4−5 どういう意味だッ!
「ほーら、お目覚めの時間だよー。ふーっ」
木こりに斧を突きつけられたままのアーガントリウスはそう言い、小屋へ向かって息を吹きかけた。フィールーンが指を組んで見守っていると、やがて中が騒がしくなる。
「きゃああ!? ちょっと、なんで隣で寝てるのよリンさん!!」
「し、知らん! 俺はたしかに床で――ッくしゅ!」
「しかもずぶ濡れじゃない! 床もだわ、どうなってるの」
「いでで、なんか頭痛くねえっすか……? ありゃ、鼻もおかしくなってらあ」
フィールーンと老竜がちらとセイルを見ると、彼は群青色の頭を掻いて弁明した。
「“水浸しの床に寝かせていては、風邪を引く”と、テオが」
「だ、だからって、ご自分の妹の隣に寝かせるのは、なかなか大胆かと……!」
「なーんか賑やかじゃない。おじさん入るの、気が引けちゃう」
「いいから行け」
木こりに小突かれると、アーガントリウスは「へいへい」とこぼして小屋へと入っていった。見知らぬ男の乱入に、中のざわめきがさらに大きくなる。
「呼ばれて飛び出てアガトさーん。はいはい、ちょっと失礼しますよ若者たち」
「なっ、だ、誰!?」
「この小屋の家主。やれやれ、ヒトの寝床で青春してくれちゃってまあ」
「どういう意味だッ!」
「どういう意味よッ!」
魔法使いに続いて入室しようとしていた青年を呼び止め、フィールーンは手招きした。
「あのっ……! セイルさん」
「?」
彼は一瞬怪訝そうな顔をするが、こちらに戻ってきてくれる。王女はがばっと黒髪頭を下げ、一気に言った。
「す、すみませんでした! 勝手に、外に出たりして」
「……。何か考えがあったんだろう」
「は、はい……。水と魔法の香りを、外に出さなければと思って」
事実であるものの、口に出してみるとやや言い訳臭くも感じる。フィールーンは頭を下げたまま硬直していたが、その黒髪にぽんと大きな手が載せられるのを感じて驚いた。
「いや、助かった。あのまま水位が上がれば、オレもお前の側付も大変なことになっていただろう」
「セイルさん……」
「テオも、お前の行動力を褒めている」
付け加えられた一言に、ようやくフィールーンは胸を撫で下ろした。今夜のことは貴重な功労として記憶しておいても良いらしい。
「わ、私もたまたま、変な夢を見て起きただけですけど……結果的に、ちょうど良かったですね」
「変な夢?」
「あ、はい」
「……どんな夢だ」
青年の眼差しが真剣さを帯びているのを見、フィールーンは一瞬たじろいだ。たかが夢の話に彼がここまで食いつくとは予想外だったが、正直に話す。
「多分、“創世の大戦”の戦場……だったと思います。白い鱗の竜人と、ヒトと竜の連合軍が衝突するところでした。すごかったんです! ま、まるで本当にその場にいるかのように鮮明――で……」
「……」
いつもの癖で語りに熱が入っていたらしい。黙り込んでいる木こりを見上げ、フィールーンは顔を赤くして慌てた。
「あ、あの! その、きっとどこかの本で読んだ内容が、そのまま夢に……!」
「……オレもだ」
「えっ?」
「オレも、同じ夢を見た」
自身を訝るように眉をひそめたセイルを見、王女はぽかんと口を開く。
「お、同じ夢を? そ、そんなことが……」
「あるのか? テオギス」
木こりは腕組みをし、しばし口を閉じた。心中の賢者の意見を聞いているのだろう。フィールーンは冷たくなった指を擦り合わせ、じりじりと待った。
「……」
エルシーの寝言を聞く限り、全員が同じ夢を見たという線は薄い。つまり竜人である自分たち2人だけが、導かれるようにあの夢を見たということだ。
「賢者いわく“世界樹の近くなら、何が起こってもおかしくはない”とのことだ」
「そ、そうですか……」
「……。お前の夢は、どこで途切れた」
そう訊いてくる青年の声は、どこか沈んでいる。フィールーンは気になりつつも、記憶を辿って答えた。
「ええと……竜人が連合軍に向けて、大きな魔法を放って……。そ、そこで室内の異常に気付いて、目が覚めました」
「……そうか」
一層低くなった声で木こりは呟き、大きな背を向けて小屋へと歩を進めた。
きょとんとしていたフィールーンの耳に、かすかな声だけが残る。
「――オレもそこで、目覚めたかった」
*
「なるほどねー。それでこんな危険地帯までわざわざ来たってこと。若いねえ」
あくび混じりに言うアーガントリウスに、フィールーンは深々と頭を下げる。
「すす、すみませんアーガントリウス様……。夜通し、こちらの事情を聞いていただいて」
「まあ小屋が乾くまで眠れないし、いいよリーナ――ってごめん、フィールーンちゃんだっけか」
「あ、いえ……」
フィールーンは湯気立つカップ――浸水の際に砕けていたはずの箇所が、ひとりでに直っている――で両手を温めながら、岩の上に腰掛けている大魔法使いをちらと見る。
「あの……先ほどから私と見間違えていらっしゃるのは、も、もしかして……アイリーン女王様、でしょうか?」
「ぶふっ!」
アーガントリウスが飲み物を盛大に吹き出すと、横に立っていたセイルがサッと飛沫から遠ざかる。
調理道具を広げて朝食を作っていたエルシーや、薪割りに精を出していたリクスンも何事かと振り向いた。
「え、ええー? いやさっぱり、なんのことだか。ほら俺っち、こんなイケてる見た目でも、まあまあなおじいさんなのよね」
「忘れたのか。“会いたかった”と言って手を握ったんだろう。全裸で」
「ちょちょ、セイちゃん。全裸はナイショで」
「な、何だとおおお!? 不埒者めが、そこに直れッ!」
薪割りに使っていたセイルの手斧を放り出し、騎士は愛用の剣を引っ掴んだ。
「ああ、その女王様ならあっしも知ってやすぜ」
その足にまとわりついて突進を食い止めつつ、タルトトが大声で割り込む。
「ヒトにしちゃ珍しい生粋の魔法使いにして、“からくり魔法”の創始者さまでやんす」
「へえタルトちゃん、物知りね!」
片手で卵をいくつも割り入れつつエルシーが褒めると、商人は黒い鼻頭を指で擦って続けた。
「アイリーンさまの発明は、商業にも大きな革新をもたらしたんでやんすよ」
「何を作ったの?」
「遅れることのない魔法時計や、花の枯れない花瓶。勝手に丸くなる絨毯――色々でやんす。どれも今じゃ、愛好家の間で高値で取引されてまさあ」
「……ふーん。昔は、誰も見向きしなかったのにねえ」
素っ気ない反応を示す竜だが、フィールーンはその声に少し引っ掛かりを感じた。内心は深く傷ついたかのような――どこか寂しそうな声。
「ま、アイリーンとは古い知り合いってだけだよ。つーかご先祖さまのことより、もっと訊かなきゃいけないことがあるんじゃない?」
「は……はい」
剣を腰に戻したリクスンが、緊張した面持ちで魔法使いに詰め寄る。
「アーガントリウス殿! 姫様のお身体に有効な手立てをご存知ないでしょうか!? 魔法や魔術でも、なんでも――」
「ん? まあ、そりゃあるよ」
「そそ、そうですよね。簡単、には……えっ!?」
ずずずと音を立てて飲み物をすすった後、知恵竜はさらりと繰り返した。
「あるよ。フィールーンちゃんが、“ヒト”に戻る方法」
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