4−20 大したもんじゃなかったぞ

「あっ……ぐ、ぅ……ッ!!」

『アーガントリウス様ッ! しっかり』


 謎の液体――見た目通りならば、“血”――を飲まされた知恵竜は、すぐさま地面に爪を立てて苦しみはじめた。褐色の額を流れ落ちる血に、汗が混じる。


「ふむ、鱗は出ぬか……。希少な“全属”の竜と聞いて、期待していたが」

「いまの……な、に……ぐ、あっ……!」

「これほど取り乱しても竜の姿に戻らぬとは。貴様、本来の姿を忘れてしまったのではないだろうな? まあいい」

『な、何を――!』


 冷淡な声を響かせ、襲撃者はブーツの足を振り上げる。また蹴るつもりかと身を硬くしたフィールーンの前で、その足が青い炎に包まれた。


 燃え盛る金槌のごとき足は勢いを伴って振りおろされ――知恵竜の手を焼き潰した。


「うあッ――がああぁっ!!」

『ひっ……!』


 おぞましい音を立てて骨が砕け、幾人もの女の肩を優しく抱き寄せた繊細な指が折れ曲がる。普通のものではないのか、魔力を迸らせるその炎はアーガントリウスの手をすぐさま黒々とした炭へと変えた。


「っく……ぁ……!」


 土の上に残されたのは、肌身離さずつけていた小さな指輪。

 かつてヒトと結んだ友情の証は無残にひび割れ、ついに真のガラクタと成り果てた。


『もう……! もう、やめて……っ!』


 涙をこぼしながら、フィールーンは黒髪頭を振る。しかしアーガントリウスの手首が奇妙な震え方をしていることに気づき、目を見開いた。


「あまりに脆い。が……少しは“得た”ようだな」

『て、手が――!?』


 まるで時を巻き戻すかのように炭が集まり、手指の形を成す。そして段々と血色を取り戻し、編み物のように筋肉が形成されていく。


「うそ、でしょ……」


 何事もなかったかのように元の形を取り戻した己の手を見、アーガントリウスは肩で息をしながらも言った。


「竜であれ、こんな大きな部位欠損、そうそう治せるもんじゃ……」

「貴様はもう、竜ではない」

「!」


 くぐもった声に導かれ、知恵竜は襲撃者を見上げる。


「いくらその姿になりきろうが、貴様はヒトには成れん。そして今、竜でもなくなった」

「は……。んじゃ、何? 大昔の極悪種――“竜人”サマだとでも?」

「そうも。貴様はただの、はざまを往く者だ」


 吐き捨てるように告げ、襲撃者は背を向ける。フィールーンはその足元を見たが、ヒトと変わらぬ足が2本揃っているだけだった。


「“朽ちぬ身体”だけでは、我が手足にはならぬだろう。しかし僅かとはいえ、この血に見出された命……せいぜい謳歌するが良い」





 襲撃者がアーガントリウスに与えた“血”。それがもたらしたものは強力な治癒能力と、“不老”の力であった。


 そのことが判明したのは、襲撃の日から3年後である。


「やっぱ今年も、鱗の数が増えてない……。年々辛くなってきてた徒歩の旅も、最近じゃそうでもないし……これ俺っち、ほんとに時間に置いてかれてるわ」


 とある森の奥にある、澄んだ湖。


 自分の胸のあたりの鱗を半日かけて数え終えたアーガントリウスは、木々を揺らすようなため息をついてそう独りごちた。どうやら竜というのは記憶の他に、そうやって歳の経過を判じるものらしい。


