1−21 お互い、苦労が尽きんな

 同じ森であっても、やはり故郷とは違う匂いがする。


「……」


 湖から湿り気を帯びた風が流れ込み、青年――セイルの群青色をした髪を逆立てていった。


「“そちら”の君に戻って間もないが、歩いて平気か?」


 ヒトとして意識を取り戻したセイルは現在、王女を抱えた騎士隊長カイザスと共に暗い森をゆっくりと進んでいた。彼の気遣いにうなずき、木こりは静かに答える。


「ああ。問題ない」

「それは上々だ。やはり若者はこうでなくてはな」


 楽しそうに言ってみせる男に、セイルは首を傾げて訊いた。


「あんただって、爺さんじゃないだろう」

「光栄なことに若く見られがちだが、私だってもう30半ばだ。君からすれば爺さんだろう?」

「たしかに、爺さんじゃない……。おっさんだ」

(セイルっ! ああ、どこで育て方を間違ったのやら)

「お前は親じゃないだろう、テオ」


 心中の友と言葉を交わしたのは一瞬だったが、騎士隊長はその様子を見逃さなかったらしい。セイルよりも上背うわぜいのある男は、子供のように顔を輝かせて言った。


「もしや、またテオギス殿と会話しているのか?」

「え? ああ……」

「なんと羨ましい! どうにか外部に伝えられないものかな。私も、昔のようにご意見を賜りたい案件がいくつもあるのだ」

(おや、嬉しいこと言ってくれるねえ。変わらないな、カイは)


 賢者が喜んでいることを伝えると、カイザスはさらに破顔する。王女や彼の義弟リクスンと同様に、この男もテオギスと懇意にしていた間柄なのだろう。


「駆けつけるのが遅くなって、すまなかった。城内には大臣や、その支持者たちの目が光っていてな」


 やたらと痛む脇腹に手を添え、セイルは少し前を往く鎧姿にぼそりと問う。


「……あんたは近衛の隊長なんだろう。城から消えていていいのか」


 夜の森が奏でる葉音や獣たちの足音よりもささやかなその声にも、騎士隊長は変わらず快活な笑みを返した。


「はっはっは! 君は真面目だな、セイル君。義弟リンとよく似ている」

「あいつと……? どこが」


 不満を呟きつつ、セイルは王女の側付であるという小うるさい騎士を思い浮かべる。


 早く温かい小屋で一息つきたいのは山々だが、あのよく吠える犬のような男とまた顔を合わせる場面を想像すると、ため息しか出なかった。


 自分の心配を見抜いたかのように、彼の義兄であるという男は蒼いマントを提げた肩を揺らした。


「許してくれよ。あの男――リクスンは、フィルの側付をこなすことに全身全霊を置いている。彼女を少しからかおうものなら、私でさえ睨まれるほどだ」

「……親しいんだな、王女と」

「私からすれば、彼女も妹のようなものだ。しかしリンは君より2つも年上だというのにあの通り友も持たず、若いのに任務一辺倒でな……。根は素直なのだが」


 そう話すも、カイザスの横顔に浮かぶ表情は紛れもなく弟への親愛であった。彼にならって自分の妹の元気な姿を思い浮かべてみたセイルは、小さく同意する。


「それは……分かる」

「なるほど、さしずめ我らは“兄者同盟”といったところか。お互い、苦労が尽きんな!」


 謎の同盟に放り込まれながらも、セイルは珍しく他人と話すことを面倒だと感じていない自分に気づいた。この騎士隊長は、いわゆる“気が合う奴”という存在なのだろう。


「そうだ、先ほどの質問だが。たしかに君の指摘通り、私はあまり長く城を空けてはいられなくてね。これでも陛下の側付なのでな」

「じゃあ、今は」

「今はなんとか、御身自らが時間稼ぎをなさっている状態だ」

「なら、もう城に……」


 帰ったほうが良いというセイルの意見は、静かに左右に振れられた銀髪によって却下される。


「一人娘が大きな決断をする場面を見届けてきてほしい――それが、我が主君から与えられた任だ。小屋での話し合いには、私も同席させてもらおう」

「……そうか」

「君は良いのか? これから、身の上話――それも、楽しくはない物語をだ――を披露するのだろう。今夜の観衆は多いぞ」


 這い出していた木の根をまたぎつつ、セイルは騎士の忠告を吟味した。


 王女フィールーンに側付リクスン、騎士隊長のカイザス。そしておそらくいつも影のように付き従う彼の“右腕”、クリュウも近くに潜んでいるはずである。


 同席するかは不明だが、カイザスの“小さな友人”とやらも合わせると、セイルがよく知らない人物は実に五人にものぼる。


 無意識にごくりと唾を飲み下した田舎者を、からかうような声が慰めた。


(なんとまあ。これまでにない大舞台じゃないか、親友?) 

「……腹が痛くなってきた」

(そりゃあヒビ程度は入ってるだろうからねえ。今、賢者にできる助言はひとつだ――“どうぞお大事に”ね)


 誰もいない宙を睨んだ後、セイルは諦めの息を落とす。こちらの心持ちを読み取ってくれたらしいカイザスが、元気づけるように弾んだ声を寄越した。


「案じずとも、ゆっくりでいい。陛下は昔から、時間を稼ぐための小話をたくさんお持ちでな。その見事な語り草に兵士が聞き惚れている間は、安心して――……うん? なんだか、向こうが騒がしいな」

「灯りが見える。あれが目的の小屋じゃないのか」


 城とは反対側に位置する森の切れ目。木立に寄り添うように建てられたその小屋には、たしかにセイルが切望していた“灯り”が燃えていた。


 煌々と――まるで、夜空を焦がすかのごとき勢いを伴って。



「しんっじられない! この無神経男おぉーッ!!」



 その惨状からサッと顔を背けたセイルの耳に容赦なく飛び込んできたのは、間違いなく妹の怒号だった。


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