1−24 幼いころの話ですっ!


「私、どうして……うっ!」


 意識を取り戻してすぐ、フィールーンは身体の調子が悪いことに気づいた。


「これ、は……」


 重い頭痛に、四肢の筋肉が引っ張られるような痛み。運動を趣味としない自分が、なぜこのような苦痛を背負っているのか――もちろん、思い当たる原因はただひとつだ。


「まさか、わ、私……また……!」

「お目覚めですか? フィールーン様」


 すぐそばから降ってきた声に顔を上げれば、自分よりも深い蒼をした瞳と視線がぶつかる。精悍ながらも整った顔立ち、流れ星が留まっているかのような銀髪――そして幼い頃から何度も自分を励ましてくれた、明るい笑顔。


 騎士隊長カイザスその人に寝ぼけ顔を見られたと知り、王女は頬を真っ赤に染めた。


「かっ、カイ!」

「ようやく淑女然としてきたな、フィル。以前の寝相であれば、私のマントからはとうに転がり出ていただ――」

「お、幼いころの話ですっ!」


 白い歯を見せて笑うカイザスに、王女は抗議しつつも小さくなった。彼はまた今夜のことを、いかにも楽しそうに自らの主君――フィールーンの父であるラビエル王に報告するに違いない。思わず両手で顔を覆った。


 続いて耳に届いたのは、聞き慣れた鎧の金属音だ。


「姫様ッ!」

「り、リクスン」

「申し訳ありません……。誘拐の恐怖にさらしただけでは済まず、今度は貴女をあの異形姿にまで。義兄上が駆けつけて下さらなければ、俺の命では償えぬ損害を出していたでしょう」

「え、えっと」


 矢継ぎ早に続く謝罪に口も挟めず、フィールーンは困って側付騎士を見つめた。上半身の鎧を脱ぎ捨てたリクスンは短い金髪頭をしっかりと垂れ、逞しい肩を強張らせている。彼を叱責する資格など、自分にあるはずがないというのに。


「リン。反省はあとにして、まずは客人へのもてなしをしようではないか」

「客……ですか?」

「もちろんお前の後ろにいる可憐なお嬢さんと、その兄君だ」

「なっ!?」

「フィルを鎮めてくれたのは彼だ。私は、残念ながら出遅れてな」


 悪戯っぽく言って見事なウインクを落とすカイザスに、彼の義弟はぽかんと口を開ける。何かを言いかけ――そして、ハッと琥珀の瞳を大きくした。


「まさか――“協力者”とは!」

「夜の遊泳で頭が冴えたようだな、義弟おとうとよ。まあともかく、積もる話は暖かい小屋の中で」

「最新情報じゃ、その“素敵な小屋”は今しがた焼け落ちちまったと聞いたんですがね。カイザス隊長さま」

「おっと」


 肩をすくめて進言したのは、フィールーンの見知らぬ獣人であった。


 歳は面々の中ではもっとも幼く、12か13の頃だろうか。目立つ茶色のふわふわとした耳に、クセが強いオレンジ色の短髪。鼻の頭はやや黒みを帯びており、肌のところどころにはまさにリスを思わせる縞模様が浮いている。


「あなたは……」


 可愛らしいと言える見目に中性的な高い声を持つ獣人は、とても身軽な格好をしている。武器の携行はなく、地味な色のケープを主体にしたそれは明らかな旅装だ。彼ら獣人はヒトにはない怪力と俊敏性を活かし、土木仕事に従事する者が多い。しかしこの子供からは、どこか“商人”のような機敏さを感じた。


「あ!」


 いや、カイザスから話を聞いたことがある。自分は城下町に“小さなフワフワの情報網”を持っている、と――。


 そんな記憶を引っ張り出している間に、とてとてとこちらへ駆けてきた獣人が優雅に腰を折ってみせる。


「お初にお目にかかりやす、フィールーン王女さま! あっしは城下にその名をとどろかす“便利屋”、タルトト・テルポットってもんです」

「あ、は、はいっ! ふ、フィールーンです」


 臣下のマント上で姿勢を正したフィールーンに、商人はすらすらと言葉を並べ立てた。


「今回は急なご出立とのことで、騎士隊長カイザスさまより荷物管理兼、道案内を任されておりやす。このタルトト、愛らしい見目はもちろん交渉の腕にも自信がありやすから、どうか大船に乗ったつもりで――」

「目が覚めてよかったです、王女様! 今からの話は、聞いてもらわなきゃ困るもの」

「ぐえっ」


 獣人をぬいぐるみのように抱えあげた人物には見覚えがあった。まだはっきりとはしない意識を揺さぶりつつ、王女は呟く。


「え、エルシーさん……でしたね」

「あら、呼び捨てでもいいのに。それじゃ、こっちの黙り込んでる男は覚えていますか? 一応、森であなたにお会いした男と同一人物なんだけど」

「おい……」


 エルシーが何かをぐいぐいと引っ張ったことで、ようやくフィールーンはそこに人物がいることに気づく。目覚めた時から視界の端にちらちらと映り込んでいたのは、朽ちた柱か何かではなかったらしい。


「あの、はい……。セイル・ホワードさん、ですよ……ね……」


 仏頂面をしている青年の名はすぐに思い出せたものの、そのほかにも浮き上がってくる場面があった。


“なあ、『フィル』――あ、そう呼んでもいいか?”


 おそらく自分が“竜人化”している間の出来事だろう。

 霧がかったようなその記憶に、フィールーンは黒い眉を寄せる。


「あ……」


“あたしも嬉しいんだ。たぶん――”


 木の幹に縫い止められた自分の両手首。

 押さえつける手は大きくて逞しい、異性のもの。


「あ……ああ……!」


 鱗に覆われた身体が密着する、温かく生々しい感覚。

 息がかかるほどに近くあり、狼狽に揺れたのは彼の金の瞳。


“なら、証拠を見せてくれないか?”


 強いはずの彼は、一体何に慌てていたのだったか――。



「ああああっ! ごご、ごっ、ごめんなさいいいーっ!!」


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