2−4 僕はそうじゃないんだ
とある日の夕暮れ。
家路についていたセイルは、帰宅前に少し竜の様子を見ようと広場に立ち寄った。しかし近づいてすぐに話し声を耳にし、先客がいることに気づく。
「傷の具合はどうだ、テオ。少しはマシになったか?」
寄り道をしているのは父、ダーニルだった。妹はすでに家で夕食の支度をしているのだろう。
「……」
子供たちへ向けるものとはまた違う、親しみに満ちた弾んだ声。
そんな父の声を聞いた少年は、なんとなく近くの木の後ろに身を隠してしまう。
「君の娘が考案した薬は、最高に効いてるよ。最低の味と塗り心地だけどね」
「はは! 我慢してくれよ、賢者殿」
竜の看病はホワード家総出で行われ、それらは確実に成果を積み重ねていた。
町からきちんとした医者を呼ぶことも提案したのだが、テオギス自身がそれを拒んだのだ。竜の治癒力があれば、生きてさえいればいずれ回復していくからとのことである。
それは一見、裕福とは言えない木こり一家を気遣ってのことのように見える。それでも子供たちは“別の理由”があるのではないかと密かに訝った。
しかし父は傷が悪化しない限り本人の意思を尊重すると発表したので、セイルもその方針に従っている。
「……ダン。君は相変わらず、優しいんだね」
「なんだ、急に」
「だって僕が落ちてきた理由、訊かないじゃないか」
話が真剣な響きを孕むものとなり、ますますセイルは登場の機会を見い出せずにいた。やがて今回は立ち去るべきだろうと決断すると、少年はそっと身を翻す。
「懐かしい友が訪ねてきてくれたんだ。歓迎しない理由はないだろ?」
「……ありがとう。君の心は森奥にあってもなお、高潔な騎士のままだ」
「おいおい止せよ、小っ恥ずかしい! 今のオレは、ただの木こり兼父親さ」
セイルは思わず再び背を幹にぴたりと寄せ、耳をそばだてた。
父は“騎士好き”の妹にせがまれても、なかなか当時の話をしてくれない。
セイルが生まれるより前に母をつれてこの森に戻ってきたというから当然、父の鎧姿など見たこともなかった。
セイルから見ても父――ダーニル・ホワードという男はおよそ騎士などという存在からは縁遠いと感じる人物だった。子供たちとの森暮らしを満喫しているし、木こりの仕事にも心から打ち込んでいるように見える。
「……」
たしかに斧やナイフの扱いは上手く、身のこなしもどこか軽かった。しかしそれ以外はからきし不器用な男で、作る料理なども口にできる代物ではない。掃除のたびに物を壊し、セイルが片付けるのが常であった。
物心ついたエルシーが課した最初の決まりごとが、“おとうさんはキッチンにちかよらない”だったのもうなずける。
一時期など、自分たちはからかわれているのではないかと妹と真剣に議論したことさえある。
“ねえお兄ちゃん。お父さんが騎士だったなんて、ウソなんじゃないかしら?”
“……。さすがにウソじゃないだろ”
“つくならもっと『マシ』なウソにしてほしいわよね”
“きびしいな、おまえは”
“だって、あのお父さんよ? 木こりなのに寝ぼすけで、カラ入りの目玉焼きしか作れなくて、うちの花瓶をぜーんぶ割っちゃった、あのお父さんなのよ? 騎士さまになんて、なれるわけないじゃない”
“……”
そして業を煮やした妹は、その日のうちに行動を起こした。どうして城で“カッコいい騎士”のままでいなかったのと娘に迫られた父は、茶色の頭をぼりぼりと掻き、
“どの仕事もカッコいいし、立派なことなんだぞ”
と笑って答えたのを覚えている。
何にせよ、父が本当に“騎士”であったという事実だけでも客の口から聞きたいものだ。セイルはざらざらとした幹に頬を押しつけて集中し、広場の会話を拾った。
「まさか“水鏡のダーニル”が、今や田舎の森で木こり暮らしとはねえ」
「まあそりゃ、給金は城のほうがよかったけどな。メイシアの肺は、清められた空気を求めてたし……それに一応、これでも代々の家業なんだよ。木こりはな」
「へえ、初耳だよ。じゃあ、元々いつかは帰ってくるつもりで?」
セイルはそっと顔の半分を幹から出したが、辺りが薄暗く髪色が幹に同化していることが味方となった。興味深そうに長い尾を揺らしているテオギスの巨体が見える。
「まあな。都へ出て騎士になった理由は、その……」
「若気の至りってやつか。うーん、それだけでなれるものでもないんだけどねえ。君の“水鏡剣”は、いまだに若い騎士たちの定番話だ」
「褒め言葉として受け取っておくぞ。なんだテオ、お前さんわざわざこんな田舎にまでオレを“引き抜き”にきたんじゃないだろうな?」
焚き火のそばの切り株に腰掛けている父は、珍しく大声でそんな冗談を飛ばす。手にした酒瓶を見、セイルは木立の闇の中で目を丸くした。父が飲酒をしている姿は、滅多に見られるものではない。
「……いや。今は、頼むから城には近づかないでほしい」
「な、なんだよ。怖い顔して。自分がでかい竜ってこと忘れるなよ」
険しい表情で呟いた賢者に、父は赤ら顔のまま凍りつく。
「その……なんだ」
しばらく沈黙が流れるが、それを破ったのはダーニルであった。セイルと同じ色をした頭をがしがしと掻いてこぼす。
「いろいろあったんだろ、城で。ルナも連れてねえし」
「彼女は――」
「あー、まだいいって。森にいる間にお前の心の整理がついたら、話してくれ。何なら、何も言わずに飛んでいっちまってもいい」
「ダン……。ありがとう」
その真摯な感謝を聞いても、ダーニルは小さく肩をすくめてみせただけであった。セイルは心の奥がなんだかフワフワしたような、不思議な温かさに包まれるのを感じる。
「……君の奥床しい性格は、美徳だと思う。でも残念だけど、僕はそうじゃないんだ」
「今度はなんだよ、賢者殿」
「この森にいて、少し思うところがあるんだ。訊いてもいいかな、ダーニル・ホワード」
「!」
きらりと眼を光らせ、竜は音もなく長い首を持ち上げる。高い位置にある友の顔を見上げた父、その手から酒瓶が滑り落ちた。
「森の奥には――なにがあるんだい? 友よ」
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