3−16 信じられなかったわ
騒動が決着した頃には、全員の腹の虫が空腹を訴えはじめていた。
さっそく森の中で仕留めた獲物を回収し、木こりの妹を指揮官として夕食の準備が進められていく。
「あ、あのっ、エルシーさん! わ、私にも仕事をください」
「え? そんな、いいですよ。疲れたでしょうから、荷車で休んでいて――」
「や、やりたいんですっ! これから、毎日」
鼻がぶつからんばかりにエルシーに詰め寄ったフィールーンは、一気にまくし立てた。
「お、お料理もお洗濯も、経験はありませんが――教えて、くださいませんか!?」
「でも王女様にそんなこと」
「王女だって、た――旅の仲間です!」
言い切ってみると、途端にエルシーからかしこまっていた表情が消え去る。
「え、遠慮しないで、ほしいんです。盗難のことも、も、もっと責を受けるべきでしたし……。それに王女だから仕事をしない、とかその……分け隔てなく、ですね」
「――それじゃあなたは怒られたり、雑用をしたいってこと?」
「え、えと……はい。そういうことに、なりますね」
フィールーンは自分が妙な申し出をしていることを自覚し、赤くなる。
「ふふっ……!」
しかし形の良い唇をくっと持ち上げ、エルシーは小刻みに笑い声を漏らした。
「こ、滑稽かも、しれませんが……! なにか、お役に立ちたくて」
「バカにしてるんじゃないわ。ただ嬉しいのよ」
目の端に浮かんだ涙を指で拭い、少女は安堵したような息を吐いた。
「本当はね、あなたと友達みたいに話せたら……ってずっと思ってたの。でも、木こりの妹と王女様でしょう? そもそも同じ荷車の上にいることだって奇跡なのよ」
「そ、そんな」
「そうよ」
大きな茶色の瞳に夕空を映し、エルシーは深呼吸してみせる。
「“王女様”はあたしにとって、今も絵本の中で輝いている存在なの」
「……」
彼女が親しんだ絵本に描かれている“王女様”は、きっと自分が目にしてきたものと同じだろう。そう思うと、フィールーンは気分が沈んでいくのを感じた。
「でも見て」
静かだが力強い声に導かれ、ふと顔を上げる。
「あたしの国の王女様は、出会ったときから綺麗なドレスなんか着ていなかった。それに指輪のひとつも嵌めていない……普通の女の子だったわ」
「す、すみませ――」
「ええ、信じられなかったわ!」
少女の口から飛び出したのは、まるで歌声のように明るい響きだった。
「勇気があって、頭が良くて。それから誰に対してもとびきり優しい――想像通りの、“素敵なひと”だったのよ!」
「!」
花のような笑顔を浮かべ、エルシーは微笑む。
「そんな人から親密にして良いと言われて、嬉しくないわけがないでしょう?」
「え、エルシーさん……!」
心の奥がカッと熱くなり、フィールーンは胸を押さえる。
竜人に成る時とは違う、温かな熱だ。その奇妙な心地をたしかめていると、目の前に色白の手が差し出された。
「友達になってくれる? フィル」
「……っは、はい! 喜んでっ!!」
その手を握り、ぶんぶんと上下に振る。相手が楽しげに苦笑していることに気づき、慌てて手を離した。
「すみません! いきなり、馴れ馴れしく」
「良いわよ。それじゃさっそく、いくつか仕事を頼もうかしら」
「はいっ! お、お願いします!!」
深く頭を下げ、気合に満ちた表情で少女に向き直る。
そこで笑顔と共に待っていたのは、土にまみれたカゴいっぱいの野菜たちであった。
*
「うん、しょっ……! すごいわ、こ、こんな量をいつも……。ん?」
川のそばの桶へと野菜を運んでいたフィールーンは、森の中で言い合う声を耳にした。
「そこはもっと丁寧に取り除け。残すと、肉に臭みがつく」
「ええい注文が多いぞ、木こり!」
