2−6 君には友達がいないのかい?

 森で“竜の賢者”が療養をはじめてから、早くも2ヶ月が過ぎようとしていた。

 今朝も森の小道を、元気な靴音が風のように駆けていく。


「テオ!」

「やあ、セイル。ふあぁ、おはよう……今日も早いね」

「おまえはいつまでたっても“寝ぼすけ”だな」


 大きな欠伸をしている竜を横目に、セイルはてきぱきと彼の朝食支度を進める。

 広々とした手作りの机にまだ湯気立つ食事を並べ終えると、自分は脇の椅子へと飛び込んだ。


「さあ、くえ。それから、きのうのつづき」

「食事をしながら話すのはマナー違反だよ、少年」

「おまえだって、寝ころんだままくってるだろ。もうすわれるくせに」

「おや。これは失礼」


 愉快そうに笑い、テオギスは群青色の巨体をむくりと起こした。背中でひと休みしていたらしいリスが数匹、木の実を放り出しながら離脱していく。


「なあ。つづき、きかせろ」

「君はすっかり歴史の虜だね。嬉しいが、山葡萄のジュースで一息入れてもいいかい? 昨日も陽が沈むまでエルシーにせがまれたものだから、自慢の美声が涸れてしまって」


 腕組みしたセイルがうなずくと、賢者は有り難そうに大樽を傾けた。長い口を持つ彼が飲みやすいようにと作ってやった、専用の杯である。


「うーん、染み入るなあ。それで、ええと……“オリーブ姫の宮廷事件簿”だったかな?」

「それはエルシーがきいてるやつだろ。おれは“ゲンム島の財宝伝説”だ」


 椅子を軽く前後に揺らし、セイルは早口に言った。近くの町でも“無口な子供”として評される自分だが、この竜と話すことは不思議と苦にならない。


「そうだったね。では……」


 小さく咳払いを落とし、テオギスはよく通る声を少し密やかにして語りはじめる。

 森のざわめきが遠ざかり、セイルは無意識に椅子の角を握りしめて身を乗り出した。


「――ついにゲンム島の中心部に踏み込んだ調査団は、驚くべきものを目にした。七色の水晶が沈む、神秘的な泉をね」

「……!」

「これこそが隠されてきた財宝に違いないと彼らは喜んだが、その泉には恐るべき罠が仕掛けられていたんだ――」


 セイルは思わずごくりと喉を鳴らす。


 この竜は話がすこぶる上手い。最初は彼の暇つぶしに付き合ってやるつもりで仕事の合間に顔を出していたセイルだったが、その語り草に夢中になるのに時間はかからなかった。


 しかも伊達に“賢者”を名乗っているわけではないらしく、その知識量はセイルの想像以上のものだった。


 世界の大陸の名をはじめ、ヒトと竜以外のたくさんの種族について。

 空を移動し続けるという幻の島について。


 特に王都の水源に生えている『世界樹』という大樹の話になった時など、セイルは思わず椅子から立ち上がったほどであった。


“そ、そんなにおおきな樹があるのか!? どうやったら斬れるんだ”


 興奮した少年に、賢者は「斬られちゃ困るよ、さすがに色々とね」と苦笑したものだ。


 彼の話に夢中になったのは、もちろん妹も同様である。


“ねえ! テオさんがいた王城には、たくさんの騎士さまがいらっしゃるんですって。中には、あたしがよんだ本にでてきたような人もいるって言ってたわ!”


 興奮して野菜を振り回す彼女の姿を思い出し、セイルはふっと口元に笑みを浮かべる。それは子供にしてはぎこちない笑い方だったが、目ざとい竜はすぐに歓喜の声を上げた。


「あ、笑ったね。今の部分、面白いだろう? まさか彼らがタコ壺で応戦するとはね」

「いや……そこじゃない。というかおまえ、なんでいつもそう言うんだ?」

「だって君が笑うと、こちらまで嬉しいんだもの」


 さらりと返されたその言葉を咀嚼するには時間がかかった。

 セイルが首を傾げている隙に、賢者はスープとパンを喉に流し込んでいる。


「な、なんでおまえがうれしいんだよ」

「何でって……友達が楽しそうにしているのは、見ていて気分が良いものだろう?」

「!」


 友達。


 その言葉に、セイルの思考は真っ白になった。

 短い人生の中において、誰にもそう呼ばれたことはなかったからだ。


「おや、君には友達がいないのかい?」

「……。わるいか」


 木こりの毎日というのは、ほとんどが森で完結するものだ。

 たまに町へ行く時も父のあとをついて回るだけだったし、商売の話は明るくて人当たりの良いエルシーの領分だった。


「そうか、ならよかった!」

「なんだと――」

「だって、僕が君の友達第1号ってことだろう? こんなに名誉なことはないよ」

「……!」


 青銀の瞳を猫のように細め、竜はくしゃりと破顔する。

 黒い爪が突き出た立派な前足をセイルのそばへ寄せると、彼は威厳ある声で進言した。


「改めて――君を友だと思って良いかい? セイル・ホワード殿」

「……」

「一応、握手さ。さあ、認めるなら爪に手を置いて。言っておくけど、破談の場合は――悲しみのあまり、今すぐ飛び立ってしまうかもしれないよ?」


 その警告がおどけたものだとは分かっていたが、セイルは心の整理がつく前に手を動かしていた。ひんやりとした黒曜石のような爪に、そっと触れる。


「我らの友情は、永遠とわに」


 ヒトと竜による平和の誓い。この国でもっとも有名な昔話にならって賢者は小粋にそう告げると、心の底から嬉しそうに笑った。


「僕のヒト友達の中でも、君は最年少だ。これも喜ばしいね」

「エルシーがいるだろ」

「彼女は君よりも大人じゃないか……あ、いたた! 怪我人になんてことを!」


 リスの置き土産である木の実を投げつけながら、セイルは竜の――“友”の見えないところで、ひとり微笑む。


「へんなヤツ……」



 それは誰の目から見ても立派な、穢れなき子供の笑顔であった。


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