1−12 化け物だ、あたしは
「私が……旅、に」
青年の問いはあまりにも明確であり、だからこそ王女――フィールーンは、すぐに答えることができなかった。
「お前を連れて行けというのは、テオの頼みだ。だがオレは、無理
「……」
「豪華な馬車も世話をする侍女もいない、質素な旅になる。本人の覚悟が必要だ」
思い悩むフィールーンを見かねたのか、気楽な声が間を繋ぎに入ってくれる。
「ま、正直あたしたちも長旅なんて経験ないんだけど。木こりは基本、ひとつの森に住み続けるものだから」
「エルシー、さん……」
「不安に感じるのもよく分かるわ。でもきっと、辛いことばっかりじゃないわよ」
ね、と肩に舞い降りた光の粒に話しかける少女。彼女の言葉に反論したのは自分の前に立つ側付だ。
「姫様!
「あら、王様なら快く許可を下さったわよ? もう荷物も作ってくれてるもの」
「ええっ!?」
髪の毛先で精霊をくすぐってやりつつ平然と答えるエルシーに、フィールーンは今夜何度目になるともわからない素っ頓狂な声を上げる。
「おっ、お父様が……!?」
「馬鹿な! 長らく世間から
「好きで娘を幽閉するわけないでしょう?」
「無論だ。会えずとも、いつも姫様のことを気にかけていらっしゃる」
熱っぽく言うリクスンに、少女は初めての同意を示してみせる。
「王様は、王女様の身体を元に戻す方法をずっと探していらした。これから会いにいく竜の情報にもお詳しかったわ。あたしたちがその竜に会う方法を知っていると言うと、どうか娘を頼むって」
一気にそれらをまくし立てた後、エルシーはふっと大人びた顔になってこぼす。
「……良いお父さんですね。あなたは、幸せ者だわ」
「お父様……」
「あたしの言葉が信じられないなら、あとで“協力者”さんに訊いてみるといいわ。でも今は、とにかくお城から離れなくちゃ」
「待て、どうしてそうも急ぐのだ!」
エルシーが額に手をやって呻くのにも構わず、側付は朗々とした声で疑問を放つ。
「姫様を助ける手段を知っていると言うなら、我々騎士も助力は惜しまん。正式な作戦としてまとまれば、各地への派遣も――」
リクスンの意見に、黙っていた木こりが口を開いた。
「……王が娘を隠していた理由が、もうひとつある」
「えっ?」
ただのヒトが制御できるはずもない、強大な“竜人”の力。幼いフィールーンは感情が昂ると魔力に呑まれ、そのたびに愛する城や騎士たち――時には、理由さえ知らぬ使用人たちにも――に甚大な被害をもたらしてきた。
その事態を回避するため、自分は城の端にある静かで頑丈な書庫塔へと追いやられたのではないのか。
「すべての悲劇の“元凶”――その存在から、お前を守るためだ」
「っ!」
途端に激しく血流が巡る感覚に襲われ、フィールーンは思わず胸元を押さえた。
「テオギス・ヴァンロードとその妻、ルナニーナ」
「……や」
「オレの友、そしてお前の友であった“竜の賢者”たち――2人を
どくん、どくんと心臓が叫ぶ。
身体の中心から送り出されるのは血ではなく、もっと熱い力。
「……やめ……て……」
「姫様?」
こちらの異変に気付いて振り返った護衛の顔が凍りつく。
その表情に、フィールーンの身体はますます溶けるように熱を増した。
「やめてええええっ!!」
自分とは思えない絶叫が、いつもは塞がりがちな喉を突き破って夜空へと放たれる。
“フィル……。あなた、は……”
何もかもが白金色に灼熱していく中、フィールーンの耳を悲しくも優しい声が掠める。王女は身体をくの字に折り、水を跳ね上げて座り込んだ。
「あ、あぁっ……!」
風もないのに侍女服がふわりと持ち上がり、同時に可視できそうなほどの魔力が放出される。
「!」
腕に違和感を感じて目を落とすと、どこからともなく硬質な乳白色の鱗が這い出してくるところだった。
「い、いや……!」
顔を覆った掌、そして指先が触れた頬にも同じ鱗。まるで巨大な蛇が全身に巻き付いたかのような悪寒が走る。次いで派手に布が裂ける音が耳を打ち、王女は仰け反った。
「く、あッ――!?」
叫びと共に夜空へ広がったのは、純白の巨大な翼。スカートの下からは尻尾が伸び、独りでに動いては水面をばしゃりと叩いている。
ここまで肉体を変化させる間にも湯水のように魔力を使ったというのに、身体の奥から溢れてくる力には底がなかった。
「だ、めっ……! ここじゃ、駄目ッ!」
破裂しそうなほどの魔力の熱にフィールーンは肩を上下させつつ、それらを放出してしまいたい衝動に歯を食いしばって耐える。いつの間にか伸びていた牙が唇を切った。
「そんな、竜人化が始まったの!?」
「姫様ッ! そ、そのお姿は――!?」
警戒態勢へと移行していく側付と少女を目にし、ますますフィールーンは焦りを募らせる。
「何よ、いつもと違うの!?」
「あ、ああ……! 今まではせいぜい髪や目の色が変わったり、少し鱗が出るだけだった。あのような翼や、ツノなどは一度も」
驚愕に見開かれたリクスンの視線を辿り、フィールーンは震える手を頭へと遣った。
「……!」
硬く尖ったツノが、片方の耳上あたりから突き出ている。視界の端に写った髪束には、鱗と同じ白が混じっていた。最後に王女は、波紋まみれの水面に目を落として呟いた。
「ああ……」
白と黒が入り混じった異形姿の女を見下ろし、今は“姫君”とは形容しがたいその顔を歪める。
「化け物だ……あたしは」
(※この世界では竜を動物とは見なしていないので、「ひとり、ふたり」といった数え方をします)
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