1−15 君だって嘘をついている


 もう捕えられたというのか――?


 そんな衝撃に、竜人となった王女フィールーンは息を呑んだ。


「失礼つかまつるぜ、姫さんよ」


 自分の両手首を背後の幹に縫い止めた男。群青色の鱗が這い出た頬を持ち上げた彼――セイルという名の青年は、不敵な笑みを浮かべている。


「緊急事態なんだ。縛り首は勘弁な」

「な、何をする、この不埒ふらち者ッ!」


 牙を剥き出しにして威嚇してみるが、もっと長い牙を覗かせている相手には効果が薄いらしい。

 フィールーンは乳白色の尻尾を幹に打ち付け、苛立った声を投げつけた。


「“この姿”は、ぎょすことが難しい……。だから、さっさと去れ」

「へえ、器用な嘘をつくじゃねえか。“半端”だからか?」


 興味深そうに細められた金の瞳とその一言に、さらなる煩わしさが募る。


「ん? 嘘じゃなくて、俺への“気遣い”だと、テオ。なるほど、そいつは身に余るな」

「……ッ、馬鹿にするな!」

「してねえよ。そうするつもりなら、こんな面倒な捕まえ方するかっての」

「!」


 予想外の返答に、フィールーンは薄く唇を開く。喉を覆う鱗が引っ張られ、ぎこちなく上下に動いた。


「あ、あたしを捕らえに来たのでは……?」

「あーそうだよ。けどな、力ずくってわけにゃいかねえんだ。お前の側付に約束しちまったからな」

「!」


 最後に見た護衛、リクスンの顔に浮かんでいた表情――それは、主君じぶんの変身に対する驚きだった。だというのに、この姿を見られたくない一心で森へと駆け出した王女の背に、彼は必死で呼びかけてくれた。その声に含まれた心配は、この異形姿になっていてもはっきりと感じることができる。


「リン……」


 思い出すだけで胸がずきりと痛み、フィールーンは唇に牙を沈める。鉄をかじったような味と生温かさが、口内にじわりと広がった。


「やめろ。血ィ出てんぞ」

「……かまうものか。すぐに治る」


 呟いた側から、口の中に広まった血の味が薄れていく。切り口の表面が塞がったのだろう――薄気味悪い、と自分でも思う。


「意地張んな。それに、お前はまだ“半端”で治りが遅ぇ。見ろ、綺麗な肌が傷だらけじゃねえか」


 言われてフィールーンは、のろのろと己の身体を見下ろした。擦り切れた侍女服から覗く肌には、たしかに無数の小傷が浮いている。


「……」


 森の夜間飛行は“モグラ姫”にとって、もちろん至難の技であった。その証拠に何度も肩を幹に強打し、枝や棘に派手に身体をひっかけてしまった。


 ここまで治っていること自体が奇跡なのだが、追跡者にとっては未熟であることの証らしい。フィールーンは苛立ちに任せ、捨て吐くように言った。


「……君には、関係ない!」

「あるって。これから一緒に旅する仲じゃねえか」

「――ッ!」


 普段は押さえ込んでいる心が、炎のような激情となって身体を駆け上がる。


「勝手に決めるなッ!! それに、君だって嘘をついているだろう!」

「そうか?」

「そうだ! あたしを――」


 火花が飛びそうなほど上下の牙が噛み合うが、王女は構わず叫んだ。


「あたしなんかを、連れて行きたいわけがない!」

「ほー? そりゃまた、どうして」


 自分の両手首をまとめて押さえ込む彼の手は大きく、残った手は涼しげに顎の鱗をさすっている。なんとも腹立たしい光景だったが、フィールーンはツノ頭を振って言った。


「あ、当たり前だろう!? こんな――こんな、役立たずの半端者なんて!」

「半端ってのは、お前さんの変身度合いのことを言ったんだぞ」


 きょとんとした顔をして言い足す竜人の青年に、王女は叩きつけるような反論を浴びせる。


「それだけではないんだッ! “王女フィールーン”は……誰が見たって……!」


 客観的に己を見ることほど、恐ろしい行為はない。

 その予想に違わず、フィールーンの頭に数々の苦い記憶が浮かび上がった。


「王女としては使い物にならない舌を持った、役立たずで――!」


“ハァ……王女様、発声の練習は続けていらっしゃいますか? 医者に作らせた資料をお渡したはずですが”

“は、はい……。あの、ま、毎日やって、います……”

“フーム。ではあの者には、いとまを出さねばなりませんなあ”

“そ、そんな――! まま、まってください、がんばりますから”


「護衛としか言葉を交わさず引きこもっているくせに、たまに大暴れする迷惑者で――!」


“リクスン! そ、その腕の傷は、もう治らないのですか!?”

“ご心配せずとも問題ありません、姫様。この通り、もう剣も振れます!”

“そ、そうではなく……。あの、消えない傷に、なってしまうと聞いて”

“ああ――これくらい、勲章代わりです。どうかお気になさらず”


「どこを、とっても……出来損ない、なのに……っ!」


“お、お父様。養子をお取りになる、べきです……”

“なんだフィル、急に。大臣との勉強が嫌になったのか?”

“い、いいえ……。けれど、私が王になんて、やっぱりとても”

“誰が何と言おうと、我が子はお前ひとりだ。案じずとも、ゆっくり進むが良い。まあ当面、この玉座を譲る気はないがな”

“お父様っ……”


 自分が生まれた時は、城中を挙げてお祝いをしたという。しかしその王女は結局、今まで誰の役にも立っていない。それどころか、迷惑極まりない危険人物になってしまったのだ。


「――そんな“お荷物”を連れて行って、何になる?」

「……」


 言い切って口に浮かべたのは、自嘲の微笑み。慣れていない表情だったが、そうでもしていないと何かが決壊してしまいそうだった。


 しかし青年が黙り込んでいる現実に堪らなくなり、フィールーンはうつむく。


「それに……君の旅には、目指す大義があるんだろう」

「ああ。言っただろ――“ヒトと竜の未来を守る”って」

「なら尚更、あたしなんかに構っている暇はないはずだ」


 男の軽口が返ってこないことに、不安と安堵の気持ちが入り混じる。彼の心の中に住まうという“竜の賢者”――テオギスと密談でもしているのだろうか?


「そうだ。そもそもあたしには……テオさまと並んで立つ資格なんて、ない」


 心の一番奥に押し込めていた、もっとも暗くて痛い記憶がそっと鎌首をもたげる。



「彼の奥方であるルナニーナが殺された時、あたしは同じ部屋にいたんだ……。彼女の、研究室に」


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