第4章 知恵竜と世界樹

4−1 さすがに斬れる気がしない

 苔むした巨木がひしめく、森の奥地。

 どこか濃厚なその空気を味わうかのように、胸いっぱいに吸い込む音がした。


「ううーん、なるほど! これが“聖地”と名高い、アセンビア湖を抱く森なのね」


 しかし爽やかな所感の末尾に重なったのは、しわがれた鳥の声であった。


「ギャアァーッ!」


 色とりどりの羽をまき散らし、近くの茂みに墜落したその巨鳥――魔鳥“イヴィルイーグル”を見下ろし、緑髪の少女はまたひとつのうなずきを落とす。


「うんうん。鳥のも、なんだか迫力があるわね」

「頭に気をつけろ、エルシー。髪が短くなるぞ」

「それは勘弁ね。――ていうか」


 少女エルシーの茶色の瞳が細くなり、隣に現れた人物を睨みつける。同じ色の瞳を丸くしたのは、巨大な戦斧を肩に担いだ青年。


 その得物からは、紫がかった魔獣の血がボタボタと滴っている。


「全っ然“聖地”なんかじゃないわ、ここ!」

「オレに言うな」

「森に言ったって仕方ないからお兄ちゃんに言ってるの! ああもう!」


 肩をすくめたセイルに背を向け、エルシーは滑らかな動作で長弓に矢をつがえた。一体何に狙いをつけたのかをセイルが判断する前に、その矢は放たれる。


「キシャアアアーッ」


 茂みの奥で断末魔が上がり、ドサリと倒れ込む音だけが残された。


「何だったんだ」

「知らないわよ、でもとりあえず魔獣! この森に入ってから、普通の野生動物なんて1匹もいないんだもの。当たってるでしょ」

「“矢なだけに”」

「射るわよ!?」

「今のはテオだ」


 森に入ってから続く魔獣との戦闘に、妹は気が立っているらしい。そんな荒ぶる獅子のごとき少女からそっと離れ、セイルは後方で戦う仲間たちの元へと走った。


「ぐ、ぬうっ! 次から次へとッ……これほどなのか、世界樹の魔力というものは!」

「ブアアァ!」


 騎士リクスンの構えた剣に頭から突っ込んでいるのは、額に巨大な石板をつけたような猪の魔獣――“ロッキーボア”である。

 普通の兵士ならばその突進で吹き飛ばされてもおかしくないところだが、リクスンは一歩も退く様子を見せない。


「姫様! なるべく大きな木を背にして、辺りを警戒なさって下さい!」

「は、はいっ!」

「ひええーっ! 何なんすか、この森!?」


 巨木の前で震え上がっているのは非戦闘員である2人、王女フィールーンと商人タルトトである。王女の足にすがりついている獣人が甲高い声で訴えた。


「他よりも凶暴だとは聞いてやしたが、さすがに度を超えてまさあ! これじゃ野営の支度もできやせんぜ」

「よ、夜になれば、もっと珍しい魔獣が出てきてしまうのでしょうか……!?」

「恐ろしいこと言わねえでくだせえよ……って王女様、なんか頬が緩んでますぜ」

「え!? いっ、いいえ、そんな」


 ハッとして顔を引き締めた王女の顔を見つつ、セイルは斧を魔獣の背へと振り下ろした。魔獣が悲鳴を上げ、地響きと共に倒れ込む。


「……山菜入りイノシシ鍋」


 気絶した魔獣の丸々とした尻を見つつ呟くセイルに、心中から真面目くさった声で友テオギスが意見する。


(何言ってるんだい、セイル。ここはやはり豪快に――丸焼きといこうじゃないか?)

「それも捨てがたい」

「何を計画しているのだ、木こり!? 戦地で隙を見せるな」

「お前もだ、騎士」


 轟くようなリクスンの糾弾をかわし、セイルは手首を捻ってナイフを放つ。銀の煌めきが向かう先は、王女と商人の背を預かる巨木――その幹であった。


 頭上の異変に気づいたのは、獣耳をピンと立てたタルトトである。


「ん? ぎゃああッ!? 避けてくだせえ、王女様!」

「きゃ!」


 急所に刺さったナイフと共に落下したのは、密かに2人に接近していた巨大な蛇の魔獣である。その皮膚は、幹を切り取ったとしか思えない精緻せいちな模様に覆われていた。


「こ、これは……!」


 商人に手を引かれて尻餅をついていた王女は、空色の瞳を大きくする。急いで四つん這いになり、こと切れた魔獣へと近づいた。


「ま、魔獣メタモスネーク! 完全に植物に擬態でき、5日ものあいだ獲物を待ち続けるという我慢強い魔獣です! 見てくださいタルトトさん、この完璧な擬態を――それにすごい、図鑑に記されていた体長よりもひとまわりも大きい!」

「どこに感動してるんすか!? とにかく進みやすぜ、湖はもう近いはずなんで!」


 商人の指差す方角へ、一同は疲労が溜まりつつある足を押し進めた。


(頑張って、セイル。湖のほとりには、そこまで魔獣が生息していないはずだ)

「何でだ。こいつらは、世界樹の魔力でこんなに“元気”なんだろう」


 足元に這い出てきた気味の悪いツルを踏みつけつつ、セイルは賢者に尋ねる。間を置かず、いつもののんびりとした声が返ってきた。


(蛾と同じさ。彼らは明かりに惹かれ群がるけれど、熱源には決して触れられない)


 その例えにひとまず納得し、セイルは木立の先を見た。籠もったような濃い森の空気が揺らいでいる。鋭敏な鼻が嗅ぎつけたのは、水の匂いだ。


「……アーガントリウスが拠点を構えるとしたら、そこしかないと」

(“師匠せんせい”が魔法を使った跡がこちらに続いている。間違いないと思うよ。ああほら、見えてきた)

「!」


 嬉々とした賢者の声に、仲間たちの歓声が重なる。

 ようやく途切れた木立の先に、その光景は広がっていた。


 王女の感嘆が、久しぶりに顔を見せた大空へと吸い込まれていく。


「わ、あ……!」


 まるで神が匙で大地をくり抜いたとしか思えない、完璧な正円の湖。

 魚の姿が見えない水面は静まり返っており、凍っているのではと錯覚を起こすほど。


 そして中央から天へと伸びるのは、悠然とした巨木――


「あれが……世界樹か」


 たしかにその樹は、セイルの一族が有する森にあるどの樹よりも巨大だった。

 支える根は“大海イカクラーケン”のように盛り上がり、水面から見え隠れしている。湖自体の水深はそこまで深くないように見えた。


「本当に魔獣がいやせんぜ。ふう、これで一息つけるってもんだ」

「ジョセフィーヌを街に預けてきて正解だったな。ここまでの悪路だったとは」

「あら、ほかの“女性”も気遣ってほしいものね! ねえ、フィル?」

「ふふっ……はい! そう、ですね」

「ひ、姫様まで……」


 魔獣の追撃から解放された仲間たちの明るい声を耳にしつつも、セイルはひとりじっと大樹を見上げていた。


(どうだい? “木こり”としての感想を聞かせておくれよ)


 魔獣の血に濡れた斧を柔らかな草地に刺し、青年は太い腕を組んで呟いた。



「ああ。さすがに――斬れる気がしない」

 

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