2−18 ともだちだって、言っただろ

 竜人サリーンの怒号はすぐに水柱に呑まれ、掻き消えていった。


「こ、の――ッ!!」


 やがて水柱は収縮され、巨大な水の玉となって宙に浮かぶ。すると水流の勢いは激しさを増し、中の襲撃者は赤い花弁のようにきりもみになった。まるで巨大な水の牢である。


「す、すごい……!」


 いつの間にか星が瞬きはじめた群青の空を背に浮かぶ大魔法を見上げ、セイルは呆然と呟いた。

 しかしその作り手が傍にくずれ落ちたことを知ると、少年の驚きは悲鳴へと変わる。


「テオギス!?」

「最後の……足掻き、さ……。魔力のほとんどを、持っていかれるから、ね……この技は」

「そんな」

「けど、少しの時間稼ぎには、なるだろう……」


 苦しそうに細められた瞳を見、セイルは友へと駆け寄る。相変わらず血はとめどなく流れ、呼吸は細くなっていた。その絶望的な量の血は、セイルの思考までもを押し流していくようだった。


「が、は……ッ」

「テオ! くそ……!」


 セイルは憤り、手にしていた戦斧を煤が積もった地面に突き立てた。


「おれ……おれの、せいだ」


 大昔から伝わる伝説などを信じ、怪しい女からもらった斧。

 本当に強力な力が秘められているとしても、この場で使えなければただの役立たずな道具である。


「それ、が……ダンが言ってた、戦斧か……。なるほど、興味深い……ね」

「こいつで、たすけられると……おもって」

「ありがとう。君は、勇敢……だった――ぐ、げほッ」

「!」


 労いの声に血泡が混じり、竜は大きく咳き込む。巨体が震え、また傷から血が流れ出た。セイルは戦慄した声で呟く。


「なおせない、のか……? ま、魔法で」

「ちょっと……無理、かな……。その力を、使える者は、少ない、し……。竜人たちから、受けた傷は……治りが、遅……っぁ!」


 なにが“奇跡まほう”だ、とセイルは心中で罵った。しかし竜が治癒などという技を持っていないことは、この半年で証明されている。


「……っ」


 少年の憤りは、無力な己へと向けられていた。


 どうして、もっと確実に敵を斬れなかった?

 どうして、この日に備えて戦いの修練を積んでおかなかった?


 どうして、――自分にとって大事な者を失いそうになっている?


 周りの木々を炙る炎は相変わらずの熱を浴びせてくるが、セイルは己の身体が芯から冷え切っていることに気付いた。


 手足は痺れているようにも、感覚を無くして浮遊しているようにも思える。

 身体はすべて作り物だという気がした。


「いくな……」


 呵責に灼けつく喉から漏れたのは、絶望への弱々しい抗い。


「いかないでくれ、テオ! ともだちだって、言っただろ」

 

 小さな火の粉が漂い、セイルの腕に付着する。

 すぐに現れた火傷だが、少年は悲鳴のひとつも上げなかった。


 このくらいの痛みが何だというのか。

 目の前で全身から血を流している竜は――そして先ほどまで剣を振るっていた父は、きっと途方もない痛みを味わってきたに違いない。


 自分だけが腑抜けであるように感じ、セイルの手足が冷たくなった。


「失礼、するよ……」


 倒れているテオギスが長い首を動かし――その度に傷から血が吐き出される――、力なく座り込んだセイルの膝近くに寄り添う。


「うごく、なよ……血が」

「いい、んだ……。ここが、いい」


 掠れた友の声を聞くとセイルは堪らなくなり、震える手でその頭部をかき抱いた。


「テオ、ギス……っ」


 自分の短い腕や膝では、友を支えてやることもできない。しがみついていると言ってもよかったが、賢者は穏やかに目を細めている。


 血に濡れてもなお美しく輝く鱗に、ぽたぽたと少年の涙が落ちた。


「泣かないで、おくれ……。セイル……」

「竜は……つよいんだろ。それにおまえは、なんでも知ってる“けんじゃ”なんだろっ……!?」


 誰かを――致命傷を負っている当人にさえ――頼らなければならない自分の無力さに、セイルは鱗の上で拳を震わせた。


 火で炙れば水は蒸発すると聞いたのに、頬を伝う液体は一向に乾く気配がない。


「じゃあ、じぶんを助けろよ!」

「なんにでも……終わりは、ある……ものさ……」

「おわるなんて言うな!」


 拒絶を叫んだところで惨めさが深まるばかりだったが、少年はそうしないではいられなかった。


「くそ……ッ!」


 妹を呼んだところで、広場の炎がおさまったところで――もう、この竜が助かる見込みはない。彼はあまりにも血を流しすぎている。


 生きるため、数多の野生動物を糧にしてきた経験がそう告げていた。


「いいや……。本当の、終わり……じゃない」

「!」


 予想外の進言に、セイルは煤で汚れた茶色の頭を跳ね上げる。

 静かな――そして怖いほど真っ直ぐな光を宿した竜の瞳と視線がぶつかった。


「セイル……頼みが、あるんだ……。聞いてくれる、かい?」


 まだこの賢者は、秘策を持っているのだ。希望のつぼみが心中で膨らみ、セイルは前のめりになって答える。


「なんでもする!」

「君に、僕を……預かってほしい」

「!」


 どういう意味なのかと少年が探りはじめる前に、竜は不思議な笑みを浮かべた。


「君は……友と、世界のために……ヒトを、辞められるかい?」

「え……?」


 なんでもすると宣言したものの、さすがにセイルは答えに詰まった。その間に竜は長い息を吐き、一瞬目を閉じる。


「今こそ、話そう……。小さな友よ」

「! だって、おまえ」


 心配が顔に出ていたのだろう。セイルを見上げたテオギスはぎこちなく微笑んでいる。


「身体のことなら、まだ……大丈夫だ……。まあ……だから竜は、こういう時……辛いん、だけどね」

「なら、だまっとけよ! いま、話なんて」

「いいや……。今、伝えておきたいんだ……。僕と妻のルナニーナ、そして――」


 歴史を話してくれる時のように穏やかな声の中に、強い意思が宿っている。

 それは彼の覚悟なのだとセイルは直感した。



「フィールーン姫様のこと、を」


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