「剣士のくせに、刃物の扱いが下手すぎる」
「長剣と料理用ナイフでは取り回しが違うのだ!」
木立の陰からそっと窺うと、デーモンディアの解体作業に勤しむセイルとリクスンの姿があった。
彼らの間に横たわる獲物はすでに皮を剥がされており、なかなか衝撃的な有様となっている。
「しかし、この臭い……。うっ」
「吐くなら川辺へ行け」
「は、吐かんッ!」
生き物の図鑑で解剖図を見慣れているフィールーンはそうでもないが、側付は青い顔をして肉塊を睨んでいる。いつもと同じく、根性のみで苦難に立ち向かっているようだ。
「……悪かった」
「む、なんだ唐突に。たしかに俺は、このような作業には不慣れだが――」
「違う。……王女のことだ」
作業を間近で見学させてもらおうと頭を出したフィールーンは、木こりの申告に慌てて木陰へと退がった。ふたたび盗み見ると、リクスンも怪訝な顔をしている。
「姫様のことだと?」
「ああ……。危険な目に遭わせた」
セイルの声はいつもの淡々としたものよりも、わずかに沈んでいる。フィールーンはひとり胸を痛めたが、彼の懺悔は続いた。
「あのまま戦闘が続けば、一般人の前で“竜人化”するところだった。お前やエルシーが来てくれて、その……助かった」
「……貴様は、“あの姿”をなるべく民に晒したくないのだな?」
「!」
いつもは“鈍感騎士”などと侍女たちに揶揄される側付だが、不思議と鋭い部分を突くこともある。
フィールーンの予想通り、木こりの青年は精悍な顔に驚きを浮かべてうなずいた。
「そうだ。テオもその方が良いだろう、と……」
「ならそう申しておけ。いくら竜人とはいえ、ヒトの身で複数を相手にするのは困難だ。そこは分担して立ち向かうのが定石というもの」
顔の下半分を覆っていた作業用の布をぐいと下げ、リクスンは真正面から相手を見つめる。彼もまた大事なことを告げたいのだと王女は察した。
「フィールーン様の側付は俺だ。しかし無論、貴様にも最善を尽くしてもらわねば困る」
「オレは……騎士じゃない。ただの木こりだ」
「あのお方はそのようなことは気になさらない」
騎士の言葉にも、木こりの青年は微動だにしない。フィールーンはその表情をよく見ようと、幹に頬を押しつけて身を乗り出した。
「長年お仕えしてきて、“竜人”の力が絶大なものだということは分かっている。“あの姿”に成った姫様は魔力が尽きるまで暴れるか、ご自分を傷つけて疲弊させ鎮めようとなさる。それが俺は――堪らんのだ」
「……」
抱えているカゴの中から、音もなく丸芋が茂みへと落ちる。フィールーンは眉を下げ、側付の寂しそうな横顔を見つめた。
「貴様が城の森から姫様を連れ帰った時……ヒトとして目を覚ました彼女は、涙をこぼさなかった。己の暴虐を嘆くこともなかった――それは、初めてのことだ」
「……そうか」
「うむ。どうやって彼女を鎮めたかは知らんが、やはり竜人には竜人なのやもしれんな」
なにやら小っ恥ずかしい記憶が脳裏を掠めたが、フィールーンは小さく頭を振って男たちに集中する。
「だから貴様も胸を張り、姫様を守れ。不都合があれば、遠慮なく俺を呼べ。いいな?」
「……分かった」
素っ気ない返事にもリクスンは満足したようにうなずいたが、途端に胸を押さえて立ち上がる。
「布を外すのではなかったな……うっ!」
「川は向こうだ」
「す、すぐに戻る……」
リクスンは呻くように言い残し、口元を押さえてふらふらと茂みの奥へと消えていった。
しばらくするとひとり残った青年が急にこちらに向き、血塗れの手袋をつけた手を挙げる。
「覗き見は行儀が悪いぞ。王女」
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