1−18 やっと言えたじゃねえか


「モヤモヤ……?」

「今まで、色々溜めてきたんだろ」


 彼の意図が汲みとれないのは、長らく人づきあいを絶ってきたからなのだろうか。フィールーンが黙っていると、痺れを切らしたように竜人青年が口を開く。


「竜人の力は、“穢れなき心”に準ずるところがデカいんだと賢者テオは考えてる。だから旅立ち前に、綺麗さっぱりおさらばしとかないとな」

「穢れ……とは」

「お前さん、自分の人生が理不尽だって思ったことないか?」

「!」


 破けた侍女服をまとう肩が強張る。

 しかし間違いなくそれを目撃しつつも、質問者は問いを取り消さない。


「なんで罪のない子供だった自分が、“竜人”なんていう化け物にされなきゃならなかった?」

「……っ」

「城の隅っこにある塔に押し込められて。友達もできず、使用人たちには昏い噂のタネにされて――」

「……やめろ」


 かなり低い声を出したはずだが、詰問の手は緩まない。フィールーンは体内にふたたび熱い魔力が巡りはじめるのを感じた。


父王ふおうの役にも立てずに、いつも心配をかけるだけで」

「もう――」


 怒声と共に飛び出したのが自分の脚であることに、フィールーンは気づかなかった。足先の鉤爪によって侍女服のスカートが紙のように裂け、白い鱗が光る太腿が露わになる。


「やめろと言っているッ!!」


 護衛の騎士が目にすれば失神しそうな光景だったが、構わず王女は人生初となる――今までは、特定の者への怒りではなかった――“暴力”を振るった。


「……ッぐ!」


 背を木の幹に押し付けて繰り出した渾身の蹴りは、狙い違わずセイルの脇腹を直撃した。


「!」


 硬そうに見える鱗腹は意外にも柔らかく、生々しいその手応えにフィールーンは我に返る。


「わ、悪いっ――!」

「はっ、良い蹴りじゃねえか……けど、そんなもんかよ。お前さんの怒りってのは?」

「何だと!」


 明らかに苦痛を感じているにも関わらず涼しい顔を保とうとする男に、フィールーンは牙を剥いた。どうにも気に入らない。


「もっとあんだろ、色々……。引き篭もって、ヒトの言葉を忘れちまったか?」

「……っ、君にあたしの何が分かる!?」


 耳鳴りがするような怒号を上げ、フィールーンは反対の脚を振り上げた。

 鉤爪を持つ硬い素足が、男の肋骨下に容赦なく紅い線を刻む。


「あたしだって、こんな人生は――自分は、嫌だッ!」


 慣れない運動に身体がついていかないのか、すぐに顔がじんじんと火照りはじめた。鼻と喉の奥が痛くなり、声が震える。


「今でも城の皆と、昔みたいに話したい! 見て見ぬ振りなんか、してほしくないっ! いるのに、いないことになんて、してほしくないんだッ!!」

「……ああ」

「お父様のように諸国を巡って交流を深め、たくさん学びたかった! 本だけ読んでいたって、結局は何も分からないんだ!」

「そうだな」


 玉のような汗が流れ、まだら色の髪を濡らしていく。その中でも特に熱い一筋は瞳からあふれている別の液体だと自覚し、フィールーンはさらに声を荒げた。


「ルナニーナのことだって――!」

「……自分を竜人なんかにしたのを、恨んでるか?」

「そんなわけないッ! そんなこと、できるはずも……ないっ……!!」


 何度も何度も質問者の腹を蹴り、フィールーンは汗ばんだブラウスに涙の粒を染み込ませながら叫んだ。



「――大好きだった! かけがえのない、たったひとりの友達だった!!」


 

 その咆哮は木々を震わせ、澄んだ夜空へと吸い込まれていく。


 かわりにフィールーンの耳に降ってきたのは、去りし日の楽しげな足音。


“まあ! もうお勉強を終わらせてきたの、フィル? すごいわ”

“えへへ……。だって、はやくルナのお部屋にあそびにきたかったから”

“嬉しいわね。さあ、今日はどの国の歴史をご覧になるのかしら、小さな王女さまプリンセス?”

“えーっとねぇ――”


 どう足掻いても取り戻せない、温かな時間。

 良い思い出たちは“あの日”を境に、すべて胸の奥で凍りついてしまった。


「ルナ……。どうして……どうして、あんなことにっ……!」


 青年が拘束していた手を解き放つと、フィールーンはそう呟いて黙り込んだ。震える両肩を抱き、白と黒の混じった頭が力なくうなだれる。


 しばらくして、セイルは今までよりも静かな声で問いを投げてきた。


「ダチを殺されて、悔しいか?」

「あっ――当たり前だッ! ずっと悔しかった。ずっと怒っていた。自分が竜人になったことなんかより、ずっと――!!」

「やっと言えたじゃねえか、本音」

「!」


 角が背後の木に刺さりそうなほどの勢いで王女の頭が跳ね上がり、青年を見上げる。


「そうやって、いつも素直でいるこった。それが竜人おれたちにとっちゃ、一番自然なんだからな」

「素直……」

「どうだ? スッキリしただろ」

「あ、ああ」


 まさに“素直”にそう答えてしまった己に気づき、フィールーンは呆然とする。他人に向けてここまで心を晒したのは初めてだ。


「……」


 はしたないとも、情けないとも非難されなかった。彼は自分の言葉を“王女”のものとして聴いたのではない。ひとりの存在として――“フィールーン”の言葉として、すべて聞き届けてくれたのだ。


 セイルは満足げにうなずき、口元を引き締めると新たな話題を提示した。


「王都に住む竜ならごまんといる。なのにそいつはわざわざ、警備の厚い城に住む竜の賢者夫妻を狙った。お前さんなら、その目的はわかるよな」

「……ヒトと竜の、平和を乱すこと」


 細い声ながらも、その答えは自然と喉から放たれた。何度も考えたことのある問題だ。竜の賢者夫妻は、城の内外共からとても愛されていた。二人を害することはすなわち、ヒトと竜の間に不信感を生むことに繋がる。


 侵入者はこちらを見下ろし、低い声で言った。


「犯人は、何故だか知らねえがこの平和な時代に不満を持っているヤツだ。そしてそいつの動きが最近、やたらと派手になってきている」

「まさか……各地で起きているという、凶暴化や変死のことか?」

「そうだ。さすがに情報は仕入れてやがるな」


 大国の都ではまだ聞かないが、辺鄙な村や小さな国々で時たま起こっているという異病。それはヒトや竜が突然我を失って暴れ出し、その後に枯れ果てるように死亡するという恐ろしいものだった。


「まだ発症例は少ねえし、一般民に情報が回るのは抑えているが――」


 セイルは金の目をちらと王女に向け、腕組みをして続ける。


「ヒトはともかく、竜まで冒せる病なんぞこれまで存在しなかった」

「それは、そうだが……」

「明らかに誰かの意図が混ぜ込まれた病――いや、別の呼び方のほうが分かりやすいか?」


 ハッとして目を見開いたフィールーンに、容赦無くその言葉は突きつけられた。



「“呪い”――ってな」


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