1−20 君の“門出”を祝うとしよう


「お、お前さん――」

 

 セイルは冷静になって数秒の間その意味を探ったが、結局は狼狽の声を上げるだけの結果に終わった。


「急になに言ってんだ!? なんで俺が、んなコト」

「なにって、ただの儀式だよ。見知らぬ2人が親愛関係に乗り出す時には、そうするのだろう? 本に書いてあった」

「どこの本だよそれ! 国中から取り締まれ、今すぐ!」


 そうわめく間にも、艶のある唇が距離を詰めてくる。こちらは羽ばたけぬよう翼を幹に押し付けられているというのに、王女は今さら器用に翼を駆使してぐいぐいと身体を寄せてきた。


「くそ、力強ぇな……って、いだだ、脇腹っ!!」


 腹部に走った鋭い痛みに叫んだセイルを、妙に熱のこもった妖しい瞳で王女が眺めまわしている。


「ああ、先ほどは強く蹴って悪かったな――でも丁度いい、大人しくしていろ。“おしとやか”にな」

「ぐっ……フィ、フィルっ……! やめろ」


 小さな顎をくいと持ち上げ、王女は静かに目を閉じる。

 彼女の汗と浅い吐息からは、なぜか抗いがたい甘い香りがする――。


 じんじんと痺れそうになる思考を叱咤し、セイルは友に助けを求めた。


「テオ、なんか知恵だせ! こんな時の賢者だろうが!」

(いやあ、さすがに向こうも竜人というわけだ。これは押し返せそうにないねぇ。まあ、予期せぬ形にはなったけれど――僕は、君の“門出”を祝うとしよう。大人になっても、我らの友情は永遠とわに)

「てめえええ」


 叫びも虚しく、王女の身体はついに自分とぴたりと密着を果たす。

 各部の柔らかさと溶けそうなほどのその高い体温に、セイルの理性が吹き飛びそうになった。


「く……そッ――!!」


 このまま感情に呑まれてしまえば、自分はどんな行いを働くか分からない。それは彼女も同じだ。今の大胆な行動の原因は、制御しきれない竜人の魔力によるものだろう。


 揃って我に返った時、一体どんな顔をすれば良いと言うのか。


「――若者の逢瀬おうせを邪魔するのは、まことに残念なのだが」

「!」 


 それは頭上から降る月光のように、静かで自然な声だった。驚いたセイルが見たのは、自分たちの真横で光る銀。



「騎士隊長として、これ以上は許可しかねるのでな。恨まないでくれ」



 端正な顔を持つ男は爽やかに笑むと同時、手にしていた小袋の中身をセイルたちの頭上にぶちまけた。


「げほっ……こ、この鼻が爆発するような匂い――“竜薔薇ドラグローズ”か!」

「ご名答だ」


 涼しげな声が、あっという間に遠のいていく。その不思議な現象でようやく、セイルは自分が地面に向かって落下しはじめているのだと気づいた。


 翼は錆びついたからくりのごとく動かない。自由に宙を支配していたはずの竜人はあっけなく、無様な音を立てて木の根本に墜落を果たした。


「ぐあっ!」

「すまないな。足場が心許ないので、彼女を支えるのが精一杯だった」

「う……。ッてぇ」


 根本の茂みが衝撃を分散させ、大事には至らずに済んだらしい。力の入らない身体をなんとか仰向けにし、セイルは視線をのろのろと木の幹へと這わせた。


「こんばんは、侵入者君」


 巨木の中間あたりに刺さった剣。不思議な輝きをまとうそれを器用に足場にしたヒトは、信じがたいことに重厚な鎧をまとっていた。


「我らが姫君の“御転婆”ぶりには、どうか目を瞑っていただけると嬉しい」

「よお……。なかなか、“キョーレツ”な姫さんだったぜ……。カイザス隊長さん、よ」


 ゴブリュード王国近衛騎士隊長――カイザス・ライトグレン。


 重々しい役職名に恥じない、堂々たる姿。しかし彼の深い蒼の瞳から滲み出るのは、誰もが親しみを感じてしまう人懐っこさだ。


「覚えていてくれて光栄だ。セイル・ホワード君」

「あんたみたいな“キラキラ”したやつは……田舎にゃ、いねえからな……」

「きらきら?」


 銀色の長髪が夜風になびき、鎧には似つかわしくない――そしてやはり、絵になると感じざるを得ない――美しい顔が完璧な微笑を生み出している。

 妹の言葉を借りた表現をしてみたのだが、本人がこの場にいないことは残念だ。


「直撃、だったろ……。姫さんは、大丈夫か……?」


 隊長の腕に抱かれた王女は、すでに竜人からヒトの姿へと戻っていた。


 あちこちが破け薄汚れた侍女服に包まれたフィールーンは、ますます“王女”離れしてしまっている。肩までの黒髪は力なく垂れ、目は固く閉じられていた。


「うん、問題なくお眠りになっているようだ。“竜薔薇”と言ったか……驚いたぞ、本当にこのような粉末で竜人化を鎮めることができるとはな」

「そうかよ……。んじゃそいつは、エルシーから?」


 セイルや王女の全身に付着している緑色の粒子を眺めていたカイザスは、うなずいて暗い森に目を向けた。


「ああ、君の妹君から預かった。君たちが木こりといえ、私は幼い頃からこの森を鍛錬場がわりに駆け回っている。探索役を買って出ると、彼女は快くこの“切り札”を託してくれたよ」

「そりゃ……何よりだ」


 満足げに笑んだカイザスは、ふと不思議そうな表情を見せて言った。


「歳の割にしっかりとした、良い妹君だ。しかし彼女の挙動は、やけにぎこちなかったな――もしや、どこか怪我をしているのを庇っているのでは?」

「あー……」


 セイルは淡白な返事をし、おそらくまったくの見当違いであろう騎士隊長の憂慮を否定した。


「いや。心配いらねえよ……あいつにゃ、精霊もついてるしな」

「そうか、なら良かった!」


 心からの安堵を顔全体で表現するカイザスに、セイルは気の抜けた笑みを浮かべた。自分たち兄妹は、城にとっては立派な部外者だというのに――。


(セイル、大丈夫かい?)

「いや……。あのクサレ粉末を吸い込んだのは少量だが、やっぱ効くな。竜人の魔力が弱まっていく」 

(了解、お疲れさま。――だったね)

「何がだ、このくそ賢者……」


 文字通り重い頭に呻きつつ、セイルは心中の賢者からの要らぬ労いに応える。


 枝葉まみれの青年はカイザスを見上げ、弱々しく手を挙げた。


「悪ぃが、隊長さんよ……そろそろ、時間切れだ。言ってた“場所”の用意は、できたのか……?」

「抜かりなく。私の小さな“友人”が、この森の端に小屋を持っていてな。君の妹君と私の義弟が、仲良くそこで待っているはずだ」

「……。そりゃ、小屋がといいが……」

「うん?」


 小首を傾げているヒトを仰ぎ見たところで、セイルの視界はぐるぐると回りはじめた。


 穏やかに眠るフィールーンの横顔に視線を集めようとしている自分に気づき、竜人は牙を覗かせてひとりごちる。



「――“素敵な出会い”ってわけにゃ、いかなかったかもな……」


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