4−21 任せたからね

 目を瞬かせると、急に世界が光に包まれる。

 次にフィールーンが導かれたのは、何も存在しない真っ白な空間だった。


『えっ……? こ、ここは』


 果てのない広大な空間に、完全に感覚が失われた身体。まるで魂だけがその場に立っているかのように感じ、フィールーンは慌てて周りを見渡した。


『! あなたは』


 景色に溶けてしまいそうなほど“白い”少年が、少し離れたところからこちらを見ていた。美しい白髪を起点に、ゆったりとしたローブまでのすべてが白――瞳だけが星のような銀を帯び、儚げに揺れている。


『もしかして……あなたが、この現象を?』


 フィールーンが心に浮かんだ思いつきを投げると、少年は嬉しそうに微笑んだ。無邪気さからではなく、こちらの思いつきに感心しているような笑み。


 彼が外見通りの歳ではないことも――そして“歳”などという概念にさえ縛られていない、超常の存在であることは明白であった。


 しばらく忘れていた喉のつかえが戻るのを感じつつ、王女は問う。


『ど、どうして、私に……アーガントリウス様の、こと』


 しかし少年は答えない。

 静かな笑顔のまま頭を振ると、彼の白髪もさらさらと揺れた。


『私……自分が、あの御方のお役に立てると……思いました』


 最初は、自分が送り込まれたことにも何か意味があるのだと信じていた。


 アーガントリウスがあの通りの無気力な男になっていく運命、それを変えるための力があるのではないか――と。


『けれど私、見ているだけで……な、何も、出来ませんでした。辛かったです』


 言ってしまってから、フィールーンはひとり唇を噛んだ。

 この痛みだけはよく感じられるところが腹立たしい。


『いいえ……! ほ、本当にお辛かったのは、アーガントリウス様です。大切な方を亡くされて、人々から頼られ、裏切られ……。もうずっと、こ、孤独だけを連れて、長い長い旅をしています』


 姿はなくともこの少年も知恵竜の半生を知っているのか、彼は寂しそうに微笑んだ。


『私の……“小さな事情”だけで、彼をまた騒がしい市井しせいの中へ引き入れる、なんて……許されるの、でしょうか』


 永遠を生きる彼は、なるべく静かな毎日を送ることを望んでいる。それは彼の権利なのかもしれない。


『えっ?』


 暗い表情をしていたフィールーンだが、急に目の前まで移動してきた少年に気付いて驚いた。


『え、えっと……?』


 少年は爽やかな笑顔を浮かべ、白い手をこちらへと突き出した。

 拳を作っているが、その細い親指だけはまっすぐ天を向いている。その挙動の意味は知っていた。


『“大丈夫”……?』


 こくこくとうなずき、少年はもう一方の手をフィールーンへと向けた。促すようなその仕草に、王女も慌てて真似をしてみせる。


『こ、これで良いでしょうか』


 ぐっと親指を立てるそのサインを行うと、なんだか根拠のない元気が湧いてくる。しかし問題の解決には役立ちそうもない。少年なりの励ましといったところだろう。


 苦笑したフィールーンの耳元に突如、中性的な声が響いた。


「ありがとう。彼のこと――からね」


 ハッとしたフィールーンが辺りを見回した時には、白い少年の姿は消えていた。代わりに、白い床にピシリと音を立てひびが入る。


『そっ……!』


 音もなく割れていく景色の向こうに見えたのは、湖の中央にそびえる大樹。

 足の感覚はないというのに、白い破片と共にフィールーンは落下をはじめた。



『そんな、勝手なぁっ――!?』





「――めさま。姫様ッ!」

「!」


 聞き慣れたその声に目を開けると、飛び込んできたのは太陽のような金髪。

 険しかったその表情が一瞬呆け、そして安堵に輝いた。


「目が覚めましたか! ああ、よかった」

「り、リクスン……。あ、あの、私」

「どこかお辛いところや、痛むところは? 申し訳ありません、俺がもっと気を配るべきでした」

「え、えっと……大丈夫、です」


 側付の手に支えられつつ、フィールーンはゆっくりと上体を起こした。ひんやりとした硬い根の感触に、鼻をくすぐる水と葉の匂い――。


 頭上の空を覆うほどに長く伸びる枝葉を見上げ、王女はようやく状況を理解した。


「そうでした……私、世界樹のところで」

「はい。急に頭痛を訴えられて、お倒れに。心配しました」

「ホント、気が狂わんばかりの心配ぶりだったねえ」

「!」


 こちらも随分と聞き覚えのある声。フィールーンはまだくすぶる頭痛を忘れ、声の主へと振り向いた。


「おはよ、姫ちゃん。世界樹の根元でお昼寝とは、やっぱ王族は違うね」


 空へと片手をかざしたまま、ローブを着崩した中年男はにやりと笑む。


「アーガントリウス、様……!」


 彼の掌からは虹色の光がこぼれ、同じ色の輝きが世界樹の周りを飛び交っていた。“時渡り”の中で何度も見た、魔法による強力な防護壁である。多大な魔力を消費する大技のはずだ。


 フィールーンは無意識に彼の元へと駆け寄り、ぺこぺこと頭を下げた。


「も、申し訳ありませんでしたっ!!」

「はい?」

「わ、私っ、アーガントリウス様のこと、何も知らずに――!」

「姫様、どうなさったのです!? 急に動いては」


 目覚めたばかりでも俊敏な動きをみせたフィールーンに驚きつつ、リクスンが急いで後を追ってくる。


「えと……どしたの、姫ちゃん? こわい夢でも見た?」

「ゆ、夢――じゃないと、思います」


 無精髭を撫でて苦笑する大魔法使いを前に、フィールーンは小さくなる。しかし自分の体験は、決して幻ではなかった。


 この現象、そして自分の感じた思いを、どう彼に伝えればいいのか――。


「きゃああ、お兄ちゃんっ!!」

「!?」


 甲高い悲鳴が耳を貫き、思考に沈んでいたフィールーンはぎょっとする。

 そしてようやく、この大木の元へ赴いた他の仲間たちの存在を思い出す。


「そうだ、セ――!」


 戦闘が繰り広げられていた空を仰みるも、そこには穏やかな青空だけが広がっていた。勝ち誇ったように旋回しているのは、トゲだらけの尾をなびかせる黄色い敵の姿。


「え」


 背が凍りつく感覚とともに呟くも、やはり紺碧の竜人の姿は発見できない。

 フィールーンの目は自然と、敵の遥か下――鏡のような湖へと落ちる。


 その鏡面を乱しているのは、大きな魚が跳ねた後のような波紋だ。



「セイル……さん?」



 波紋に混じり、ゆっくりと広がっていくのは――燃えるような紅色であった。

 


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