2−5 魔法使いってのは、心も読めるのか?


「……気付いてたのか、テオ」


 低くなった父の声に、幹の暗がりに潜むセイルは身を硬くする。

 立ち聞きをはじめた時よりも辺りの闇は濃くなり、大人たちのいる広場だけが明かりに浮かび上がっていた。


 切り株から少し腰を浮かした父の驚愕した声に、向かい合う巨竜は静かに答える。


「多くの精霊が住まうこの森は、一見して清浄そのものだ。お陰で僕と“じゃれて”くれた連中もここへは近寄らない。けれど……」


 青銀の瞳を森の奥へと遣り、テオギスは独り言のように続ける。


「どうも奇妙な気配を感じるんだ。清らかさとは似ても似つかない――“邪悪”そのものという具合の、なにかのね」

「……参ったな。さすがは国唯一の歴史研究家にして“竜の賢者”殿だ」


 脱力したのか、父はふたたび切り株に腰を下ろして両手を挙げた。


「ああそうだ。この森には秘密がある」

「切り出しておいてなんだけど、別に無理に話さなくてもいいよ?」

「いや、お前になら……。それに――」


 その後に続く言葉は聞き取れなかった。足元で陽気に歌い出した森の虫たちをそっと追い払いつつセイルが慌てて耳を済ませた頃には、話は少し進んでしまっていた。


「オレがこの森へ戻ってきた理由は、肺を患っていたメイシアの静養と……家業である木こりを継ぐためと言っただろ」

「うん。けれど、それだけじゃないようだね」

「お察しの通りだ」


 合いの手よろしくバチッと大きく焚き火が爆ぜ、セイルはひとり飛び上がった。今まで静かに燃えていた炎が、少し勢いを増しているように見える。


 まるで――話すことを咎めているかのような。


「ホワード家は代々……この森奥に封じられた“あるもの”の守り手を担っている」


 揺らめく明かりが、微動だにしない父の顔に陰影を投げかける。先ほどまでの酔いは何処へやら、ダーニルの顔には真剣さ――いや、深刻さそのものが宿っていた。


「大昔……それこそ“創世の大戦”時に造り出されたという、武具なんだそうだ」

「なるほど。やけにふるい魔力だと思ったら、ずいぶんな逸品だったんだね」

「そんな可愛い呼び方ができる代物じゃない」


 いつもはテオギスの軽口に乗って上機嫌になる父だが、今回ばかりは様子が違っていた。セイルは大きな茶色の瞳を瞬かせ、今度こそ聞き逃すまいと限界まで身を乗り出す。


「大戦を終わらせたのはもちろん、竜人たちを一網打尽にした神の“白き炎”だ。だがこの武具も、それまでに相当数の竜人をほふったとされている」

「まさか……! そんな記録、見たこともない」

「ご先祖さまたちは、オレよりもずっと口が堅かったみたいだな」


 低く笑った父の声は、セイルが耳にしたこともないものだった。疲れきり――そして、どこか諦めているかのような雰囲気さえある。


「封印を守るっつっても、特別なことをするわけじゃない。本当に“アレ”を抑え込んでくれているのは、この森の精霊たちだ。会ったことはないが、奥には相当珍しい存在もいるらしい」


 父はそこで言葉を切り、暗い空を見上げる。呼ばれたようにふわりと漂ってきたのは小さな光の粒だ。


「お前たちには世話になるよ、ホント。エルシー共々、これからも頼むぞ」


 広場を見下ろすように滞空している精霊に親しく手を挙げ、ダーニルは竜へと向き直る。


「ホワード家の木こりたちは、この森を他者の手へ渡らないようにするのが主な仕事だ」

「……子供たちは、このことを?」

「いいや、まだ知らない。行っちゃいけない場所だとしか、な」


 その言い草で、セイルはようやく場所の見当がついた。たしかに森の西に、立ち入ってはいけないと言い聞かされてきた区域がある。よくクマが住み着くから、との理由ではなかったのか。


「正直、オレはこんな古臭い“役目”なんて受け継ぐ気はなかったんだ。だから親父に反発して、王都へ出ていったってのもある」

「へえ……」

「けどメイシアが身篭った頃に親父が死んだって文が来て……その時、ふと思っちまったんだよな。ああ、次は自分に“役目”が回ってきたんだって」


 自分自身でも不思議に感じているらしく、ダーニルは傷だらけの逞しい腕を組んで頭を傾けている。


「けど、子供たちが森を出たいって言った時にはそうさせてやりてえんだ。だからオレの代で、武具の穢れを鎮めきれたら……ってのが今の目標だな」

「なんだい、水くさいじゃないか」

「ん?」


 雑巾大の巨大な湿布が目立つ首を持ち上げ、竜の賢者が威厳高く言う。


「君は王都で、そのための手段を得てきただろう?」

「手段って……」

「遥かなる平和の歴史をわざわざ掘り返し、誰も興味を示さない地味な発見を繰り返しては喜ぶ変わり者の“賢者”夫妻――その友になったことさ」

「!」


 最後には茶目っ気を含んだ声に父はぽかんとした後、慌てて弁明した。


「お、お前とルナに近づいたのは、なにも全部そういう魂胆だったわけじゃ――!」

「おやおや、少しはその考えもあったと自白したようなものだね」

「う……」


 困ったように硬い頬を掻いたダーニルを見下ろし、テオギスはくすりと笑った。


「でも君は結局、僕たちにそのことを相談しなかった。一族の抱える“問題”に、僕らを巻き込みたくなかったんだろう?」

「……魔法使いってのは、心も読めるのか?」

「その秘法さえあれば、僕がルナの“逆鱗に触れる”回数も減らせただろうにねえ」


 紺碧の鱗に覆われた胸元をさすり、賢者はそうおどけてみせる。


「……わかった」


 しばらく考えこんでいた父は、意を決したように友を見上げてうなずいた。


「お前が回復して、さらにそっちの問題が片付いたら――少し知恵を貸してくれるか? テオギス」

「もちろんだとも。賢者というのは、そういう時のために存在するのだからね」


 微笑み合う大人たちの間で揺れている炎は、いつの間にか元の穏やかさを取り戻している。父が新しい酒瓶の栓を開ける音を聞き、物思いに耽っていた少年は我に返った。


「……」



 セイルは足音もなくその場を離れ、仁王立ちになっているだろう妹が待つ家へと急いだ。



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