1−10 嵌めたな、この野郎


 王女が話し終えたことを確認し、セイルは腕を組み直して口を開いた。


「テオから聞いて、大体は知っている」

「で、です……よね。すみません、長々と」

「貴様、姫様がどんなお思いで告げたと――!」

「オレが王女を疑ったほうが良かったのか?」


 セイルが投げた疑問に、リクスンは金の眉をぐっと曲げる。彼が水草を踏んで退がったのを見、王女に向き直ったセイルは続けた。


「お前が“竜人”になった経緯とは違うが……オレも、同じ力を扱える」

「ではやはり、先ほどの不躾ぶしつけな竜人は貴様なのか? まったくの別人に見えたが」


 護衛の挟んだ疑問に、王女も同意を示す。木こりは自分へと集まった視線を避け、平坦な声で答えた。


「少し事情があって、竜人に“って”いる時は外見や性格が変わるらしい」

「らしい、とは――まさか覚えていないのか?」

「ああ。あちらの間の記憶は曖昧だ。昔よりは、覚えておけるようになったが」


 今度はセイルが首をかしげ、問いを投げた。


「お前は変身後、そのままなのか?」

「えっ」


 セイルの問いに、王女はわずかに青ざめる。しかししばらく迷った末、蚊の鳴くような声で答えた。


「わ、私も……覚えは、あります。別人になったような感覚や、記憶の混乱、ですよね」

「しかし姫様の場合、貴様ほど容姿の変化はないぞ。その……すこし、勇ましい気性にはなるが」

「そそ、それが困るんですっ……!」

「お気を落とさないで下さい。こやつのような軽薄な性格になるより、ずっとマシです!」

「それって励ましてるんじゃないわよね、騎士さん?」


 そんなやり取りをする一同を眺め、セイルは自分にしか聞こえないため息を落とした。


「……テオ。“あちら”のオレは、また何か派手なことをやっていたのか?」

(まあ、隠密行動だったとは言い難いねえ)


 応じたのは、幼い頃から聞き慣れた苦笑。するとセイルが口にした名を耳ざとく聞きつけたらしい王女が、慌てて身を乗り出した。


「テオさま――そこにいらっしゃるんですかっ!? ごっ、ご無沙汰しております、フィールーンです!」

(やあ、久しぶりだねフィル。まったく見違えたよ)

「……」


 困った顔で立ち尽くす王女を見ていたセイルの腕を、隣の妹がグイと小突く。


「ちょっと、お兄ちゃん。テオさんが返事したなら、伝えてあげないと」

「ああ、そうか。――あいつは挨拶を返した。お前が誰なのか分からなかったと言っている」

「えっ……。そ、そうですか……」


 悲しそうな声と共に小さくなっていくフィールーン。木こりの心中に焦ったような声が響いた。


(セイル!? 違う意味で伝わってるじゃないか。取り次ぎは正確に頼むよ)

「……。その役は、今からずっとオレがやるのか」

(面倒くさがらない。仕方ないじゃないか、君にしか聞こえないんだから。ほら、もう一度ちゃんと伝えておくれ。“会いたかったよ、可愛いフィル姫”と)


 己に宿る賢者に全幅の信頼を寄せているセイルは、素直にうなずいて伝える。


「会いたかった。可愛いフィル姫」

「は――えぇっ!?」

れ者が! やはり姫様に近づくための口実か!?」


 真っ赤になって狼狽する王女と、彼女を守ろうと手を広げる護衛。事情を察したらしい妹だけが、吹き出しそうな表情を浮かべている。


 しばらくしてセイルは、誰に向けるでもなく目元を厳しくして呻いた。


「おい、賢者。どうなってる」

(ふふっ!)

「……嵌めたな、この野郎」

(ごめんごめん。まあ、そのうち塩梅は掴めてくるさ。それよりも今は、話を進めよう)


 様々な視線に晒され続けているセイルは友に言い返したくなったが、ぐっとこらえて新しい面々を見据えた。


「賢者は話を進めろと言っている」

「ふん、願ってもない。いつまでもこんな場所に姫様を立たせてはおけんのでな」


 背筋を伸ばしたリクスンが、護衛らしくきびきびと応対する。


「おい、賊。主君にならい、俺も貴様の話を信じることにする。しかしだ」


 琥珀色の瞳に迷いのない光を浮かべ、赤き騎士はセイルを睨んだ。


「貴様の中に竜の賢者様が宿っていようが、今夜の誘拐行為は蛮行だ。理由によっては、もう背の斧を握る機会もなく牢で暮らしてもらうことになるだろう」

「り、リン――」

「ご勘弁を、姫様。護衛おれの仕事です」


 側付のまっすぐな言葉に、フィールーンは濡れた頭を垂れさせる。護衛とその対象というよりも、まるで兄妹のようだ。セイルはそんなことを思ったが、口下手な青年はその思いをひとり胸にしまっておいた。


「貴様は城壁塔で、姫様の身体を“どうにかする”ための旅だと言っていたな。覚えているか?」

「――いや。誰かが、蛙のようにオレの防御壁まで飛んできたことは覚えているが」

「余計なことしか記憶できんのか!? ……ま、まあいい」


 近衛騎士の手が静かに、腰に吊った剣へと伸びる。


「とにかく、まずこちらが訊きたいのは貴様の目的だ」


 彼の足元に広がる水面には、波紋のひとつさえ走っていない。毛ほども乱れぬ集中、そのすべてがセイルへと叩きつけられていた。


「主君の前で民を斬りたくはないが、平和を脅かす輩には容赦せん。迅速、かつ正確に答えろ」


 かちゃ、とかすかな音を立て、騎士の指が剣の柄に添えられる。セイルは背にある斧の重みを意識したが、構えることもなく答えた。


「オレの目的は、そこの王女の“竜人化”を解くこと――」

「!」


 跳ね上がった王女の顔に浮かんだ表情は、騎士の腕に隠れて見えない。


 しかし彼女がどんな顔をしていようが、己が進むべき道が変化するわけではないことをセイルは承知していた。



「そして、ヒトと竜の未来を守ることだ」


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