4−24 上等だ

 どうやら自分は足技を振るうのに向いているらしい、と竜人――フィールーンが気づいたのは、敵である黄色い化け物の脇腹に手痛い一撃をお見舞いした直後だった。


「ギャウアァッ!」


 王女の背丈の倍はあろうかという襲撃者の巨躯は吹き飛び、大きな水柱を立てて少し離れた湖面へと激突する。ちょうど木の根でもあったのか、ドゴンと鈍い音が響き渡った。


「ふん、軟弱者が。乙女の足蹴り程度で、なんというザマだ」

「ひ――姫様?」


 ナイフを構えた体勢のまま、側付がぽかんとした表情でこちらを見上げている。フィールーンは白い翼で風を捉え、彼が足場としている根へと降り立った。


 琥珀色の瞳を丸くしている臣下に、王女は凛とした声を向けて労う。


「救出ご苦労だった。リクスン」

「は……はい。勿体ないお言葉です」


 面食らっているものの、騎士は姿勢を正して濡れた金髪頭を垂れた。フィールーンは真摯な表情を浮かべてうなずき、次いで怪我人の元へと屈み込む。


「セイル! 大丈夫か、しっかりしろ」

「……」

「くっ――!」


 ぐったりした木こりを見たフィールーンは、躊躇することなくその胸板に頬を押し付ける。白い髪が血で汚れたが、構わず王女は青年の鼓動に耳をすませた。


「心音は……問題ないな、たぶん。大体こんな感じだろう、たぶん」

「ひっ、ひ、姫様ぁ!?」


 先ほどまでの勇猛さはどこへやら、リクスンはこの世でもっとも恐ろしい光景に遭遇したかのような悲鳴を上げている。

 フィールーンは意識不明の青年にぴたりと身を寄せ、石となった側付へ真剣な声を投げた。


「どう処置をすればいい? 本ではたしか、眠っている者には口づけをすれば目覚めると――そうだ! 冷え切っているなら、あたしが人肌で温め」

「どちらも断じて必要ありませんッ!! 水はもう吐いておりますし、肌の色も正常です。傷口も竜人の治癒力により、おおかた塞がりつつあります!」

「そうか……。ああ、よかった」

「ですから離れてくださいッ!! 王家の淑女が、そのように軽率な――!」


 角を生やしそうな側付の勢いに圧され、フィールーンは名残惜しそうにセイルから離れる。


「ガア、ァーッ!」


 かわりに、先ほどと同じ場所から吹き上げた水柱を睨んだ。


「少しは骨のあるやつだったらしい。上等だ」

「フィールーン様! 危険です、お退がりください!」

「今日はその言葉――そのまま返させてもらうぞ、リン。この場を収められるのは最早、竜人であるあたしだけだ」


 木の根をトンと蹴って宙に浮き上がり、フィールーンは鼻の頭にシワを寄せる。自分と同じように湖上に滞空する存在を、改めて観察した。


「グウ……ゥ……!」


 どうやらヒトから竜人になった者のようで、いつものごとくその“成り方”は半端な出来である。言葉も不明瞭なことから、半端竜人の中でも下位の者だろうと推測できた。


「大事な用件の最中だというのに、無粋な真似をしてくれたな――三下が」


 あふれる魔力に瞳をぎらつかせると、自分とは思えない低い声が迸る。


「その醜い身体、引き裂いてやる……ッ!」

「姫様!?」


 狼狽する側付の声が、どこか遠く感じる。フィールーンは自分で意識するよりも早く、敵へと躍りかかっていた。


「がああっ!」


 得物を握ったこともなければ、素手による格闘の指南を受けたこともない。鍛錬する側付の様子は見かけたこともあったが、やはり見るのと扱うのでは違う――。

 

