2−17 いや、気遣いは無用だよ


「とう……さん」

「お……とうさんっ……!」

「ぐっ――あぁ!」

「!」


 父との別れに立ち尽くしている暇はなかった。少し先で上がった轟音にハッと我に返ったセイルは、父の骸越しに目を向ける。


「うっ……」


 声の主はテオギスだった。その巨体をもって敵と相対していた竜だが、やはり“竜人”には致命傷を与えられないらしい。


「はっ……くそ! 死にかけの竜畜生が、舐めやがって……!」


 先ほどと立場は逆転し、彼の群青の背を踏みつけているのはサリーンであった。


 鱗に覆われた女の足は細いが、途方もない力を掛けることができるのだろう。竜の太い骨が、ミシリと嫌な音を立てて軋む。


「……」


 セイルは一度しっかりと目を閉じ、深呼吸した。


「エルシー。せいれいと一緒に……父さん、はこべるか」

「え? ええ……。風の精霊が、たくさんきてくれてるから、たぶん……」


 疲れ切ったような声の妹を心配したのか、淡い緑色の輝き――彼女ともっとも親しい風の精霊たちが、たしかに数を増やしながらふわりふわりと舞っている。


「火のないところまで、つれていってやってくれ……。おれは、テオをたすける」


 セイルの目が戦斧の位置を確認しているのを悟ったのか、エルシーは恐々と言った。


「あ、あの斧で!? むちゃよ」

「そのためにとってきたんだ。それにテオがやられたら、アイツはオレたちをころしにくる……。ここでなんとかするしかない」

「それは……!」


 聡い妹は反論のため口を開き――結局、力なく肩を落とした。彼女が手をかざすと、父の背を支えるように精霊たちが舞い降りる。


 セイルの肩から、まだ温かい父の亡骸がふっと浮いて離れた。


「あたし……“ふたりぶん”のお墓なんか、つくれないからね」

「わかってる。ぜったいもどる」

「まってるからね。お兄ちゃん」


 まるで光の絨毯のように父を乗せた精霊たちと共に、エルシーは姿勢を低くしてそっと前進をはじめた。

 家族が木立に辿り着くまで見送ると、セイルは狐のように俊敏に広場を駆ける。


「どうしたのよ、賢者サマ? 竜らしく飛んでみなさいな!」


 子供の行動など気にも留めない様子のサリーンは、興奮した笑い声を響かせながら何度も足を振り下ろした。

 その度に地面から土煙が立ち昇り、血の気が引くような鈍い音がセイルの耳を打つ。


「ぐぅ、あッ……!!」

「ごめんあそばせ、何本か折れちゃったかしら? 魔力も尽きかけね……お得意の魔法が見られなくて、残念ですわ!」


 セイルは再び手にした戦斧を手に走り、大きく広場を回り込んだ。もがくように弱々しく動いている竜の尻尾を足場に、その背へと駆け上がる。


 赤い翼を持つ敵の背を見据え、少年は一切のためらいを振り払って戦斧を構えた。


「うああああッ!!」


 がん、と硬質な音が広場に響き渡る。


 およそ生身に刃物が振り下ろされたという音ではない。同時に手に盛大な痺れが走り、セイルは顔を歪めた。


 弾かれた戦斧の柄をなんとか握り直した少年に、冷たい声が降る。


「……ダーニルの子。アナタ今、何をしたか――分かっていて?」

「!?」


 古びた戦斧が斬ったもの――それは女の翼でも背でもなく、えんじ色のドレスだった。


 狙いを違えたわけではない。竜人の肌が硬すぎたのである。


「背後から婦人の着物を斬り裂くとは……小さくても、さすが“森男”ですわね」


 冷静とも言えるその声が、さらにセイルの恐怖を煽る。斜めに裂かれたドレスがはらりと垂れ、女の艶かしい背が露出した――赤い鱗にしっかりと守られたその背には、小傷ひとつ付いていない。


「そん、な……! だって、これは」


 この戦斧は、恐ろしくも強大な力が込められた秘密の武器ではなかったのか。古びて斬れ味が悪くなっているという話ではない。まったく効いていないのだ。


 驚愕と絶望に、少年の思考が真っ白く染まる。


“持つのと使うのは、また違うけど”


 西の森で“泥女”が呟いた言葉が蘇る。どう見ても子供が取り回せる大きさではない大戦斧だが、セイルにとっては羽のように軽く感じた。


 その不思議な感覚に、自分は“持ち主”として認められたものだと確信していたのだが――。


 “現実”が、血走った眼を少年へと叩きつける。


「このドレスで、“あの御方”へご報告するつもりだったのに……ッ!」

「セイルっ!」

「!?」


 叫び声と共に突如足元が揺れ、セイルは仰け反った。


 役立たずだとしても唯一の武器を手放す気にはなれず、柄を握る力を強める。そのまま地面へと放り出されるも、素早く伸びてきた尻尾によって直撃は免れた。


「チッ……」


 振り払うように身を捻った巨竜よりも早く、サリーンは宙へと戻っていた。竜の賢者は、血が滴る身体を伏せたままセイルを見下ろす。


「なんて、無茶……を」

「テオ! おれもたたかう」

「ダンを、みていた……だろう? 君は、妹をつれて」

「父さんはしんだ!」

「!」


 そう叫ぶと、心臓がすぐさま弾けてしまいそうだった。

 しかし賢者の言葉を止めることには成功したらしい。セイルは戦斧を握り締め、もう一方の手で胸を叩く。


「だから、いまはおれが“かちょう”だ!」

「セイル……」

「それで、とうさんがしたように――おれも、おまえをたすける。エルシーもだ」


 その宣言を耳にしたテオギスは、血が流れ込むにも関わらず青銀の瞳を大きくし――どこか震えた声を落とした。


「そう、か……。君も、ホワード家の男……だったね」


 何か考えるように目を閉じた竜の上に、ふっと影が舞う。


「心配しなくても、すぐに父親に会わせてあげるわッ!」


 影の主は竜人女、サリーンであった。

 ドレスから突き出しているのは、肥大化した竜の脚だ。 


「いや……気遣いは無用だよ、サリーン」

「!?」


 静かな声が響いた瞬間、空中でぴたりと女の動きが停止する。

 熱風立ち込める広場に突如として出現したのは、巨大な水の柱であった。


「あがっ――!?」


 敵だけを呑み込み真上に吹き上げる水柱は、捻じ切るような水流のうねりを伴った激しいものであった。


 天変地異のようなその光景に唖然としている少年に、魔法の使い手は告げる。


「こんな局面で、悪いが……セイル」

「お前……?」


 竜の賢者は、血が滴る長い口をゆっくりと吊り上げた。



「最後の“お喋り”に、付き合ってくれる気は……あるかい?」


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