2−8 むかしの、わるいヤツら


 夕刻の空へと立ち昇る黒煙が、精霊の報告がいたずらではないことを教えてくれる。


「はあ、はぁ……ッ!」


 セイルは海の中を往く魚のように森を疾走しながら、一心にその場所を目指した。エルシーは先に、森の中でもっとも太い川へと走らせてある。森奥へと伐採に向かった父への連絡も頼まれてくれた。


「テオッ!! ――ごほっ!」


 目印となる木の横から飛び出したセイルはそう叫んだが、喉に入ってきた熱気に思わず咽せ込んだ。


「つッ……!」


 冬の暖炉とは比べ物にならぬほどの炎と熱波が、自分たちが整えた広場を容赦なく蹂躙している。幸い、火の手はまだ狭い範囲にしか及んでいない。


 しかし火災にしては不思議な炎だった。炎は線を引くように広場を円形に取り囲み、真上に向いて吹き上げている。まるで炎の檻のような――。


「しつけえぞォ!」

「!?」


 荒々しい声に、やはりこれらが自然発生の火事でないことをセイルは察する。


「とっととくたばりやがれェ!」


 炎に木々が爆ぜる音を凌ぐ、大きな罵声――その声の主を探した少年は、灰を吸い込みながらも口を開けた。


「なんだ、あいつ……!?」


 人が浮いていた。

 いや、ヒトではない。大人の男だが、その容姿はまるで自分たちとは異なっていた。


「“竜の賢者”なんつっても、大したことねえのなァ!」


 まず目を引いたのは、歪な形の翼。鳥というよりはコウモリのような、血が通った生々しいものだった。


 飛ぶのが苦手らしく、男の全身は空中で不安定に上下している。その身体の至る所を覆っているのは、防具ではなく本物の鱗だ。


「獣人……じゃ、ない」


 セイルは震える唇でそう呟く。町で見かける獣人たちもヒトとはまた違う種族だったが、どう見ても目の前の男は異質だった。


 ふわふわの耳や毛がないだけではない――なにかが、“歪んで”いるのだ。


「……!」


 その違和感の原因を突き止め、セイルはごくりと唾を飲んだ。

 男の片方しかない角や、身体を支えるにはやや小さい翼――そして肌を覆うには少なすぎる鱗。


 きっと彼は“未完成”なのだと、幼くもよく働く直感が告げる。


「これぐらいでヘバるタマじゃねえんだろ、賢者さまァ? さっさと出てこいや」


 ヒトの声に混じるのは、ガザガザとくぐもった異音。


「せっかくの手柄は独り占めしたいからなァ。だから早く終わらせようぜ? 応じねえってんならこの森、ぜーんぶ焼いちまうぞォ!」


 その言葉に、焼ける木立の間からついにゆっくりと濃い色の生物が歩み出る。

 見覚えのある影に、セイルは知らず喉から声を迸らせた。


「テオギスッ!!」

「……!」


 ふらふらと頼りない足取りだった竜は、少年の声に歩みを止める。


「やあ、セイル……。来て、しまったんだね……」


 炎に灼かれたのか群青色の身体は黒ずみ、治りかけていた傷も開いてしまっていた。いつかと同じく溢れ出る鮮血に、セイルの顔は正反対の色を帯びはじめる。


「わる、いね……。木を、焼いてしまった」


 出会った日も彼は似たことを言い、微笑んでいた。急に脳裏をよぎった思い出を振り払い、セイルは宙に浮かぶ人外の存在を指差して叫ぶ。


「あ、あいつがやったんだろ! それより、おまえ」

「大丈夫さ……まだまだ、元気だとも」


 たしかに竜はその立派な四肢で地に立っていたが、それが虚勢であることはすぐに分かった。


 そもそも彼の受けた傷――魔法による損傷らしい――は異様に治りが遅く、半年経った今でもエルシーの塗り薬が欠かせないでいた。今だって、立っていられるわけがないのだ。

 

「おおっ、援軍か!? 斧まで持って、なんてこったァ――こわいこわい!」

「なっ……」


 男の明らかな嘲笑に、さすがにセイルは身体を熱くする。腰に吊った手斧を外して握り、歪な存在を睨みつけた。


「お、おまえは……なんだ」

「へーへー、月並みな反応ありがとうよ。まァ知らねえだろうが教えてやる。オレたちゃ“竜人”ってモンさ」

「……むかしの、わるいヤツら」


 真っ白になりそうな頭に唯一浮かんだ、知識の断片。それを呟いたセイルを見下ろし、男――“竜人”は歓喜の叫びを上げた。


「こりゃ失礼、物知り坊ちゃんだったか! 木こりっぽいのになァ」

「……木こりだ! この森の」

「ほいほい。そいじゃ、物知り木こりさんよ。ひでえじゃねえか、いきなり悪人呼ばわりなんてよォ。男なら憧れンだろ、このカッコいい鱗や翼によ?」


 男は異形の身体を見せつけるように宙で回転し、ふんぞり返る。セイルは恐怖心を心の奥に押しやり、むっつりとした顔でその様子を見上げた。


「無限の魔力に鋼鉄の肉体、さらにすべての風をも掴む翼! 世界を牛耳ろうとしたってのもわかるぜ――この“竜人”って種族はまさに、最強の存在だもんなァ!」


 拍手喝采が起こるとでも思ったのか、男はしばらく空中で静止する。やがてセイルとテオギスを一瞥し、角頭を残念そうに振ると告げた。


「んだよ、ノリ悪ィな」

「も……森からでていけ!」

「やなこった。まあ待てって、木こり坊主。せっかくこうして出会えたんだ、お祝いしようじゃねえか? こう……」


 鱗が貼り付いた頬をにぃっと持ち上げ、男は嗤った。


「パーッと派手に――死んでくれやァ!」

「!」


 不格好な飛び方に似合わず、化け物の動きは俊敏だった。セイルが手斧を眼前に掲げる頃には、すでにその血走った両眼が顔の前に迫る。


「ッ……!」


 森で生きていくというのは、常に危険と隣り合わせである。


 野生動物の脅威はもちろん、時には攻撃的な魔物に目をつけられることもあった。毒性の野草も多く、流れの速い川も存在する。

 そんな厳しい環境に生きる自分は、いわゆる“たくましい子”と町で呼ばれることをセイルは理解していた。


「セイルッ!」


 しかし友の叫びと共に地面を抉りつつ、まっすぐに自分へと突進してくる熱波――その力を前にしたセイルは、今までの知識や経験では対処のしようがないと一瞬で判断を下した。



 自分の生を刈り取ろうと迫ってくるのは、紛れもない“死”そのものであった。


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