 フィールーンは手当たり次第に爪を振るったが、すでに警戒を強めた相手には通じなかった。


「く、このぉっ!」


 相手の喉元を掻き切ろうとがむしゃらになっていた竜人王女に、側面から何やら硬いものが襲いかかる。


「ッ、ぐぁ!?」


 まったくの死角からの攻撃。その正体は相手の長い尾であった。トゲだらけの肉厚な鞭のような尻尾がフィールーンの肩を削り、後退を余儀なくされる。


 破けた旅装の肩口は真っ赤に染まり、じんじんと熱をともなって痛みはじめる。直撃の割には軽症だったが、それよりも深く傷ついたのは王女の自尊心だった。


「つ、ぅ……っ! くそ!」

「フィールーン様ッ!! お止めください!」


 足元から絶叫に近い嘆願が飛んでくるが、フィールーンの耳には届かなかった。荒い吐息を落とし、王女は痛む肩を反対の手で乱暴に掴む。ぬるりとした液体が指の隙間からあふれたが、その熱さに心臓が高鳴った。


「は……はは……っ! あたしは……“モグラ姫”は今、戦っているのか」


 言葉に出してみると、ますます身体の熱が高まっていく。

 その熱につられるように、口の端も持ち上がった。


「これが……“戦い”」


 いつも守られるだけの自分に負い目があった。思えば今日はいつもより、竜人姿になってからの自我を保てている気がする。


 その理由はきっと、この力を振るいたいと願う明確な意思があるからだ。


「これが“戦い”なら……“生きる”ということなら――悪くないッ!!」

「姫様、避けてくださいッ!」

「!」


 狂気じみた笑顔で叫んだ矢先、気づけばふたたびあの尾が眼前に迫っていた。

 しまった、と色違いの目を見開くも、回避の時間はない。


「……?」


 覚悟していた痛みが襲ってこないことに気づくと同時に、後方から風が吹きつけてくる。涼しげな声がそれに続いた。


「あーあ、そんなに柔肌を傷つけちゃって勿体ない。慣れないことするんじゃないよ、姫ちゃん」

「アーガントリウス!」

「あれま、勇しくなっちゃって。ま、それもアリかもね」


 音もなく背後に飛来していたのは、紫色のすらりとした竜――アーガントリウスであった。大きな翼が湖面を煽り、水しぶきを左右に走らせている。


「お兄ちゃんっ!」


 竜の背から緑頭がのぞき、身軽な動作で根へと飛び降りたのはエルシーだ。しかし少女はふらりと体勢をくずし、慌てたリクスンに肩を支えられる羽目になる。


「どうした、ホワード妹!? 顔色が悪いぞ」

「あたし、飛ぶのとか苦手で……。それよりありがとう、リンさん。お兄ちゃんのこと」

「あ、ああ……これぐらい、何でもない」

「あとはあたしが手当てするわ」


 蒼白な顔をしつつもエルシーは屈み、兄の具合を調べはじめた。側付の助言通り、精霊との仲はどうにか持ち直してきたようだ。


「ギャアッ!? ガッ!」


 その不快な喚き声にフィールーンが視線を遣ると、黄色い半端竜人が湖上でなにやらひとりもがいているのが見えた。


「あいつはどうしたんだ、アーガントリウス。腹でもくだしたのか」

「んー? いや、ただそこらの風を束ねた鞭でペシペシ叩いてるだけ。あの程度じゃ竜人は傷つかないだろうけど、時間稼ぎにはなるでしょ」


 目には見えないがたしかに風の魔法らしく、乱された水面が幾重にも波紋を描いている。フィールーンは鱗が這う腕を組み、じっとその現象を見つめた。


「……。やはりあたしには、“そちら”のほうが向いている気がするな」

「え?」

「知恵竜アーガントリウス」


 紫の鼻先に虹色の光球を浮かべて魔法を練っていた竜は、フィールーンの呼びかけに首を傾げてみせる。


 竜人王女は、普段のヒト姿では決して見せない“威厳”を放ちつつ告げた。



「あたしを弟子にしろ。今――ここで」


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