3−17 ああ。覚えておく

 フィールーンは木の陰で固まったが、観念して木こりの元へと歩み出た。


「す、すみません……。聞き入るつもりは――あ、ありました。少しだけ」

「“そこは誤魔化すところだ”と、賢者が笑っている」

「て、テオさままで……! あ」


 立ち込める生臭い空気に、毛皮を剥がされた紅い肉の塊。生々しい光景に思わず足を止めると、気遣うような声が掛けられた。


「川なら向こうだ」

「い、いえ……。大丈夫です」


 獣の解体書の模写までしたこともある王女は、予想よりもその物体を冷静に検分することができた。感心したように片眉を上げた木こりが、手袋を外して手を清める。


 彼は立ち上がると獲物を回り込み、静かにこちらへ歩いてきた。


「持つ」

「えっ! そ、そんな――あ」


 動揺し終える頃にはひょいと青年に野菜カゴを奪われ、フィールーンは重量物から解放されていた。


「そんな運び方をしていると、すぐに腰を痛める」

「あっ、あ……ありがとうございます!」


 木こりは慣れた手つきでカゴを抱え上げ、すたすたと水桶へと向かった。フィールーンが早足でないと追いつけないほどにその足取りは軽快だ。


「洗うぞ」

「えっ。セイルさんも?」


 桶を満たす澄んだ水面。木こりはその真上で躊躇なくカゴをひっくり返し、野菜の雨を降らせた。


「数がある。2人の方が、早く仕上がるだろう」

「は、はい! では失礼しますっ!」


 桶の前に膝をつき、フィールーンは気合を入れて両手をばしゃりと水へ突っ込む。

 大きく跳ねた水が一条、青年の顔を直撃した。


「あああっ!? す、すすみませんっ!!」

「……」

「ほ、本当に申し訳ありません……! お、お水、お嫌いなのに」


 肩口に頬を擦りつけて水気を拭き取っていた青年は、フィールーンの謝罪にその動きを止めた。


「これくらいなら……別に、なんとも」

「そ、そうですか……。よかった」

「顔も洗うし、風呂にも入る。全身が浸かるような水場でなければ、問題ない」


 それでもごしごしと頬を拭い続けるセイルを見、王女は申し訳なさでいっぱいになった。


 同時に屈強な彼がどうして水などを恐れているのかも気になったが、まだ込み入った事情を訊ける仲ではない。


「あの、セイルさん」

「なんだ」

「きょ、今日はその……ありがとうございました」


 ゴツゴツとした芋の凹凸に挟まった土を指で掻き出しつつ、フィールーンは続けた。


「に、荷物を盗まれたことは、反省しなければと思います。けれど……ええと、なんていうか……」

「“着地できれば飛んだ者勝ち”?」

「えっ? そ、それって」

「……」


 妙なことわざを持ち出した本人が訝しげな表情をしているのを見、王女はすぐに事情を悟った。


「ふふっ! テオさま、ですね?」

「竜どもの言葉は、ヘンなものばかりだ。ヤークもよく言っていた」

「そんな、ふふ、とっても面白いですっ! ぜひ、もっと教えてくださいとお伝えして――」

「……なに? 褒美だと、テオ」


 真っ赤なカブを洗っていた手を止め、セイルは眉を寄せている。その瞳が急にこちらへ向いたので、フィールーンは内心飛び上がった。


 木こりはしばらく心中の賢者の声に耳を傾けた後、不思議そうに言う。


「オレが望んでいた“褒美”を、お前が授けに来たのだろうと言っているが……」

「!」



“だから、ちゃんと『ご褒美』をくれよな?”



 鱗と牙を持つ、もうひとりの青年。

 彼と約束したその“褒美”の内容を思い出し、フィールーンはカブに負けないほど赤くなった。


「いっ、今ですか!? そそ、それは」

「また“むこう”のオレが何か言ったのか。気にするな、忘れていい」

「そ、そう簡単には……!」


 空中で抱き留められた時に感じた彼の温もりや、硬くも滑らかな鱗の感触――それらを思い出し、王女は顔からぼふんと湯気を吹き上げた。


「大丈夫か?」

「え!? あ、いえ、これは何でもっ……!」

「そうか。身体が辛くないなら、いい」


 早くも野菜の半分以上を洗い終えた青年は、ちらとこちらに目を向けて呟いた。

 フィールーンの手から瓜がころりと転がり落ち、小さな水柱を立てる。


「あっ……か、身体のことですか? ご、ご心配をおかけしてすみません」


 この数日間、彼が自分のことを観察していたという告白を思い出し、フィールーンは黒髪頭を深々と下げた。


「と、時々はたしかに苦しいですが、これでも調子は良いんです。そ、それに……この旅は、とても楽しい……と思います」


 たった数日間で旅人になったと言えるのか分からないが、そう感じているのは事実だ。


「変わっていく景色や、すれ違う民の方々……。図鑑でしかみ、見たことのなかった、野草や魔獣……。そして――みなさんとの、おしゃべり。と、とっても楽しいんです!」


 頑丈な窓枠の内側から眺めていただけの、外の世界。

 今回のように危険な側面を垣間見た後でも、やはりそれらは美しかった。


 フィールーンの熱がこもった答えを聞いた青年は、ただこくりとうなずいて言う。


「なら、旅を思い切り楽しめ」

「……! あ、あのっ!」

「?」


 やはり竜人だろうがヒトだろうが、目の前のセイル・ホワードという木こりは同じ存在なのだ。ならば――自分も彼に伝えるべき主張がある。


「せ……セイルさんも、楽しんでください!」


 青年の手からも、ぽんと玉ねぎが抜け出る。

 桶の外に飛び出した野菜のことを追わず、その瞳はやや見開かれフィールーンを見ていた。


「オレ……も?」

「はいっ! い、いっぱいお話して、“冒険”して……! 大人になっても、ずっとずっと忘れられない旅に、しませんかっ!?」

「あ、ああ……」

「そして、い、いつか――!」

 

 桶の縁に手をかけ、フィールーンは身を乗り出した。しかし自分の主張に勢いがつきすぎていることに気づき、水の真上で身体を硬くする。


 呆気にとられた顔をしている青年を落ち着きなく見遣りながらも、最後の願いを伝えた。


「セイルさんからも――ご、“ご褒美”を頂ければと!」

「……」


 具体的に、と言われても説明などできない。

 言ったそばから後悔しはじめたフィールーンだったが――


「ああ。覚えておく」

「!」


――笑った。


 竜の賢者の冗談を聞いて時折浮かべていた、密かな笑みではない。

 堪えきれない可笑しさに少し吹き出したかのような、ちゃんとした“笑顔”だ。


 ヒト姿の彼がそんな顔を――しかもフィールーンに向けての笑顔を作ってくれたことを思うと、何とも言えない感動が湧きあがった。


「……っ」


 それでも身体は正直に、耳の端まで熱くなっていく。王女は口の中でもごもごと呟いた。


「い、いいんでしょうか……? も、もう“頂いて”しまって……」

「?」

「あっ、い、いえ! さ、さあ早く作業を仕上げましょう! お腹が減りました!」



 その夜やっと口にした食事は、王女が読んできた数々の物語に出てきたどんな食事よりも美味であった。



<第3章:さんざんで素敵な冒険 完>



***


3章読了お疲れ様でした&ありがとうございました!

少しでも「よかったぞー!」と感じていただけたら作品のフォローや♡、コメント応援などお待ちしております。


キャラクター紹介を挟みまして4章へと続きます。賢者テオギスの師匠である竜との出会い、そして脅威の正体がちらりと……? ぜひお楽しみくださいませ。


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