1−9 彼女の魂がそうさせるんだね
「亡く、なった……? テオギスさまが」
「ああ。7年前だ」
「!」
セイルの告げた年数に、王女はハッと晴天の瞳を大きくする。何かに思い当たったようだが、それを尋ねるよりも早く苛立った声が割り込んできた。
「貴様、先ほどから
「本当だ。ここにいる」
皮製の胸当てに指を置き、騎士リクスンを見遣る。しかしそれは、彼の短い金髪の下に走る青筋を増やすだけの結果となった。
「……なるほど。故人の遺志が、今もその胸に宿っているという例えか。木こりというのは案外、詩的なのだな」
「あら、木こりはみんな粗野でいつも木クズまみれだと思ってた? 残念、あたしたちみたいな小綺麗で気の利く一家もいるのよ」
痛烈な物言いで応戦したのは、もちろんセイルではない。緑髪の尻尾を威厳高く揺らした妹エルシーが、薄い胸を張ってずいと一歩進み出る。
「そんなに噛みついてばっかりじゃ、話が進まないでしょ。騎士ならもっと優雅に対応したらどうなの?」
誰よりも幼いはずの彼女の気迫は、年上の者たちにも負けていない。長身の騎士を堂々と見据えている。その剣幕に目を瞬かせた騎士だったが、すぐに顔に厳しさを貼り直して言った。
「優雅に、だと」
「そうよ。まずは遠方からの客を
「君こそ、騎士に対してどんな印象を持っているのだ!?」
問いを返された妹は、セイルと同じ明るい茶色の瞳を年相応に煌めかせた。
「そりゃあもちろん、“素敵”の一言よ!」
「す……素敵?」
「そ! 颯爽と馬を駆り、燃えるような心を持っていて、困っている人を決して見捨てない――それから、ため息が出るような美形でなくっちゃね」
「どうも最後に、個人の願望が入っている気がするのだが」
リクスンの指摘にはセイルも心中で同意したが、途端に妹は厳格な顔になる。
「少なくとも、あたしが憧れている騎士さまはみんなそうなの。よって、アナタは不合格! 別に
「理解に苦しむな。まあそういった騎士も、いると言えばいるが……」
逞しい腕を組んで難解な表情を浮かべる騎士のとなりで、落ち着かない様子の王女が小さく手を挙げる。
「あの……。さ、先に進めても?」
「あ、ごめんごめん。どうぞ、王女様」
小さく会釈をしてみせたエルシーに律儀にうなずき、王女はセイルを見上げる。
「セイル、さん。テオギスさまは、い、今も言葉の通り……貴方の“中”に、いらっしゃるのですね?」
「姫様!」
護衛が漏らした驚きを一瞥するも、フィールーンは小さく首を振る。セイルは服に絡んだ水草を取り除きつつ応じた。
「ああ」
「そのことについて、疑ってはおりません……。私も――」
侍女服の胸に手を添え、王女は言葉を切る。少しのためらいが覗くが、やがて震える声で告げた。
「私も、あなたと同じ……“竜人”、ですから」
それは夜風に拐われそうな、小さな声による告白だった。決意を固めるように一度深く息を吸い込み、王女はセイルを見る。先ほどは真昼を思わせたその青い瞳に、今は哀しみの陰が降りていた。
「8年前……9歳の時、でした。このゴブリュード城の一室で、ひとつの命がう、奪われる事件が、起こりました」
「――犠牲者は、国の平和と歴史探究に貢献した“竜の賢者”夫妻。その奥方である竜、ルナニーナ・ヴァンロードね」
王女の蒼白な顔を見ていられなかったのか、エルシーが滑らかに言葉を継いだ。
「ほとんどの民は知らないか、知っていても口には出さない事件。ヒトと竜が築いた平和の象徴であるゴブリュード王国……この国を、揺らがせないためにね」
「待て。隠蔽したなどと気安く批判はするな。あの事件については、まだ調査中なのだ」
革手袋に包まれた掌を広げ、近衛騎士が割り込む。しかし彼の腰に吊ってある剣の存在を見ても、妹は怯むことなく続けた。
「もちろんそうは言ってないわ。けれど、今も“真実は闇の中”なんでしょう?」
「う……!」
「分かるはずもないわ。外から大規模な襲撃があったわけでもなく、兵士たちが謀反を起こした様子でもない。現場に残されていたのは、優れた魔法の使い手であった奥方の遺体と――」
「彼女の血溜まりの中で、倒れていた……お、幼い王女だけ」
震える手を握り、フィールーンが話を引き取る。エルシーは少し意外そうに目を丸くしたが、小さくうなずくと退いた。
「目を覚ました彼女は、事件のことを……な、何も覚えていませんでした。けれど」
「――“竜人”になった」
「は、はい」
セイルの言葉に、王女は深くうなだれた。叱られた子供のように萎縮した彼女を見るに、竜人に変化することを恥じているらしい。
「数時間おきに、少女の肌にはし、白い鱗が浮かび上がり、髪も同じ色へと変わりました。そして我を失って、あ、暴れだすんです」
「姫様、それ以上は――!」
「良いんです、リン。この方達は、私の話を……し、信じてくれています」
背の高い側付を見上げ、王女は真剣な眼差しを浮かべている。セイルは黙って続きを待った。
「子供とは思えない怪力に、て、手当たり次第に放たれる、強力な魔法……。見かねた城のエルフたちは、ふ、複雑な防護魔術を施した“牢”を作りました」
なんとも言えない表情を浮かべたエルシーに気づいたのか、フィールーンは慌てて言い足す。
「ろ、牢と言っても、私には適した場所だったんです! 古い書物を保管していた塔で、た、退屈しませんでしたし……」
「あなたの“モグラ姫”ってあだ名。その暮らしぶりからついたって教えてもらったわ」
湿った黒髪を撫で、王女は小さくなりつつ肯定する。
「ほ、本に埋もれるようにして毎日、過ごしていたので……。お、お恥ずかしいです」
「でもお陰で、とても博学だとも耳にしました」
「そそ、そんな……! エルフたちに比べれば、わ、私なんて“キャソマップの馬蹄”みたいなものですっ! それか“イードンバンの鼻提灯”と言っても」
「あ……そ、そうなのね」
どうやら謙遜したらしいというのは分かるが、場の誰もが困った視線を交わし合った。セイルの心中にいる賢者だけが唯一「それは言い過ぎじゃないかなあ」などとぼやいている。
「あら? でも本なんて、竜人の前じゃ」
「その、不思議なことに……し、書物に対しては一切、攻撃しなかったのだそうです。きっと――」
言いかけるも、王女は唇を結んでうつむく。辺りには静寂が降りたが、セイルの胸にだけ推測が響いた。
(……きっと、彼女の魂がそうさせるんだね)
「そうなのか」
いつもは清流のように涼しげな声が、この時ばかりはわずかに濁っていた。
(僕よりもずっと、書物を愛していたから。彼女――ルナニーナは)
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