1−23 あたしの責任だもの


「はえー、まさか“精霊の隣人マナフィリアン”なんて存在がいるとは。あっしはこれでも方々ほうぼうを旅して参りやしたが、お目にかかるのは初めてでやんす!」


 先ほどまでの恐怖はどこへやら、今や商人タルトトは高価な宝石を鑑定するかのような眼差しをエルシーへと向けている。セイルの大きな背にさっと隠れた妹は、珍しく控えめな声になって抗議した。


「じ、じっと見ないでよ。精霊と意思疎通できる以外は、普通のヒトと変わらないわ」

「何なのだ、その……マナなんとかというのは?」


 不可解だという表情を浮かべているリクスンに答えたのは、彼の義兄である。


「“精霊の隣人”。我々が体内で生成する魔力とは違い、清らかな自然に宿る存在である“精霊”――彼らの恩恵を直接受けることができる、非常に希少な者のことだな」

「さっすがカイザスさま! って、その手大丈夫でやんすか?」

「はっはっは。実を言うと手袋の耐火性を過信していたようでな。これがなかなかにこんがりと焼けているのだ」


 涼しい声で答えつつ、騎士隊長は真っ黒に焼けた手先を皆の視線から隠す。セイルの背で、びくりと妹が肩を震わす気配がした。


「なっ……! は、早く仰ってください、そういうことは! 早急に城へ」

「しかしリン、まだ仕事が」

「騎士が手を失ってしまっては、仕事どころではありません!」

「――見せてください。あたしがなんとかします」

「うん?」


 議論する義兄弟の前へと進み出たのはエルシーである。セイルはその細い背に、彼女にしか聞こえないほどの声を投げた。


「いいのか、エルシー」

「ええ、あたしの責任だもの。いずれこの“力”が必要になる旅でしょうし……驚かれるなら、早いほうが良いわ」


 カイザスの負傷部分にそっと触れると、妹は悲痛な面持ちになる。しかし切り替えの早い彼女は小さく頭を振り、形の良い唇を引き結んで呟いた。


『癒せ』


 少女の緑髪が煌々と輝きはじめる。彼女の周りで舞う精霊たちが発する淡い光とは違う――身体の中から光があふれ出しているかのような、神聖さをも覚える強い輝き。


(いつ見ても綺麗だねえ。ま、目にする機会は少ないほうが良いんだけどね)