「不老、か……。こんな爺さんになってからそんなモン貰ったって、嬉しくないっての」

『アーガントリウス様……』


 例の襲撃者はあの日以来姿を見せなかったが、警戒してかアーガントリウスは拠点を持つことなく今も世界中を旅している。


 そしてますます他者との関わりを避けるようになった竜を見上げ、フィールーンも重い息を吐くのだった。





 やがてアーガントリウスは今までとは違う、厳しい旅路を選択するようになった。


 小さな国同士がいがみ合う、紛争地帯。

 痩せた土地で暮らすことを強いられた者たち、その嘆きの集落。

 あるいは浴びるように金やモノを消費する人々が集う、歪んだ魔術がはびこる国。


 そしてそんな世界には我関せずと、遥か天空の島へ渡ってしまった一部の竜たちが残した地――。


 今まで目を背けていた世界の“闇”を体感し、ますますくたびれた様子――しかしその見目はやはり何年経っても、変化がないまま――のアーガントリウスは、どこにも属さず孤独の旅を貫いていた。


 200年の付き合いになるエルフの女から便りを受け、ひっそりとした住まいに立ち寄った際にはこんな出来事にも見舞われた。


「ありがとうね、アガト。あんたの薬は本当によく効く」

「いやいや、イザドラ。君の美貌の前じゃ、俺っちの薬も形無しよ」

「ふっふ……。けれどもう次は頼まないから、安心しておくれ」


 そういえば来訪以来、大きな肘掛け椅子におさまった老女は一度も立ち上がっていない。アーガントリウスはそっと歩み寄り、膝掛けの上に置かれている細い手を取った。


「深刻なのか? ちゃんと医者にかかろう、イザドラ」


 エルフにしては気さくな老女が弱っているのを見、傍に立つフィールーンも空色の瞳を曇らせる。


「いいや、寿命さ……。それに“最期”はこの椅子でと決めてる」

「“霧の魔女”が、なに弱気なこと言ってんの」

「なぁに、心配ないさ。もちろん、対策は講じてある」

「へえ、さすがだな。どん――な……」


 アーガントリウスは期待に輝かせた笑顔のまま、ぐらりと横に傾いた。近くにあったテーブルに縋ろうとするも、掛かっていたクロスを道連れに床へと倒れ込む。


 紅茶のカップが砕け散る音に、フィールーンの悲鳴が重なった。


『アーガントリウス様っ!?』

「……ッ」


 大きく震える己の手を見、続いてアーガントリウスは床を濡らす琥珀色の液体を睨む。


「な、に……盛った」

「さすがは竜だね。あたしの作った毒が効かないとは」

『毒っ!? ど、どうして』


 狼狽するフィールーンには当然目もくれず、老女はゆっくりと立ち上がった。その枯れ木のような手にあるのは、毛布の中に隠していたらしい小ぶりなナイフ――。


「調べさせてもらったよ、アーガントリウス。あんた――“不老”なんだって?」

「イザ……ドラ」

「隠していたことに怒ってるんじゃないよ。むしろ、喜んでるくらいさ」


 いつも優しげだった目にぎらぎらと欲望の光を浮かべ、老女は躊躇なく長年の友の肩に刃を突き立てた。


「――ッあ、ぐ……!」

「おや、耐えるね。はよくあるって顔だ」


 不器用に体重を乗せ、イザドラはさらに刃を内部へと沈めようとする。そのたびに跳ねる知恵竜の身体を見、フィールーンは手で口を覆った。


「不老の竜の、肉……っ! これで私は――もっと……!」

「こん……のッ!」

「ひいぃっ!? ま、まだ動け――」


 渾身の力で老女を引き剥がしたアーガントリウスは、体当たりよろしく戸口から外へと転がり出る。竜の姿に戻ると、あっという間に森の上空へと逃げ去った。


「ッ、は……! くそ」


 血を滴らせながらしばらく飛び、墜落するようにして川のほとりへと降りる。そのまま大の字に転がり、赤く染まったローブの肩口を押さえた。

 出血は止まっていたが、まだ痛々しく開いた傷口が見える。


『アーガントリウス様……』


 沈痛な面持ちになった王女の横で、知恵竜は空の彼方を見て呟いた。



「なあ、リーナ……。世界なんて、大したもんじゃなかったぞ。君が見たら……ガッカリ、するかもなあ……」

 

 

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