1−22 こっちが訊きてえってもんです


 火柱を吹き上げる小屋から一番に逃げて来たのは、小さな姿だった。


「かっ、カイザスさまぁーっ! 大変なんです、の小屋が――!」


 背丈からただの子供かと思ったセイルだったが、その影の左右で揺れる大きな物体に気づき目を凝らす。身幅よりも太いそれは、ふわふわとした大きな尻尾であった。


「無事か、タルトト! これは一体……?」

「こっちが訊きてえってもんです! まったくもう、アナタの義弟おとうとはいつもの通りでやんすが、問題はあの娘さんで――って、なんかこっちも焦げ臭いような?」


 騎士隊長の周りをぐるぐると駆け回っていた小さな影は、セイルの近くでやっと革靴の足を止めた。黒っぽい鼻先をクンクンと動かし、匂いの出処を探っている。


「尻尾が燃えているぞ、獣人……」

「わわッ!? こいつぁ盲点だった!」


 セイルは屈み、尻尾をそっと掴んで火の粉を払ってやった。焦げた毛束が舞ったものの、幸いなことに消火後もその密度は変わらないように見えた。


「ふー。感謝しやすぜ、旦那っ!」


 縞模様の尻尾をくるりと巻くと、獣人の子供は小さな耳をぴんと立てて敬礼らしきものをしてみせる。


「おかげさまで、“リスの炙り”にならなくて済んだってもんです!」

「あ、ああ……」

「とびきりのお礼をしねえとな。では、このタルトト・テルポットの“便利屋”――お困りの際はぜひ一言、なんでも御用命をば! 旦那なら、一回無料にしときやすぜ」


 働き者のキツツキよろしく言葉を撃ち出し続ける獣人。寡黙な木こりは呆気にとられるしかなかったが、なんとかうなずいてその特典を受け取っておいた。


 しかしタルトトと名乗った獣人は、そびえ立つような自分を見上げ首を傾げる。


「んん? 旦那、もしかしてあっしのことご存知ねぇんで?」

「……」

「ほんとに? 傷つくんすけど……。“便利屋のタルト”って言やぁ、ゴブリュード市場じゃ知らぬ者はいねえ名なんすがねえ」

「……悪い」


 革ベストに包まれた小さな肩がしょんぼりと下がるのを見、セイルは居心地が悪くなった。さらに言うと故郷の森では“リスの炙り”を口にしたこともあったが、これはさすがに黙っておくことにする。


「相変わらず熱心だな! しかし商いを広げる前に、お前の家がなくなってしまうぞ。タルト」


 会話がひと段落するのを待っていたらしいカイザスが、夜にしては明るい方角を指差して忠告した。


「えっ――あああ、そうでやんしたっ! ワケがわかんねえんですよ、あの緑頭の娘さんが怒ったと思ったら、急に暖炉の火がぶわぁって広がって」

「あ、義兄上ーっ!」


 あたふたと説明するタルトトの背後から、よく通る大声が響いてきた。がちゃがちゃとけたたましい金属音を引き連れ、転がるように走って来たのは騎士リクスンである。


「こちらにいらしていたので――姫様ッ!? な、なんというお姿に!」

「お怪我は問題ない、眠っていらっしゃるだけだ。とにかくお前もタルトも、まずは現状報告をしてくれ。私とセイル君は、きちんと屋根がある小屋を目指して来たのだぞ」

「報告もなにも――!」


 顔を見合わせた騎士と獣人は、小屋を指差す動作と驚愕の声をぴたりと揃えて進言した。


「「あの“魔女”が! 小屋を焼いたんですッ!!」」

「だぁーれが、“魔女”だってえ……!?」

 

 どすの利いた声と共に、何の前触れもなく2人の背後に火柱が立ち昇る。その熱波に誰もが腕で顔を覆い、獣人は騎士の背後にさっと逃げ込んだ。


「ひゃわああ! で、出たあッ!」

「あーらリスちゃん、どうしたのお……? あたし、クルミ持ってるわよ……食べる?」

「そ、それクルミ!? どう見ても石炭じゃねえすかああ! ひいい」


 自分も同じ末路を辿るとでも思ったのか、タルトトは尻尾を抱えて小さくなった。炎をまとった人型の“なにか”は、差し出した手からクズ炭となった木の実をぱらぱらと落としつつ、ゆっくりと騎士を見る。


「それで、“騎士サマ”……あたしのこと、何か勘違いしていらっしゃるようで……?」

「そ、それしきの炎で近衛が怯むと思うな! 何度でも言おう、先ほどの君はどこからどう見ても、ま」

「おい――!」


 妹がもっとも嫌う呼び名をまたしても口にしようとしているリクスンに、セイルは手を伸ばした。無理にでも口を塞がねば、ここは焼け野原と化してしまう。


「――まさに豊かな森の象徴たる、可憐な妖精殿」

「!?」


 そよ風のようなその言葉はセイルの脇を駆け抜け、怒れる妹へと向かった。炎の中で揺らめいた瞳が、完全なる円を作る。


「我が義弟おとうとと友の失言に、清らかな心を大いに痛めたと思う。彼らにかわりこのカイザスが、謹んで謝罪を申し上げたい」


 惜しげもなく膝をついて披露したのは、誰もが知る騎士の象徴たる姿。いつの間にか王女は、彼が敷いたとおぼしきマントの上に寝かされていた。


「すまなかった――だからどうか、彼らに許しを与えてはくれないだろうか」


 一分いちぶの隙もないその姿勢を保ったままのカイザスは、躊躇せず炎のうちに浮かぶ細い手をとる。


「……ッ」


 じゅ、という恐ろしい音にセイルは眉を寄せる。もちろん彼の義弟がすぐさま身を乗り出した。


「あ、義兄上ッ!?」

「リクスン。先ほどの呼称は淑女に対し、あまりにも無礼と思わないか」

「しかし――」

「“恩義、礼義、信義”――騎士の心である“三の義心”を忘れたと?」

「ま、まさか! 常に心に掲げております」

「ではお前は、どれも欠かしてはいなかったと胸を張れるのか」


 カイザスの射抜くような、しかしなお穏やかな蒼い瞳が義弟へと向けられる。刹那のあと、セイルの前を横切った人影が同じく草原に膝をつけた。


「……エルシー・ホワード殿。先の言葉は撤回する。俺の失言だった」

「あ……」


 鋼の膝で直角を作っているリクスンは、金の頭を垂れて続ける。


「君が暖炉の火種を、道具を使わず大きくしてみせたことに動揺したのだ……悪かった。少し、その……個人的に、炎に対して良い印象を持っていなくてな」

「そう……なのね」


 妹を覆っていた炎が徐々に弱まり、見慣れた緑髪が戻ってくる。彼女の内側に吸い込まれるようにして炎が消え去ると、不思議なことに小屋を襲っていた炎も散っていった。周りの野草にも飛び火ひとつしていない。


「……ごめんなさい」


 炎の鎧となって妹を覆っていたのは、赤い燐光を放つ火の精霊であった。当然セイルは承知していたことだったが、騎士二人は揃って目を丸くしている。


「あたしも、自分の力のことについて説明不足だったと思う」


 蛍が飛び立つようにして、精霊がふわりと空へ散る。ようやく少女の姿を取り戻したエルシーが、バツの悪そうな表情を浮かべて告白した。



「あたしは、精霊に愛されたヒト――“精霊の隣人マナフィリアン”なの」


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