2−24 簡単に言えば、地獄だった

「なっ! “鉄槌のヤーク”だと……まさか――前騎士隊長殿が、貴様らの森に!?」

「ひゃ!?」


 隣から上がった大声に、話にのめり込んでいたフィールーンは小さな悲鳴を漏らした。


「……」


 見ると自分の側付である騎士リクスンが身を乗り出し、目を白黒させている。

 静かな語り部の代わりに答えたのはカイザスだ。


「そうだ、リン。私の前任であり、そして数々の武勇を騎士隊に残した豪傑の竜――ヤクレイウス・バーリン殿で間違いない。直筆の書状も届いている」

「馬鹿な! 義兄上あにうえに隊長職を引き継がれた後は、世直しの旅に出られたと……。それがなぜ、こんな木こりなんぞの師に」


 若き騎士の顔に現れているのは、はっきりとした嫉妬である。フィールーンは思わず口角を上げそうになったが、なんとか堪えた。

 己を鍛えることに余念のない彼が妬むのも無理はない――それほどに城では有名な御仁なのである。


「ヤークはオレたちの話を聞き、師となることを了承した。指導料も払えず、食事と寝床の提供しかできなかったが……」

「ついには“幼子ふたりだけの暮らしなど、我が認めんッ! 今日から我がお主らの父だ!”とか言い出しちゃって。ふふ、懐かしい!」


 兄の隣に座るエルシーが膝を抱え、くすくすと笑って言い足す。


「あ、あのヤクレイウス様が……おふたりの、養父に」

「知ってるか」

「はい。ち、小さい頃にお会いしたことが……」


 フィールーンはその様子を思い描こうとしたが、かの豪傑の広い背を見た記憶はあまりにも遠いものだった。ただ彼の周りにはいつも他者の輪があり、慕われている武人であったことはよく覚えている。


「でも、本当に強くて優しい竜でね。森の警備も楽になったし、武技だけじゃなくて外の世界のことも教えてもらって……。本当に、お父さんみたいだったわ」

「あの、エルシーさん。か、彼は、今……?」

「ああ、心配しないで。今も元気に、あたしたちの森を守ってくれてるわ」


 からりとした声で告げられた現状に、フィールーンはほっと息をつく。

 対して隣のリクスンは、どこか不満げに鼻を鳴らした。


「なぜここへお連れしなかったのだ。最初からヤクレイウス殿が一緒であれば……」

「家や畑の保守をしたいのと、王都には戻りたくなかったらしい。“男は花道を引き返さぬものだ”――と」

「む……。そうか」


 フィールーンには理解できない美学だが、側付はそれで納得したらしい。

 話がひと段落したのを見た獣人が、歯切れの良い声を挟む。


「さぁさ、面白くなってまいりやしたがね。とっぷりと語り込むにゃ、ちょいとお時間が足りませんぜ?」

「タルトトの言う通りだ。申し訳ないが少し時を早回ししてくれるかな、セイル君」


 カイザスに促された語り部の青年は、とくに気を悪くする様子でもない。少し不思議に思ったフィールーンだが、その理由はすぐに本人から告げられた。


「オレもあまり、修行時代のことは話したくない……」

「あ、あたしも……」


 兄妹が揃ってげっそりとした息を落とす。どれほど厳しい修練を積んだのかと気になったが、王女は湧き出る好奇心を抑えて黙っていた。


「それからの7年は、オレは体づくりと武技の修練に……エルシーは弓と精霊の扱いを深めるのに充てた」

「7年も……!」

「簡単に言えば、地獄だった」

「そ、そうなんですね……」


 それ以上の追求を許さないといった一言に、フィールーンはごくりと唾を飲む。そんな兄を見かねたのか、緑色の精霊と戯れていたエルシーが補足を挟んだ。


「あたしの“癒しの力”は、その修行中に会得したものなの」


 彼女が生まれつき持っている力だと思っていたフィールーンは、騎士隊長の忠告も忘れて質問した。


「で、では! 私でも機会があれば、会得することが……?」

「うーん、どうかしら。精霊と意思疎通できなきゃ、難しいかもしれないわね」


 困ったように微笑んだエルシーに、王女は小さく肩を落とす。するとすかさず隣から励ましの声が飛んできた。


「突出した力など無くとも、姫様は十分に立派なお方です!」

「ありがとう、リクスン……。でもわ、私なんて皆さんに比べれば、ただの本食い虫です……」

「落ち込まないでください! 貴女が取り寄せを希望する書籍の値が張って仕方がないと、侍女長が感極まっていましたよ!」

「そ、それ……絶対怒ってますよね……?」


 重々しいフィールーンの言葉に、側付騎士は首を傾げている。早く別の話題に移行してほしいという願いを込めて木こり青年を見ると、彼はうなずいて話を引き取った。


「サリーンの一派以外、襲ってきた“半端竜人”はいなかった」

「きっと“組織”の中で一足先に功績を上げたくて、秘密裏に動いてたのね。結果的には森で全滅しちゃってるから、あたしたちのことは伝わらなかったみたい」

「よ、よかった……!」


 ヤクレイウスがついているとはいえ、修行中の幼い兄妹が竜人たちに襲われる話など聞きたくない。フィールーンは安堵の意を込めて微笑んだ。


「城の……お前の状況は、テオと懇意にしている者からたびたび報告を寄越してもらった」

「!」

「エルシーが代筆して返事を出し、オレたちは情報収集に努めた。早く出発すべきかとも思ったが、力をつけてからでないと本末転倒の恐れがあると」

「そうなの。あたしもすぐに駆け付けたかったけど……ごめんなさい、王女様」


 どこか気まずそうに視線を逸らす兄妹に、フィールーンは慌てて言う。


「そ、そんな! あの……お、お気遣い、嬉しいです」

「ふん。せめて賢者様の魂がまだこの世にあると、一報ぐらい寄越してほしかったものだ。城の者は皆、悲しみに打ちひしがれたのだぞ」


 リクスンがやや恨めしげに言い添えると、木こりは無表情のまま答える。


「手紙ですべてが伝わる状況じゃなかった。それに王も側付たちも素直な者ばかりで、真実を記した文など出せば――大挙して森に押し寄せてくるだろうと、テオが」

「はっはっは、違いない! 陛下や私などは政務を放り出し、その日のうちに発つだろうな」

「あ、義兄上……」


 快活に笑ってみせる義兄に肩を落とし、リクスンはもう良いとばかりに手を挙げる。


 改めて一同を見回し、語り部はふたたび時を過去へと戻した。



「そして今年の初め、例の“異病”の情報を得た。間違いなく竜人が絡んでいるとみたテオは、王都へ向けて出発するようオレに告げた――」


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