4−23 この無礼者が
「黒い鱗の……竜人、だって」
フィールーンの言葉を耳にした知恵竜は、蒼白とも言える顔色になって呟く。その様子を密かに心苦しく思いつつも、王女は言葉を継いだ。
「アーガントリウス様を“不老”にした、黒いローブの人物。お、覚えて――」
「……ないわけないでしょ。あれ以来、俺っちの人生散々だったんだから」
人生最悪の思い出なのだろう、大魔法使いは苦々しい口調でもって肯定する。
「“あの時”は目もやられてて、全然見えなかったけど……たしかなの、あいつが竜人って?」
「は、はい。ローブの裾から、黒い尻尾が。獣人のものではありませんでした」
「それにあの魔法と武技の扱い、か……。まあ、“伝説”が目の前を飛び回ってる今となっちゃ、信じたほうが自然かもね」
獲物を探すように空を旋回する半端竜人を見上げ、アーガントリウスは独りごちる。時渡りの詳細を知らないエルシーだけが眉をひそめていたが、説明している時間はない。フィールーンは唇を湿らせ、ふたたび口を開いた。
「そ、“創世の伝説”によれば、竜人たちは不老不死の存在……。アーガントリウス様に血を与えた竜人もきっと、まだどこかに潜んでいます」
「かもね。“あいつ”は、セイちゃんを湖に落とした半端な竜人とは全然違う」
いつもの軽々しい言葉ではなく、その分析には知恵竜の名に相応しき冷静さが宿っていた。
「もっと上位の……それこそ、“完璧”としか表現できないような力だった。たしかにあいつが太古より生きる“本物の竜人”だと言われても、納得するしかない」
「は、はい……。それにもしかしたら、彼が」
「うん。ルナを殺した主犯――あるいは、組織の一員だという線は濃厚だね。昔エルシーちゃんたちの森を襲った竜人女も、そんなことを
「え、ええ。組織化は進んでるって……」
エルシーの不安げな肯定を受け、アーガントリウスは空へ向けていた視線をこちらへ戻す。紫色の瞳に射抜かれ、フィールーンの心臓が縮こまった。
「なるほど。んで姫ちゃんは、そんな“殺人集団”どもとの戦いが待ち受ける危険な旅に、俺っちをお誘いしてるってわけね。自分の身体を治したいがために」
「……っ!」
「な、なによその言い方!?」
憤慨したエルシーが緑髪を逆立てて反論を叫ぶ。
「全部の事情は分からないけど、アガトさんだってその“不老”体質をどうにかしたいんでしょ? なら、仕掛け人に接触するのは当然じゃない!」
「冗談でしょ、エルシーちゃん。あんな理性ぶっ飛んだ狂人にもう一度会いたいだなんて思う?」
「じゃあ“不老”は治したいのね? そこは否定しなかったわ」
「君、兄貴と似てないねえ……。いや、ある意味そっくりかも」
呆れたように言うアーガントリウスだが、気まずそうに逸らした瞳が彼の本音を語っていた。エルシーの勢いに乗じ、フィールーンも胸の前で拳を作る。
「わ、私とセイルさん……こちらには、竜人が2人もいます。そこに“不老”のアーガントリウス様が加われば、件の竜人組織が見逃すとは思えません」
「げー、自分たちをエサにしようってわけ?」
「そ、そうですっ!」
賢者に聞かれたら呆れられるかもしれないが、王女は思い切って断言する。
「私、セイルさんみたいには全然、できなくて……。戦いでも、お荷物ですけど……でも、知りたいんです!」
「知りたい?」
「はい」
頭をよぎるのは、高く積まれた書物に寄りかかる少女の姿。
膝に乗せた冒険記の項をめくりながら、濁った瞳をぼんやりと泳がせている。
少女の目を縫いとめたのは、仲間と財宝を携えて故郷へと凱旋する勇者の挿絵。
灰色のその記憶を振り払い、フィールーンは空色の瞳を知恵者へと向ける。
「世界が、どんなものなのか。そこで今、なにが起こっているのか……」
「……」
「どうして自分が生まれてきたのか。知りたいんです――全部!」
最後の一言を聞いたアーガントリウスの肩が、ぴくりと動く。
次いで、高い位置にいるエルシーには聞こえないだろう声量で呟いた。
「全部……ね。わがままなところは、“あの
寂しそうな、そしてどこか嬉しそうな笑み。フィールーンが次の言葉に迷っていると、とたんに外部が騒がしくなった。
「お兄ちゃん! リンさんっ!!」
エルシーの悲鳴が向けられた方角へ、フィールーンも急いで視線を飛ばす。
「!」
乱れた水面から顔を出しているのは金と群青の頭だ。側付の上半身が湖面から出ている状況を見るに、世界樹の根が高く盛り上がっている位置を無事発見できたらしい。
「リクスン! よ、よかった、セイルさんを見つけて……!」
「そう安心できる状況じゃなさそうよ、姫ちゃん」
目を細めて忠告したアーガントリウスの言葉に、フィールーンも眉根を近づけてもう一度臣下を見る。
リクスンはヒト姿になった木こり青年に肩を貸していたが、その表情は険しかった。
「――っ、――ッ!!」
気を失っているセイルに叫ぶようにして語りかけているが、ここからでは遠すぎる。フィールーンが目だけで判断できるのは、青年が胸に深い傷を負っているということだけだった。2人の周囲の水には、不吉な赤色が染み出している。
同じ考えに至ったらしいエルシーが、ふらりと湖へと歩を進める。
「お、お兄ちゃんっ……! はやく、治癒しないと」
「こらこら、待ちなさいよ。騎士くんに言われたこと忘れちゃったの? この防御壁を出てあの黄色い竜人に見つかっちゃ、こっちも困るでしょうが」
「でも……あっ!」
議論している間にも、敵は湖面の揺らぎに気づいたようだ。トゲだらけの尾をぶんと一振りし、青年たちを目指して一直線に降下をはじめる。
「ギャハハぁッ‼︎」
「!」
半端竜人の接近に気付いたリクスンが、表情を強張らせるのが見えた。いつもの長剣はグリーヴと共に
「……ッ」
それでも側付は片手でナイフを構え、もう一方の手で木こりの長身を支え続けている。勇敢ながら誰が見ても不利であろうその戦況に、エルシーが懇願するように声を漏らした。
「いやっ――!」
どくん。
「お願い、やめてえええーッ!!」
いつもは気丈な少女の、泣きそうな叫び声。
それに引き寄せられるように、フィールーンの胸に熱が灯る。
「う……っ!」
「姫ちゃん?」
「うああああっ!!」
いつもは気分を落ち着かせて鎮静化を図るところだが、今のフィールーンはその熱を思い切り
黒髪を白が浸食し。
服を突き破って翼と尻尾を生やし。
白い鱗に覆われた顔から牙を覗かせ、竜人と成った王女は唸る。
「させ、ない……ッ!」
世界の貴重な資源である世界樹の根に爪痕を刻みつつ、竜人フィールーンは空へと跳んだ。金と青の瞳を瞬かせるよりも早く、虹色の輝きを放つ防御壁が近づいてくる。
フィールーンは白熱した思考に任せ、身体を捻って脚を振りかぶった。
「邪魔――だッ!!」
分厚いガラスが砕け散るような音を立て、防御壁に巨大な穴を
こちらに気付いた黄色い敵めがけ、獣のような吠え声を叩きつける。
「あたしの側付と恩人に何をしている! この無礼者があッ!!」
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