないでくれ!」

「!」

「自分には何もない、と言ったな……ッ!」


 防護壁を維持するために伸ばした腕が震え、王女の頬を汗が伝い落ちる。半端竜人が凶悪な尻尾を壁に打ちつけるたびに、魔力が削り取られていくのを感じた。時間がない。


「たしかに、かつての友たちは逝き……さらに世界の汚さを知って、お前は絶望したかもしれない。けどそれは、これからの未来をも諦める理由にはならないだろう!?」

「でも俺っちには……やっぱり、もう何も」

「あるッ!!」


 知恵竜を遠慮なく指差し、王女は吠えるように告げた。


「あるじゃないか、アーガントリウス・シェラハトニア――愛する人からもらった、素晴らしいその名が!」

「!」


 ついに大きな亀裂が壁を走り、敵が手応えの雄叫びを上げる。

 フィールーンは歯を食いしばり、一段と大量の魔力を腕に込めた。


「お母様から、何度も……お前の名を聞かされて、育った……!」

「姫ちゃん」

「慈善の、竜……。乾いた田畑に、雨を恵み……病の温床となっていた洞窟を、清め……不思議で便利なからくりを、もたらし――そして」


 ばきん、とひときわ大きな音を立て、怪物の爪が防護壁に侵入を果たす。パラパラと降ってきた輝く魔力のかけらを顔に浴びつつも、王女は語り続けた。


「自分の魔力におののき、世からはみ出していた者たちを“弟子”にとり……生きる道を、示した……偉大な、竜の名。それが……“アーガントリウス”だ」

「……!」


 たくさんの絵本や伝記を並べ、嬉しそうに語っていた母。少しの嫉妬さえ覚えたことを思い出し、フィールーンは場違いな微笑みを漏らした。


「きっとお母様も、お祖母様も……同じように、語り継いできたん、だろう……。エメラルドの瞳を持つ、聡明な女王の代から――ずっと!」

「姫ちゃん……」

「あたしにも一部、同じ名が入っているんだ。不甲斐ない姿を……見せるな!」


 じりじりと距離を詰めてきた爪が、ついにフィールーンの額を擦る。するどい痛みと共に、熱い液体が鼻の横を滴った。


「……本当に、あいつにまた会えるなんて思ってんの? もう800年も待ったよ」

「当たり前、だッ……! あたしは、どうしようもなく……夢想家、だからな。けど――良き未来を追う者が、良き夢を見なくて……どうするんだ!?」

「!」

「これでもなお、悩むことがあるというなら――!」


 勢いよく頭を振り、フィールーンは大魔法使いの顔を睨んだ。血の滴が壁の内側に飛び散り、熱によって蒸発する。


「やはり今すぐ、あたしを弟子にしろッ! これで生きる理由ぐらいにはなるだろう!?」


 伝えたい言葉は放てたものの、代わりに魔法への集中が途切れる。その一瞬の隙をつき、半端竜人は体当たりするようにして防護壁を完全に打ち破った。


「く――あぁッ!!」


 鉄球のような硬さを持つ尻尾に打たれ、フィールーンは重力に飛び込むかのごとく落下した。ちょうど湖面からせり上がっていた世界樹の根に背中をぶつけ、息が止まる。


「か、は……っ!」

「フィル!」

「姫様ッ!! 動かないでください! 今、参ります!」


 仲間たちの悲鳴に重なる、大きな水音。飛び込んだ側付がこちらへやってくるつもりなのだと知り、フィールーンはかすむ視界の中で呼び掛けた。


「く、るな……! リク、スン」

「ガアアアッ!!」


 湖面を震わすその勝ち誇った咆哮に、自分を覆った影の正体は敵の竜人なのだと予想した。身を強張らせたフィールーンはしかし、目の前に浮いている色が黄色ではなく紫であることに気づく。


「あーあ。どうにも青臭くて、見てらんないわ」


 巨体に似合わぬ涼しい声を聞き、王女は色違いの瞳を瞬かせた。

 左右が交差していた視界がだんだんと現実味を増し、やがて知恵竜の姿を捉える。


「あ……アーガントリウス……!」

「言ったよね。狙撃するような細かい魔法は得意じゃないって。俺っちが好きなのはね――魔法らしく、ドカンと派手で美しいやつ」


 竜が輝く爪を有する掌を開くと、瞬時に七色の光が球体となって渦巻きはじめる。そこに込められた膨大な魔力に、フィールーンの鱗肌が粟立った。


 到着したリクスンがその光景を見上げ、ずぶ濡れの顔を引きつらせた。


「あ、アーガントリウス殿!?」

「湖のカタチが変っちゃっても不問ということで、ひとつよろしく。騎士くん」


 フィールーンの視界の端では、引き連れていた精霊に慌てて防護を頼むエルシーの姿が映っている。しかし王女は、目の前で展開される完璧な魔法に目を奪われていた。


 圧倒され動けないでいる襲撃者を見据え、大魔法使いは手短に別れを口にする。



「一介の雑魚ごときが――俺っちの“弟子”に触んないでくれる?」


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