4−2 安心できる罠があるか
大魔法使いアーガントリウスの拠点は、すぐに見つかった。
静かなアセンビア湖のほとりにぽつんと立つ、丸太小屋である。
ヒト用の大きさをした小屋は静まり返っており、簡素な煙突も仕事をしていない。中からはコチコチと不思議な音が漏れていたが、家主は不在のようだった。
「地味だわ」
「ふむ、質素な暮らしをされているのだな」
「うーん、まあ……泥棒は入らなさそうでいいじゃねえんすか」
「良い木材を使っている」
それぞれが好き放題に所感を漏らす中、後方の王女だけが両腕をさすっていることに気づいたセイルはそっと声をかけた。
「どうした、フィールーン。寒いのか」
「あ、いっ、いいえ……! なんだか、肌がチクチクして」
「森で虫にでもやられたか」
旅装から覗く白い腕をじっと検分していると、その肌がじわじわと赤みを帯びていく。眉を寄せたセイルに、心中の友が意見した。
(世界樹の魔力を感じ取っているんじゃないかな。彼女は魔力に敏感だから)
「そうか……。身体に影響は?」
(大きくは出ないだろうけれど、落ち着いた場所で休んだほうがいいだろう。ここまでの疲れもあるしね)
「あ、あの、セイルさん……っ!」
「?」
フルフルと小刻みに震えている腕から目を上げると、呼び主であるフィールーンが顔を真っ赤にしていた。
瞬間、自分と彼女の間にぬっと大きな影が落ちる。
「貴様ッ、婦女の肌を無遠慮に凝視するな! 離れんか」
「小屋の中でアーガントリウスが戻るのを待つ。入るぞ」
「話を聞け!」
喚くリクスンを放置し、セイルは小屋のドアノブに手をかける。意外にも立派な真鍮のノブは一瞬、青年の顔を反射した後――
『魔法使いの心得、その23はなーんだ?』
「!」
歌うようなキンキン声を放ったノブは、ぐにゃりと溶けてセイルの手を包み込んだ。
さすがに驚きに身を固くした木こりの背後で、仲間たちがどよめく。
「の、ノブが喋りやしたぜ!? これも魔法でやんすか」
「お兄ちゃん、手を離して!」
「……離せない」
「ああもう! こういうの昔にもあったわね!?」
「き、斬るか!?」
「おおお落ち着いてくださいっ、リン!」
何やら物騒な金属音が聞こえてきたところで、賢者が面白そうな声を出す。
(ふふ! そうだった、懐かしいな。安心して、師匠のちょっとした罠だよ)
「安心できる罠があるか。どうするんだ」
(こう答えるといい――)
セイルはテオギスの提示した答えにうなずき――そしてため息をついて復唱した。
「……“心得その23。魔法使いはよく食べよく眠り、よく学ぶ。そしてよく歌い、よく想像し、よく物事に反する。さらに物入れには、最低ひとつのキャンディを”」
『そのとおり! おかえりなさい、アーガントリウス。または弟子の誰かさん』
満足げに叫んだノブは、音もなくセイルの手を解放した。木こりが恐る恐るノブを回すと、今度は苦もなくカチャリと扉が開く。
「……邪魔するぞ」
セイルが足を踏み入れた途端、薄暗かった室内に明かりが灯る。あちこちでふわりと柔らかい光を放ちはじめたのは、不思議な装飾が施されたランプであった。
(少しその場で待つんだ。きっと“調整”してくれる)
テオギスの言葉通り、部屋の中央にあるテーブルは一同を避けるように少し動いた。窓もカタンと音を立てて開き、勝手に換気をはじめている。
羽箒がひとりでに長椅子の上を滑っていくのを見、商人は感動の声をあげた。
「ひゃわわ、家具が勝手に! やっぱり魔法使いさまってのはすげえや」
「み、見たことない道具が、たくさんありますね……!」
「姫様、お手を触れませんよう。どんな危険があるか分かりません」
意外と広さがある室内には、用途不明の道具が所狭しと並んでいた。そのどれにも、魔法や魔術が施された気配がある。
『やあやあようこそ、可愛いお嬢さん方!』
「きゃ!?」
窓のそばに置いてあった狐の姿をした置き物が、黄色い目をエルシーに向けた。
『風呂場は奥の部屋だよ! ビーガハーブの石鹸を使えば、森でこしらえた傷もすっきりツルツル!』
「ええっ!? そんな、お風呂なんて使っていいのかしら」
「おお、それは助かるな! 全身土まみれだ」
『だれが男も使って良いっつったよ、この筋肉だるま。野郎は目の前の湖にでも飛び込んどきな!』
細長い鼻をフンと鳴らし、置き物は静かになる。憤慨するリクスンを宥める王女を眺めつつ、セイルは友に尋ねた。
「もうすぐ日が暮れるが、探しに行かなくていいのか?」
(まさか! あのじじいが――コホン、御老体がそう簡単にやられるわけはないさ。きっとどこかで研究に夢中になっているんだろう。このまま待たせてもらおう)
しかし結局、女性陣が風呂場を使い、色々と口出ししてくる調理場と格闘したエルシーによる夕飯を平らげた後になっても――家主は帰ってこなかった。
*
カーン、カーンと、けたたましい金属音が耳を打つ。
続いて地面を揺らしたのは、大小たくさんの足音。
「竜人だ! 竜人が攻めてきたぞーッ!」
火の粉が舞い、焦ったような怒声が響くそこは――戦場であった。
鈍色の鎧に身を包んだヒトの兵士と、色とりどりの巨大な竜たち。共に同じ色の戦旗を掲げた彼らは、見事な動きで隊列を波打たせている。
「竜の魔法使い達と、ヒトの魔術部隊は前へ! 防壁展開ッ」
「西の丘へ出た部隊と連絡が取れない! くそ、アイツにやられたのか」
憎悪に燃える兵士の瞳が睨みつけたのは、夕闇が広がる空。
立ち上る黒煙を背に浮かんでいるのは、たった1人の竜人である。
「愚かなヒトと竜どもめ。なぜそうも無駄な抗いを続けるのだ」
傷一つ負っていないその竜人は、白い鱗に覆われた尻尾をゆらりと揺らして息を落とす。細められた金色の瞳には、冷たい光が宿っていた。
連合部隊の先頭に立つ男が、臆することなく剣を掲げて叫ぶ。
「何を言う! “世界の覇は我らにあり”――そう宣言し、貴様ら竜人が戦いを挑んできたのではないかッ!」
「事実であろう? ヒトの脆さも、竜の怠惰も我らにはない。竜人こそ、神に等しき至高の存在よ」
ニィと持ち上げられた口角から鋭利な歯を覗かせ、竜人は大軍を見下ろした。両手を掲げると、一瞬で巨大な熱球を生み出す。
真昼のように照らし出された荒野の中で、男は高らかに嗤った。
「さあ――その身を塵芥にする覚悟が出来た者から、かかってくるがいい!」
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