2−9 たのんだぞ、けんじゃ!

「セイル!」

「!」


 一瞬浮かんだ亡き母の顔を貫いたその声は、硬直していた少年を我に返らせた。

 同時に眼前に熱波が到来し、高らかな音を立てて弾け去る。


「て、テオ――」

「大丈夫……動かないで」


 自分の喉から声が出たことで、まだこの命が現世にあることを実感する。セイルは身体の周りを覆う光の壁のようなものを見上げ、戸惑った。


「チッ、防護魔法か。ボロボロになっても、さすがは賢者サマだ」 


 母が火種を用いず火を熾したり、風を呼び込んで部屋の埃を豪快に追い出している姿を思い出す。それらにはいつも不思議な“詠唱”がついて回っていた。


 しかし今自分を護ってくれたこの力は、魔法――高い魔力を有する竜が得意とする、言葉を必要としない奇跡なのだ。


 青銀の瞳を文字通り発光させているテオギスが、いつもより低い声を出す。


「この子は関係ない……。行かせろ」

「そーですかねェ? ずいぶん、アンタと親しいみたいだが」

「……」


 下卑た笑みを浮かべる襲撃者を睨み、賢者は黙り込む。その口元から滴り落ちる血を見、セイルは震える顎を叱咤して声を絞り出した。


「テオっ……飛んで、にげろ。ころされる!」

「ハッハァ、ほんっとーに賢い坊ちゃんだ! だが満点はあげられねえなァ。正解は、“2人一緒に殺される”でし――」


 ずぱん、という鋭い音が空気を裂く。


「おぁ?」


 賢者が一瞬で繰り出した水の刃が、竜人の右肩から先を分断した。

 攻撃を受けた本人さえ、離れていった腕が己のものだと気づくのに時間がかかったほどの刹那の技であった。


「いっでええぇーッ!! 腕がァ」

「セイル……今のうちに、逃げるんだ! ダンと、エルシーも」

「そん、な」


 そうしたい。

 そんなことできない。


 2つの心がせめぎ合い、セイルの足は蔦が絡んだように重くなる。

 斧が手から滑り落ち、力なく草の上に横たわった。


「……っ、かんがえろ」


 母の形見が揺れる胸の上で拳をつくり、セイルは歯を食いしばる。


 もうすぐ水の精霊を引き連れ、妹がこの広場に来てしまう。そうなればテオギスの護りを受ける対象が増え、相手に攻撃の隙をくれてやることになる。


“魔術が得意じゃないからって、落ち込むことはないわ。セイル、ヒトはね――”


 思い出したのは、涼やかな母の声。

 難解な魔術書を放り出してむくれる自分に、母はからりとした声で笑って言ったものだ。


“ずばり、ひらめきで勝負よっ!”


 ハッと茶色の瞳を見開き、セイルは急いで背中の荷を降ろした。

 手を突っ込むようにして探り、目的の物を引っ掴む。


 その時、空中で身体をくの字に折っていた襲撃者が奇妙な笑い声を迸らせた。


「カッハハァ! なァんてな、ぜーんぜん痛くねえっ!」

「!」


 セイルが手を止めずに空を見上げると、そこにあったのは腕が斬り落とされたことなど忘れたかのようにくるくると舞う竜人の姿。吹き出ていた血はすでに止まっている。


 悔しさよりも驚愕をにじませ、テオギスが呟いた。


「その、治癒力は……!」

「言っただろォ、賢者さんよ。オレぁ世界に恐れられた最強種族、“竜人”さまなんだぜ? これくらい、かすり傷にもなりゃしねえよ」

「テオ!」


 敵が陶酔し語っている間に、セイルは野ネズミのように焼けゆく広場を駆けた。

 頭上からあの熱波が降って来ないかと戦々恐々だったが、竜人は子供の動きになど毛ほどの興味も示さない。


 駆けつけたセイルに、テオギスは驚いた声を出す。


「セイル! こちらに来ては――」

「おまえ、火……ふけるか!?」

「えっ」


 面食らった竜は、緊迫した場に似合わない声を上げる。

 炎の熱で全身から噴き出た汗を手で拭い、セイルは上着の背に隠し持った“武器”を友に晒す。


「! それ……は」

 

 すぐに賢者はこちらの意を汲み取ってくれたらしい。しかし彼は暗い声で言った。


「悪いが……僕は、火を吹く種族じゃないんだ」

「そ……そう、か」

「だけど、これでも……万物の現象を操りし、“魔法使い”なんだ……。言ってなかった、かい?」

「!」


 その柔和な声は、危機の最中にあってもセイルの心を落ち着かせた。


「親愛なる、木こり殿……君が求める、ものを……この場に、顕現させてみせよう。得意な領分じゃない、けれど……たまには、苦手なことにも……手を出すべきだ」

「……たのんだぞ、けんじゃ!」


 自身でも意外なほどしっかりとした声が喉から溢れる。セイルは四肢に力がみなぎるのを感じた。


 この竜となら――“友”となら、なんだって出来る。


 初めて心に宿った、他人への熱い想い。

 それを“信頼”と呼ぶことを少年は知らずにいた。


「くっ……らえぇ!」


 力の限り振りかぶった手から、真っ直ぐに赤い輝きが放たれる。

 

「んっ――うおおっ!? あだァっ!」


 派手な音を立て、セイルが投擲とうてきした物体が敵を直撃する。

 男は一瞬で全身が血塗れになったような姿となるが、ぼたぼたと滴るそれは血液特有の粘り気を持たない液体だった。


「んなっ……なんだこれ、酒か? なんてことしやがんだ、ガキ! ああ、もったいねえ」


 次の瞬間、セイルの背後で大きな影が土埃と共に立ち上がる。一陣の風を巻き起こしつつ、巨体を支えるための翼が左右へと広がった。


 そびえ立つ群青色の竜は、その迫力に似合わぬ爽やかな声で告げる。



「ならばしかと、味わうといいさ……。その身を以て、ね!」



 その声に導かれるように、広場を焼いていた炎がぐにゃりと伸び上がった。

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