「……そうだな」


 心中のテオギスの言葉に、セイルは静かにうなずいた。


「そろそろね……」


 エルシーが触れていた部分は、直視できないほどの光に覆われていた。その輝きが弱まっていくと、セイル以外の人物たちが騒然としはじめる。


「き、傷が治ってるでやんす! すげえや!」

「これは……驚いたな」

「義兄上、大事ないのですか!?」


 押し合いへし合いをして覗き込んできた義弟と獣人に、カイザスは長い指を有する掌を開閉させてしっかりと請け負う。


「ああ、元通りだ。書き物仕事でこしらえたタコさえ治っているとは! 感謝する、エルシー殿」

「あ……ええと、はい。その、良かったです。こちらこそ、申し訳ありませんでした」


 ぺこりと頭を下げた後、エルシーはちらと美丈夫を見上げて訊いた。


「あの……できれば、この力のことはご内密に」

「うん、それが良いだろうな。城のエルフたちが知れば、血相を変えるに違いない」

「義兄上! このような力を隠し立てすることなど、俺は反対です」

「!」


 リクスンの確固たる声を耳にした妹は蒼ざめ、ふたたびセイルの側へと早足に戻ってきた。揃いの腰布の端をそっと握る手が震えている。


「……やっぱり、気持ち悪いわよね。こんな力」

「エルシー」


 妹がこの力を使うのを一度、外から来た子供に目撃されたことがある。当時向けられた素直な“言葉の刃”を忘れていないらしい少女の頭に、セイルはそっと手を置いた。


「いいの。どう思われようと、便利な力なんだし……」

「ああ。このようにヒトの役に立つ力を隠すなど、勿体ないことだ!」

「えっ?」


 きょとんとしたエルシーに、今度は発言主であるリクスンが首を傾げた。


「む、なんだ? 素晴らしい力ではないか、木こりの妹!」

「……!」

「あの賢いエルフたちですら、“癒しの術”に関しては数百年も進展がないと聞く。だから君は胸を張り、その力で多くの命を救うべきではないか?」


 拳を握って語る若き騎士。セイルの心中から彼を見ていた賢者が、楽しそうな声を出す。


(率直だねえ、相変わらず。君と良い勝負だよ、リンは)

「どういう意味だ」


 しかしセイルの側で佇んでいたエルシーは、騎士を見上げて小さな声で言った。


「そう……そうね。たしかに、ちょっとは自慢してもいいかもしれないわ」


 やがて妹が浮かべてみせたのは、セイルでさえ目にしたことのない不思議な笑みだった。


「ありがとう。騎士さん」


 一瞬自分よりも大人っぽく見えた彼女に、木こりは目を見張る。それは向かいの騎士も同じらしく、琥珀色の瞳を丸くしていた。


「う……うむ」


 ぎこちなく腕組みした騎士にうなずくと、エルシーは獣人の前に屈んで目線を合わせた。


「タルトトちゃんにも、謝らなきゃね……。ごめんなさい、お家の屋根を焼いてしまって」

「いやいや、あのボロ小屋のことなら気にしないでくだせえよ。ちょうど、雨漏りが酷くて困ってたんで!」


 落ち込んでいる娘には弱いのか、獣人は小さな胸をどんと叩いて笑ってみせた。それでも小さな瞳をきらりと光らせ、騒動主を見上げる。


「しかしねぇ……やっぱり失ったモンは補わねえと、世の中回らねえって話で」

「えっ? つまり、お金ってこと……?」


 たじろいだ妹と同じく、セイルも顔をしかめた。家からかき集めてきた路銀は多いわけではない。しかもこのずる賢そうな獣人の請求がいくらであろうと、田舎者である自分たちはその正当性を見極めることもできないのだ。


「ならば、俺が出そう!」

「なっ!? ど、どうしてアナタが!」

「こちらにも責任がある。案じることはない、騎士隊の給金はほとんど使っていないからな」

「へえ、気前が良いことで! でもねえリクスンさま、あの小屋の屋根裏にゃ、ぬす対策で隠しといた“お宝”もたくさんあったんでやんす」

「ぐっ……も、もちろん全額払う!」

「毎度ありぃ! 分割払いもご相談に乗りやすぜ?」


 縞模様が浮いた両手をこすり合わせ、獣人はにっこりと笑む。その笑顔にセイルがどこか怪しいものを感じていると、側の茂みからなにやら黒いものが突き出た。


 それが黒い頭巾だと気づくと同時、自分よりも静かな声が淡々とこぼれ落ちる。


「――カイザス様、焼け跡を確認して参りました。焼失したのは屋根部分と、木の実が詰まった箱類のみです」

「ああ、ご苦労だった。クリュウ」

「げげっ! い、いたんすか、右腕さん!」


 茂みがなければ、その黒装束は完璧に闇に溶けていただろう。騎士隊長の右腕は、唯一露出している灰色の両眼でじろりと商人を睨んだ。


「……“リスの炙り”は好物です。薄い見栄も大概になさい、便利屋」

「ひええ、堪忍してくだせえ! もちろん、屋根の修繕費だけで結構ですんでっ!」


 ぺこぺこと頭を下げるタルトトを一瞥し、黒装束はサッと姿を消す。セイルをはじめ若者たちが脱力した表情を浮かべたところで、地面から寝ぼけたような声が響いた。



「ふぁ……? ど、どうしたんですか、皆さん……?」



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