2−23 たのもーうッ!
(さすがはエルシー!)
言いにくいことを肩代わりしてもらった竜は明るい声を上げ、妹を賞賛した。
セイルの手の中で、ぽきりと軽い音を立てて木のスプーンが折れる。
「たたかい? おれが?」
「だって、いずれ“わるいヤツら”をやっつけるんでしょ?」
「それは……」
「お兄ちゃんは力はつよいけど、だれかとたたかうなんてコトしてこなかった。だからそういう“ケイケン”が、もっといるんじゃないかなって」
すでに用意していたらしい予備のスプーンをセイルへと差し出し、妹は見事な推測を締める。セイルは薪の足しになりそうにない木片をテーブルの端へと集めながら思案した。
「けど、だれとたたかうんだよ……。町の剣術道場にでもかよえって?」
「ざんねんですけど、うちにそんなヨユーはありません」
「だよな。それに、おれもいきたくない」
妹が間髪入れずに放った忠告に、セイルはほっと胸を撫で下ろした。
横に並んで元気に木剣を振るう子供達の輪に自分が加わる姿は、どうしても思い描けない。
(実は僕も、身体を使った戦いにおいては門外漢でね)
「モンガイカン?」
(うん。つまり、“ど下手”ってことさ)
「じゃあ、どうすんだよ……。おれ、魔術はニガテだぞ」
自分の呻き声に、妹も同意のため息を落とす。精霊がからかうように彼女の肩を滑り落ちた。
(安心してくれ。実はもう、助っ人を呼ぶための手はずは整えているんだ)
「え?」
(以前にエルシーと精霊の助力を得て、特殊な魔法を飛ばさせてもらってね。有事の際は、僕の信頼する者がここへたどり着けるよう根回しをしてある)
「そんなこと、いつの間に――」
この森の責任者として詳しく話を聞こうとセイルが身を乗り出した瞬間、家の外が騒がしくなった。
地響きのような足音に、パンの塔がぼろぼろと崩れる。
「たのもーうッ!」
蹴破るかのような勢い――実際に、頑丈な木材で作り上げたはずの扉にはっきりと亀裂が走った――で戸口が開き、茶色い影が室内へと突進してきた。
凍りつく兄妹を前に、乱入者はやたらと大きな声を轟かせる。
「すまぬテオギス、遅くなったなッ! “報せの鳥”から貴様の魔力が消え失せたのを見、遥かなる山々を越えて馳せ参じた!」
「……」
戸口を塞ぐように立つその男はたしかに竜だったが、テオギスとはまるで違っていた。
「それで、何事だ! 敵か!?」
苦もなく2本足で立ち上がっており、くたびれた茶色の外套に身を包んでいる。背の小ぶりな翼の間には器用に、古ぼけた旅荷を背負ってさえいた。
「おお、そこのヒトの幼子ら! 食事時にすまぬが――」
背丈はヒトよりも大きく熊のようだったが、それでもやはり竜とは思えない――まるでヒトの住まいに合わせて小さくなったとでも言わんばかりの小柄さであった。
「竜……なのか?」
「ぬ、この見目の竜と会うのは初めてか? なに、自然の姿でヒトと生きるのは不便だからな。こうして皆、取り回しの良い身体へ変化することを覚えるのだ!」
気さくな調子で舌を奮っていた竜は、縦長の瞳孔を持つ目を室内に走らせて問う。
「時に、幼子らよ。この辺りで、美しい紺碧の竜を見かけなんだか? 我の友なのだが」
「!」
はっきりとした野太い声だが、尋問するような敵意は含まれていない。セイルは妹と視線を交したあと、乱入者へと身体を向けて答える。
「……その竜なら、しっている。おれたちも、ともだちだ」
「応、ならば上々! して、かの竜は?」
「死んだ」
嬉しそうに輝いた顔が、セイルの一言に硬直する。
自分が話すべきだったとばかりにエルシーが頭を抱えるのが視界の端に映るが、もう遅い。
「し……死んだ……だと!? あやつが!」
「ほんとうだ。ヘンなヤツがおそってきて――この森を……おれを、まもって死んだ」
「お兄ちゃん」
妹が苦しげな表情を見せて口を挟むが、セイルは小さく頭を振る。起きた出来事だけを話すならば、間違いはないはずだ。
「なんと、そのような凶事が……ッ! では我は、友の窮地に間に合わなかったというのか!」
「ああ」
「くうぅッ……うおおお!」
床板を軋ませて竜は膝を折り、緑の鱗に覆われた逞しい手で拳を作った。わなわなと震えるその拳には、武人らしき立派な傷跡がいくつも浮き出している。
「おお、テオ……テオギス・ヴァンロードよ! 幼子を助けその身を散らすとは、なんと高潔――そして、なんと勇敢な漢かッ!」
「なんか、シチューよりもあつくるしいわね……」
困ったように肩の精霊へと呟いた妹に、セイルも小さくうなずく。しかしどう受け取ったのか、大男はがばっと身を起こしてを兄妹を見据えた。
「あいや女児よ、強がらぬとも良い! かの賢者の魂であればまず間違いなく、清らかな“天ノ国”へと召されるであろう」
「は、はあ……」
「無論、我も弔いの意を示したい。もちろん墓はあるのだろう?」
「ええと……」
言い淀んだエルシーを見下ろした竜は、またしても何か勘違いをしたらしい。
感情豊かな黄色い瞳に熱い涙を浮かべ、激しく角頭を振った。
「すまなかったッ! 友を失った悲しみは同じだというに、急いた申し出であったな」
「あの、とりあえず話を――」
「ああ良い、良いのだ! 我のために辛き思い出を語ってくれるな、幼子よ。せっかく乾いた小さき頬を、ふたたび涙に濡らすことはない」
「――墓はつくらなかった。必要ないからだ」
「!?」
切り込むようなセイルの声に、さすがの乱入者も舌を噛んだように黙る。
「な、なんと……?」
「あいつはまだ生きてる。ここで」
トン、と小さく自分の胸を叩いたセイルを、竜はじっと見つめた。その隙に心中から友の声が聞こえ、セイルにひとつの指示を与える。
(セイル。僕の言葉をそのまま、彼に伝えてくれるかい?)
少年はうなずき、すぐさまそれを実行した。
「あんたは、ヤクレイウス・バーリン――“鉄槌のヤーク”だろ?」
「ぬっ!?」
「あんたには、おれの師匠になってもらいたい」
「ぬぁっ!?」
「テオギスやルナニーナをころしたヤツらをつかまえるために、手をかしてほしい」
「ぬああーっ!? な、なんだとぉーッ!!」
小屋を震わせるほどの声で叫んだあと、竜は突風で吹き消えた焚き火のように先ほどの熱を失う。
「……」
しばらく呆然としていた乱入者はやがて冷静になったらしく、つるつるとした鱗頭を掻いて呟いた。
「あー……すまぬが幼子よ。詳しく話を聴かせてもらえなんだか?」
(やれやれ。やっと“物語”が進みそうだね?)
心中から賢者の苦笑が聞こえてくる頃には、机上のスープはすっかり冷め切ってしまっていた。
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