1−17 とっ捕まえるなら好機だぞ
「怖い……?」
屈強な外見を持つ男から吐き出されたその言葉は、フィールーンの心にくすぶる熱を一気に冷ました。
色違いの瞳を瞬かせ、王女は自分を捕えている竜人を見上げる。
「ああそうさ。怖いんだよ、どうしようもなくな」
「う、嘘だ!」
出会って数刻しか経っていなくとも、彼――セイルの持つ数々の強さは、しかとこの目で見てきた。
「だって君は、そんなに強くて――!」
同じ歳の者とは思いがたい行動力、そして大義のために身を捧げる強い精神。しなやかな筋肉と鱗をまとったこの異形姿でさえ、自分よりも美しく
「あたしと違って……完璧なのに」
「んなわけねェだろ。俺なんて、最近やっと外の風に触れた田舎モンだぞ。数日前まで、小屋のある森から出たこともなかった」
「!」
またもや意外な事実を耳にし、フィールーンは思わず追跡者を見つめた。森での“追いかけっこ”で留め具が緩んだのか、彼の背からはみ出した大戦斧が月光に鈍く輝いている。
「木こり……だったか」
「ああ。姫さんはきっと、絵本でしか見たことねえだろうな。けど陽が昇れば、どんな森にも斧を担いで現れるぞ。――当然、この森にもな」
「あ……!」
自分の乱雑な飛行が刈りとった自然の恵みを見下ろし、フィールーンは固まった。この森を糧に生きる人々は、一夜にして築かれた惨状を目にしてどう思うのだろうか。
「ま、今の話はそこじゃなくてだ」
「たしか君は、この旅を……恐れていると」
話題を戻したセイルはうなずき、木々の合間から見える星空へ金の瞳を向ける。視線を追ったフィールーンの目にも、見事な
「平和を守るっつっても、俺の目的は……簡単に言っちまえば“犯人探し”だ」
「……友の仇を取るのでは?」
「そこまでは決めちゃいねえ。殺された本人が“それはやめてくれ”と何年もうるさく言うもんだから、あらかた復讐の熱も冷めちまった」
肩をすくめて言うセイルに――そして彼の中にいる賢者に――フィールーンは尊敬のまなざしを向けた。
「すごい、な……。あたしは、とてもそんな風には」
「そうでもねぇさ。俺だって実際、犯人と対峙したらどう動くか分からない」
その声はどこか無機質で冷たく、彼の中にもまだ
「色々思うところはあったが、俺が“竜人”になったのはお前さんと同じ頃……7年前だ。まだ10歳のガキに、力の制御や仇討ちが為せるわけもねえ」
「では、これまでは……?」
尋ねるとどんな日々を思い返しているのか、セイルはどこか遠い目になって答えた。
「鍛錬と言やぁ聞こえはいいが、テオや“とある武闘家”にしごかれてなかなか地獄の日々を送ってきた」
「そ、そうなのか……」
フィールーンは居心地が悪くなった。自分は彼よりも少し先に竜人になったというのに、『鍛錬する』などという意識を持ったことはない。
用意された部屋に篭り、ただひたすらこの恐ろしい力から逃げ隠れ――書物に没頭して忘れようとしていただけだ。そう自覚すると、また己の未熟さに嫌気が差してくる。
「そこそこ身体は鍛えたし、竜人化のことも理解したつもりだ。けど、それで戦い自体が怖くなくなるわけじゃねえ」
セイルは金の瞳に影を宿し、少し声量を落として続ける。
「さっきの城壁塔での戦いだってそうさ。あそこで俺は一匹……いや、“ひとり”殺した」
「そ、それは――!」
「ああ、わかってる。やらなきゃお前さんや、城の奴らが
「ならば、君が気に病むことなど」
「でもあの怪物はな……俺たちと同じ、“竜人”だ」
「!」
心のどこかで目を逸らしていた現実を突きつけられ、フィールーンは言葉を失った。自分を捕らえた異形の者の巨体を思い出し、身震いする。
「た、たしか……なのか」
「見ただろ、あの鱗と翼を。出来はちっとブサイクだったが、あいつも俺たちと同じ元ヒトなんだ」
「そんな……」
「それから俺は、昔にもひとり――竜人を殺してる」
「ッ!!」
物騒な言葉に、自然とフィールーンの表情が強張る。予想していたのか、その様子を見た竜人青年はどこか静かな笑みを浮かべて進言した。
「罪人をとっ捕まえるなら好機だぞ。王女様」
「……理由が、あったんだろう? 今夜と同じように」
気丈な声で問いを向けるも、心中ではそうあってほしいと祈ってしまった。セイルは黒髪を波打たせてうなずき、力強く請け負う。
「ああ、誓って。気軽な殺しなんかじゃねえ」
「なら不問だ。そもそも王族の“モグラ姫”はヒトであって、こんな竜人女じゃない」
「……くくっ! やっぱお前さん、かっこいいわ」
「き、君は軽率すぎるッ」
褒めているのかからかっているのか判断がつかず、フィールーンは頬を上気させてそっぽを向く。咳払いを落とすと、セイルは話を戻した。
「あとで話すが、“竜殺し”の犯人とその手下どもとは今後――必ずぶつかることになる」
「!」
「その時、竜人の力を御せるようになったお前さんがこちら側にいてほしいってだけだ。強そうだしな」
「な……」
冗談だろうと思ったものの、フィールーンは正直者な心臓が跳ねるのをたしかに感じた。まさかこの男は、こんな自分を戦力として迎えるつもりなのだろうか?
「どうして田舎の木こり少年が、“竜の賢者”さまなんかと知り合いになったか――そして、ダチになったか」
「……」
「それを話すのは、こんな薄暗い場所じゃなくてもいいだろ? 俺の妹も、お前さんの側付も待ってる」
彼がここまで辿り着いた経緯には、もちろん興味があった。
しかしその物語を聴く輪に座るということは、城からの旅立ちにおおむね同意することを示している。フィールーンは答えるのをためらった。
「なあ、“フィル”――あ、そう呼んでもいいか? いいよな、呼びやすいし」
「え? あ、ああ……」
城の中でもかなり親しい者しか使わない――そして今や、多くの使用人たちが口に出すことさえ控えている愛称。
まるで何年も前からそう呼んできたかのような自然な呼び方に、許可を与えてから気づいた王女は顔を赤らめた。
「じゃあ――吐けよ、フィル。全部」
「……。べつに、気分は悪くないが……? 夕食も好物のスープだったし」
「訊いてねえし、そういう意味じゃねえよ」
面白がるように笑った後、セイルはフィールーンの心が奇妙に揺れるような眼差しを光らせて言い直した。
「この森に“置いて行け”って言ったんだ。お前さんのモヤモヤを、全部な」
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