4−4 このクサレじじい
「あっ……アイ、リーン……? わぁ、あ、あのっ!?」
人違いだと主張する前に、フィールーンは目を白黒させて顔を背けた。
自分の手をがっしりと掴んでいる長身の男は当然、竜の時と同じく“自然な姿”をしていたからである。
しかし彼はお構いなしに顔を輝かせて言った。
「久しぶり――って挨拶も可笑しいくらい待たせてくれちゃって、この! とにかく会いたかった、リーナ! またヒトなのは、残念だけどなあ」
「ひゃ、え、えっと、すみませ……?」
ぶんぶんと手を上下に振られるたびに黒髪を揺らしつつ、王女は素っ頓狂な声をあげるしかなかった。初対面の成人男性――中身は竜だが――それも一目見ただけで美男だと分かる者相手に、ハキハキと答えられる度量などない。
フィールーンの外交能力が振り切れて煙を噴く直前、その声は降ってきた。
「――手を離せ。変態野郎」
王女の視界を埋め尽くしたのは、鈍く輝く大戦斧の刃だった。
剥き出しの男の腕上でぴたりと止められた幅広の刃が、褐色の肌に一筋の影を引く。
「う、うおぉっ!? なにこのデカい斧!」
「せっ……セイルさん!」
戦斧の柄を辿っていくと、もう一方の手でこめかみをさすっている木こり青年の姿があった。いつもならば無表情に近い彼の顔には、珍しく不機嫌そうな色が浮かんでいる。
茶色の瞳で射るように男を睨みつけたまま、青年はぼそりと訊いた。
「何もされてないか、フィールーン」
「は、はい」
「え? ちょい待ち、今なんつった?」
ようやく自分の名が男の耳に届いたらしい。戦斧の迫力に恐々としつつも、男はひょこと刃の横から顔を出しフィールーンを見つめた。
「ふーむ……? ああ、なるほどね……」
ヒトの大きさになれる竜は決して少なくない。そうしなければ小さなヒトとの共生は困難だからである。しかしこれほど完璧に“ヒト”となっている竜を、フィールーンは初めて目にした。
外見上の歳は、父親よりも少し若いだけに見える。深い紫の髪は絡みあいながら伸び、褐色の肌へと流れ落ちていた。
「素敵な黒髪のお嬢さん。君の麗しきお名前は?」
「あ……」
きちんと着飾れば、城の侍女たちが放ってはおかないだろう。言葉選びは軽いが、落ち着いたその表情は知的な紳士を思わせる。
王女は大臣に叩き込まれた会釈も忘れ、急いでぺこりと寝癖頭を下げた。
「ふぃ、フィールーンですっ! フィールーン・シェラハ・ゴブリュード」
「あれま、人違いだったのね。でもすごい偶然ー、俺っちの名前が入ってるじゃん。やっぱ運命ってやつ?」
「! と、ということは、やっぱり貴方様は――? きゃ!」
相手が急に手を離し、フィールーンはまたもや後方へと倒れかかる。斧を引いたセイルが素早く反応し、背を軽く支えてくれた。
「俺っちとしたことが、純情な淑女を前に失礼をば。よいしょー」
水浸しになった草地を踏んで退がった男は、気の抜けた声と共にくるりと回転してみせる。
「あ、わわ!」
相手が全裸であることを思い出したフィールーンは思わず目を閉じたが、やがてセイルに肩を叩かれて目を開いた。
いつの間にか不思議な刺繍が施されたローブをゆったりと羽織り、男はコキコキと首を回して名乗った。
「俺っちはアーガントリウス。アーガントリウス・シェラハトニア・ヴィタブート……これ以上は長くて舌噛むから、覚えなくていいよ。まぁ“アガトさん”とでも呼んでくれな」
*
「は、初めまして、“大魔法使い”アーガントリウス様! ここ、このたびは、事前のお約束もなしにお訪ねしてしまい――」
「ああ、いいってそういうの。こんな危ない森の奥までよく来たね。うーん……しっかしまあ、似ちゃってんねえ」
「!」
ずいと顔を寄せられると、月光に輝く紫の瞳にフィールーンが映り込む。
「その黒髪に、賢そうな額の形。あらま、でもやっぱ目が違うか。アイツはエメラルドみたいな色だったわ」
「人違いだと分かったなら、離れろ」
セイルの手が伸び、アーガントリウスの頬をぐいと後方へと押しやる。そこで青年がため息を落としてふたたびこめかみをさすったのを見、フィールーンは心配になって訊いた。
「セイルさん。も、もしかして……お身体が、辛いんですか?」
「……頭痛がひどい。小屋にあった、妙な香のせいだろう」
「そ、そうだ! 他の皆さんは」
「まだ寝ている」
滑らかな長髪を掻き、小屋の持ち主は思い出したように言った。
「あー、あの香か。寝苦しい夜には助かるけど、ちとお節介なのよねアイツ」
「ど、どうして私とセイルさんだけ、目覚めたのでしょう……?」
「2人とも、とくにフィールーンちゃんは魔法抵抗力が強いんでしょ。つーかさ」
さらりと言った大魔法使いは、不思議そうにフィールーンとセイルを見比べて首を傾げた。
「さっきからなんでこいつのこと“セイル”って呼んでんの?」
「えっ?」
「こいつの名はテオギスだよ」
「!」
アーガントリウスの口から飛び出した名前にぎょっとし、王女と木こりは顔を見合わせた。彼はそのまま呆れ口調で続ける。
「テオギス、お前も良い歳して女の子をからかうんじゃないの。つーか何、その若すぎる姿? “ヒト化術”の腕を上げたからって、あんまり年齢詐称しすぎると虚しいって――」
「オレはテオギスじゃない」
「……あのね。仮にも“師匠”だった俺っちに、そんな嘘が」
「お前の弟子は死んだ」
威厳を出すためか腰に手を当てていたアーガントリウスは、ふにゃりと元の猫背に戻って目を瞬かせる。
「は?」
「オレはセイル・ホワード。殺されたテオギスの魂を宿した“竜人”だ」
「え……ど、どゆこと?」
呆気にとられる魔法使いに、フィールーンも思い切って申告する。
「わ、私はゴブリュードの王女です! 同じく、殺されたルナニーナの魂をいただいた竜人、です」
「ちょ……ええ!? ルナまで死んだって――んなこと急に言われてもおじさん、処理が追いつかないんだけど!」
言葉通り石化したアーガントリウスだが、急に顔を蒼くしてフィールーンたちから遠ざかった。
「あっ、分かった!」
ローブの両腕をかき抱き、警戒するように叫ぶ。
「アレでしょ、“弟子弟子詐欺”! 俺が弟子ですって言って、いたいけなお年寄りから財産を奪うヤツでしょ!?」
「え? いえ、決してそんな――」
「やだ恐い! あーもう、だから居場所は知られたくないんだよなあ。変なヤツばっかり近寄ってくるんだもん」
嘆き散らす老竜に、風を切り裂く音と共にふたたび戦斧が突きつけられる。
「“良いからとっとと全員起こせ。このクサレじじい”」
サッと両手を上げて降参した大魔法使いは、硬い表情で呟いた。
「うん。やっぱお前、テオギスじゃん」
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