4−8 研究は自分の足と翼で

「もう! なにが知恵竜よ、大魔法使いよっ! ただの面倒くさがりじゃない」

「まったくだ!」


 小屋に退がってしまったアーガントリウスに憤慨する妹と騎士を見、セイルは息を吐いて大岩に背を預けた。


「あー、でもあっしはアーガントリウスさまの言い分もわかる気がするっすねえ」


 軽い足音を響かせて次に岩の椅子を陣取ったのは、身軽な獣人である。 


「なんでよ、タルトちゃん!」

「商人としては、でやんすよ。利がない事柄にゃ、興味も向かねえもんです。それにあっしらみたいな突然の客に、いきなり旅についてこいって言われてもねえ」


 若くも経験豊富といったその複雑な表情に、田舎者の少女は押し黙る。代わりに縞模様の分厚い尻尾に手を埋めて気を紛らわせはじめた。


 同じく少し気を落ち着かせたらしいリクスンが、腕組みをして言う。


「しかし姫様には、彼の作る薬が絶対に必要なのだ。どうにか協力を取りつけねば帰れんぞ」

「んじゃ待ちやす? 10年」

「待てるかッ! 竜人化は年々酷くなっている。急がねば」

「あ、あの……!」


 珍しく挙手をした王女を見、全員が思わず口をつぐむ。フィールーンは鏡のような湖面を指差し、おずおずと進言した。


「ま、まずは行ってみませんか。せ、世界樹の元へ」

「世界樹へ?」


 セイルが王女の指を辿ると、ヒトが数人乗りこめそうな小舟が繋がれているのが見えた。


「“研究は自分の足と翼で”――わ、私の友達の言葉です」

(さすが良いこと言うなあ、僕の妻は)


 心中から惚気の声が上がるが、セイルは伝えずにフィールーンを見る。空色の瞳にはまだ絶望は浮かんでおらず、ただひたむきな好奇心だけが踊っていた。


「わ、私たちに何ができるか、わかりませんが……」

「……そうね。ここで文句言ってても仕方ないわ。樹にどんな異常があるか、近くに行って調べてみましょ!」


 いつもの前向きな声に戻り、エルシーは横ざまに王女へと抱きついた。


「うん、やる気出てきたわ! ありがとね、フィル」


 大胆なその感謝にフィールーンは「あわわわ」と不明瞭な声を出したが、彼女なりに照れているらしい。リクスンも同意し、肩を回して気合を示した。


「んじゃ、あっしは残って荷物番でやんすね。ついでに小屋にある“からくり”について、ちょいと値段交渉をば……」

「ちょっとお兄ちゃん? なんでそっち側にいるのよ」


 斜面になっている草地を降りはじめた一同が、エルシーの声に導かれてセイルへと振り返る。


「えーと、旦那。まさかアンタ……」

「……」


 となりのタルトトから憐むような視線を受け、木こりは硬い口調で呟いた。



「……船に使われている木材が古い。沈没の危険が」

「いいからとっとと来てッ!」





 半刻後。

 無事に世界樹の根本へと接舷を果たした小舟から、わっと歓声が上がった。


「ち、近くで見ると本当に大きいですね……! 雲まで届きそう」

「姫様、あまり見上げると首を痛めますよ」

「精霊がたくさんいるわ。良かった、歓迎されているみたいね」

「……」


 さっそく太い根本周りを探検し始めた仲間たちから遅れ、セイルは大戦斧を杖代わりにふらついた足取りで船から降りた。


「せ、セイルさん! だだ、大丈夫ですか!?」

「……地面が、揺れている……」


 木の板で出来た箱に乗って水の上を渡るなど、セイルにとっては火渡り修行同然の行為である。魚の姿がない湖も不気味そのものであり、仲間たちと同じ感動は微塵も味わえなかった。


 心配する王女のうしろから覗き込んできた妹が、腰に手を当てる。


「大丈夫じゃなさそうね」

「だから残ると……言っただろ……」

「そういうわけにもいかないでしょ。船がイヤなら、竜人になって飛んでこれば良かったじゃない」

「渡り切る自信が……ない……」

「あらま、これはダメだわ。置いていきましょ」


 切り替えの早い妹に腕を引っ張られた王女は、セイルたち兄妹を交互に見つつ慌てた。


「い、良いんですか!?」

「ここには魔獣もいないって精霊も言ってるし、少し休めば大丈夫よ」

「ああ……。行ってきてくれ……」


 げっそりとした声と共に手を上げると、フィールーンは気遣わしげな顔になった。しかしやがて側付の手を借り、でこぼことした木の根を這い上がる。


「なんで湖の中に生えてるんだ。この樹は……」

(伝承によれば、樹から聖なる水が溢れて湖を成したそうだよ)

「どっちでも……いい」


 ひとりになったセイルはようやく幹に背を預け、ずるずるとその場に座り込んだ。四方をすべて水に囲まれていると認識すると、どうしても気が重くなる。


「……なんか話せよ。賢者」

(おやおや、本当に参ってるんだね。昔の君みたいな言い草だ)


 幼子扱いされようが、反論する気力さえ今は湧いてこない。そんな自分を見かねたらしいテオギスは、いつもの深い声でゆったりと応じた。

 

(君は、師匠を――アーガントリウスを見て、どう思った?)

「……スケベじじい……」

(うん、良い観察眼してる)


 苦笑する親友の声を聞きつつ、セイルは後頭部を幹につけた。遥か頭上で、キノコのカサのように広がった枝葉が揺れている。


「お前は……あいつが断ると、わかっていたのか」

(いいや。正直言って予想外だった)


 竜の賢者はそこで一度言葉を切り、改めて続ける。


(僕が知る彼なら、なんだかんだ言いつつも手を貸してくれるだろうと思っていたんだ)

「お人好しなのか」

(ああ言ってたけど、結局は人助けばかりしてる竜だからね。疫病の原因になった水源を清めたり、畑仕事をするのに役立つからくり道具を作ったり……)

「なら……」


 セイルの問いは皆まで言わずとも伝わったらしい。テオギスは小さくため息をついて言った。


(僕とルナが城からの招致に応じ、彼の元を離れてから100年以上経ってる。そこから今までの間に何か良くないことが起こり、彼は気力を失くしてしまった)

「……それが、“不老”の力に関係しているのか」

(多分ね。彼は何か悩んでいるか、隠しているように見えた。まあ、不肖弟子の見解だけど)


 そよそよと揺れる緑を見ていると、セイルの心もいくらか和らいだ。

 片膝を立てて腕を置き、友へと語りかける。


「話せよ、テオ。あいつが、どんな竜だったのか」

(へえ、珍しいね。君が他人の過去に興味を持つなんてさ)

「他人じゃない」


 件の竜が所有する小屋を眺め、セイルは迷わず言った。


「近いうちに、旅の同行者になる奴だ。引き込みのために、情報を得たい」

(……ふふ。そうかい)

「何だ?」

(いいや、別に? そうだな、まあ時間もありそうだし――久々に、昔話と洒落込もうか) 



 世界樹を抱く湖の中心。


 ゆったりと空を流れる雲を見上げながら、青年は在りし日の物語に耳を傾けていた。



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