2−19 ここからが、大事な話だ

 竜の口からこぼれたのは、木こりとは一番縁遠いであろう存在の名であった。


「ひめ、さま――?」


 驚いたセイルを置いて、友は続きを語りはじめる。その目には、敵を内包して回転し続ける水牢がしかと映されていた。


 強力な魔法を維持しつつ語る賢者の集中力に、セイルは圧倒され黙る。


「僕たち、は……ヒトと、竜の国……このゴブリュード王国で、“賢者”と呼ばれて、いた……」


 そんなこと知っている、と急いた言葉を投げようとしたセイルはハッとした。


 ――そんなことぐらいしか、この竜について知らないのだ。


「何代もの、王が……平和を、つないだ……すばらしい、国だった……。なのに、半年前……」


 今と同じようにこの森で倒れていた彼を思い出し、セイルは身を強張らせた。


「妻……“ルナニーナ”が……城で……殺された」

「!!」


 またしても自分とは縁がないと思っていた言葉が飛び出る。


 森暮らしには時として、命のやりとりが発生する。しかし誰かが悪意を持って、他人を手に掛ける――そのような悪事を企む者は、当然この森にはいない。


「僕は……外に、出ていて、ね……。彼女を、守れなかっ……た」

「テオ……」


 一段と細くなった声に、セイルの内をどうしようもない不安と心配が巡る。

 彼も家族を失った経験があるのだ。それも、ごく最近に――。


「だ、だれが……?」

「わから、ない……。報告を受け、すぐに戻ろうとした、が……城にたどりつく、前に……僕も」

「そいつに、おそわれたのか!?」


 つい勢い余って話を先回りしてしまったセイルを、竜は咎めなかった。震えるようにうなずくと、妻と揃いであるという金の輪が炎を映して煌く。


「大勢……だった。今日みたい、な……“半端”な者が、大半で……。けれど、異様に強い、者もいたから……犯人もまぎれて、いたかもね……」

「ハンパって?」

「最初の男や、サリーンのような存在、だ……。あれらは、まだ、完全な“竜人”とは……言えないだろう」


 “まだ”という言葉に、セイルは眉をひそめる。

 それではまるで――


「りゅ、“竜人”ってのは……つくる、もんなのか?」

「“成る”、というの、かな……。ヒトが、竜の力を得て――逆もありうるかも、しれないが――変化した、ようだ」

「竜の、ちから」


 翼と鱗を有する襲撃者たちの強靭な肉体を思い出し、セイルは身震いした。

 あれだけの力を持ちながら、まだ“半端”なものだとは信じ難い。


「城の親しい者が寄越した、妻の訃報に……その者たちへの警告も、記されていた、が……。やはり、ひとりでは対処しきれなく、てね……。あの有り様になって、森へ落ちた、のさ……」

「父さんを、たよって?」

「いいや……。ここが彼の森とは、知らなかった」


 こんな時だというのに、セイルの小さな疑問にも竜は丁寧に答えてくれる。


「朦朧としながら、飛んでいたら……なんだか、温かな魔力を感じて、ね。安心した途端、落っこちてしまった、のさ」

「……っ」


 いつもそうなのだ。


 話の間にどんなくだらない問いを挟もうが、彼は嬉しそうに目を細めて解を寄越してくれる。セイルは声を詰まらせ、話を戻した。


「追ってこなかったのか、そいつら」

「かなりの、高さだったし……この森の、精霊たちが……彼らを、阻んでくれた……。森を、守ろうとしたんだ、ろう」


 町の子供達に聞かせてやれば、この件で笑ったかもしれない。しかしセイルは重々しくうなずいた。


「そうか……」


 見えなくとも、この森が精霊の加護を手厚く受けていることは知っている。森の奥には、偉大な精霊の主がいるとも聞いたことがあった。


「でも、なんで今日まで……?」

「彼らは、致命傷を追わせた、ぼくよりも……別の件で、いそがしかった……のさ」


 そこで一度言葉を区切った竜の賢者は、濁った青銀の目でセイルを見上げた。


「たったひとりの、女の子を……“完璧な竜人”にする、ことにね……」

「! まさか」

「そう……」


 大きな音を立てて木々が爆ぜる。しかし幼い木こりの耳に、その静かな声ははっきりと届いた。


「君と同じ歳の、王女……フィールーン様だ」

「フィールーン王女……」


 王都から離れたこの田舎でも、その名くらいは聞いたことがある。

 たしかすべての名はもっと長く、中には偉大な竜の名も入っているのだと情報通の妹が興奮して語っていたことも思い出した。


「彼女は、妻が殺された部屋に……いた、らしい……」

「なっ!」

「そして何者かに、よって……竜の血を……与えられ、た……」


 いくつもの驚愕すべき事実が突きつけられ、セイルは困惑した。目が思わず、竜の肢体を彩る鮮血へと引き寄せられる。

 察したらしいテオギスがくぐもった声で言い足した。


「僕たちの血を、ただ……飲んだり、浴びたりするだけで……変化したりは、しない。強い魔力が込められて、いなければ……」

「な、なんでおまえ、そんなこと」

「おや……。これでも……“賢者”なん、だけどね……」


 いつもと変わらぬ苦笑に、血泡が混じる。痛みを逃すように大きく息をつき、竜はふたたび口を開いた。


「古い歴史には……何者かが、そんなバカげた実験をしていた……という、記録がある……。おぞましい、ことだ」

「そんな……」

「それ、に……本人の、適性の問題も、ある……。多くの者は、魔力に耐えきれない、らしい」

「じゃ、じゃあ……そのひめさまは、あいつみたいに?」


 歪な翼を広げた襲撃者を思い出し、セイルは苦い表情を浮かべる。


「いや……。彼女は……フィルは、王族の中でも……高い魔力適性が、ある……。だから、狙われたのかも……しれない」


 その声は低く、深い思案に沈んでいる。彼女のことを家族のように大事に想っているのだとセイルは悟った。


「きっと、あの子は今……とても苦しんでいる、はずだ……。子供には重すぎる力、だからね……。っが、は!」

「テオ!」


 大きく血を吐いた友に、セイルは悲鳴を上げる。やはり語らせるのは良くないのではないかと迷った少年だが、柔らかく制止するような目が向けられた。


「いいんだ……。それよりも、セイル……ここからが、大事な……話だ」

「!」


 自分の命よりも大事な話など無いだろうとセイルは口を挟みたくなったが、ぐっとこらえる。聞き逃してはいけないと直感が叫んでいた。


「僕は、もう……助からない」

「⁉︎ おまえ」

「そこで、君を……友たる男と、見込んで……頼みたい」


 大人びた表現を使われても、舞い上がるような気分ではない。セイルは息をするのも忘れて竜に見入った。


「君に……僕の、力を……預かって、ほしいんだ」

「! それって」



 どくん、と大きく心臓が跳ねる。

 自分の運命が変わる音だと思った。



「君に……“竜人”に、なってほしい」


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