1−7 それじゃ、ちょっと乱暴になるけど


 並んで立てば、フィールーンよりも小さいはずの少女であった。


 艶やかな髪は、初夏の葉を編んだかのような鮮やかな緑。高い位置で結ばれたその髪は、賢そうな笑顔の後ろで夜風に遊ばれていた。形の良い瞳は――どこか見覚えのある――明るい茶色をしている。


「寒いでしょう、王女様。ちょっと待ってて下さいね、終わったらすぐに乾かしますから」

「えっ……? あ、あの」


 こちらの戸惑いなど気にせず、少女はしなやかな細腕を湖へとかざした。細い吐息を落として集中し、静かに言葉を紡ぐ。


『親愛なる水の精たち。力を貸して』

「あ――!」


 フィールーンが驚くと同時に、少女の軽そうな上着がひるがえる。彼女の足元へと打ち寄せたさざ波は、多量の魔力を含んで輝いていた。


「こ、これは……!」


 水滴に顔を打たれながらも、フィールーンは美しくさえ感じるその光景に見入った。青い光の粒が、やわらかく明滅しながら辺りを舞っている。


「も、もしかして彼らは……“精霊”!?」

「ああ、よそ者を警戒してるのね。当然だわ」


 なびく緑髪をもう一方の手で押さえ、少女が独りごちる。背負った長弓と矢筒に隙間なく精霊がまとわりつく姿は、まるで輝く羽が生えたかのようだった。


「それじゃ、ちょっと乱暴になるけど」


 幻想的なその光景に反し、少女はにっこり笑んで言い放った。


『弾けなさいッ!』

「きゃああ!?」


 突如目の前に噴き上がった巨大な水柱を目にし、王女の心臓は蛙よりも高く跳ねた。

 やがて容赦なくこちらにも小波が押し寄せ、再び侍女服が冷水にまみれる。後ろに流されまいと、フィールーンは両手で水草にしがみついた。


「あ、あれは!」


 目を白黒させながらも、王女は夜空へ打ち上げられた人影を見つけて叫ぶ。


「り、リンっ――と、侵入者さん!」


 木の葉のように舞うふたつの人影は、間違いなく自分が無事を願った者たちのものだった。


「あ、出てきた出てきた。こっちこっちー!」


 隣でぶんぶんと元気よく手を振る少女――水流は、不思議と彼女の足元を避けているようだった――は、年相応に声を弾ませている。


「……って、あんなごつい男たち、あたし達じゃ受け止められないわよね」

「えええ!?」


 見事な放物線を描いてこちらへ飛んでくる青年たちと少女を交互に見、王女は慌てた。しかし乱入者も考え無しではなかったらしく、彼女は次に浅瀬へと手を向けて命じる。


『風の精たち。優しき抱擁をここに』


 声に導かれるようにして水上に淡い緑色の風が渦巻く。しかし王女の目にも、どうにもそれらは弱々しく見えた。


 風たちのび主は小さくため息をつき、肩をすくめて言い足す。


「“男はイヤ”って? ちょっとぐらい我慢しなさいよ! あとで祈ってあげるから」


 その一言は不可視の存在のやる気を掻き立てたらしく、今度は目に見えて風が集まりはじめる。


「きゃっ――!」


 蹴散らされた水しぶきが顔を叩いたが、フィールーンは眼前の奇跡を見逃すまいとまぶたをこじ開けた。その刹那、突っ込むようにして待ち人たちが風の網へと落ちてくる。


「ぐあっ!」


 しかし抱擁とは名ばかりなのか、早々に仕事を終えたいらしい風の精はすぐさま男たちを手近なぬかるみへと投げ捨てた。


「リクスンっ!!」


 哀れな悲鳴をあげて転がった騎士の元へ走り出そうとしたフィールーンだが、より近場に倒れているもうひとりの人物に目を奪われる。


「あ、あなたは……やっぱり、あの木こりさん」


 今は翼や鱗のひとつも持たない、やはりごく平凡な印象を受ける青年。しかし彼の服装と、その背にしっかりと据えられた一丁の大斧には見覚えがある。


「えっ!? そ、それは!」


 そして新たにフィールーンの目を惹いたのは、彼の左手首で鈍い輝きを放つ金の腕輪だった。


 震える唇がその持ち主の名を呟くと同時に、自身の冷えきった手が右手首へと添えられる。


「……テオ、さま?」

 

 白い指先が触れたのは、月明かりを柔らかく返す――褪せたの腕輪であった。





 こずえの間に響く、悲痛な幼い声。


「いくな……いかないでくれ、テオ! ともだちだって、言っただろ」


 まだあどけない声が表すものは、迫りくる絶望への嘆き。


 土埃とすすにまみれた茶色の髪を持つ、全身傷だらけの少年。しかし彼の大きな瞳は、一心に腕の中の存在へと向けられていた。


「泣かないで、おくれ……。セイル……」


 大粒の涙を受け止めたのは、艶やかな鱗――その持ち主は、立派な竜である。


 森の中でも開けたこの場所でなければ、横たわることもできないであろう巨体。痛々しく折れ曲がった翼や尻尾は力なく投げ出されていたが、長い首は静かに少年の膝に寄り添っていた。


「竜は……つよいんだろ? それにおまえは、なんでも知ってる“けんじゃ”なんだろっ……!?」


 竜の鱗は、少年の頭上に広がる群青色の空と同じ色をしている。その硬い鱗を流れ落ちるのは少年の涙、そして数多あまたの傷から溢れる鮮血だった。


 少年は身を裂くような声で叫ぶ。


「じゃあ、じぶんを助けろよっ!」

「なんにでも……終わりは、ある……ものさ……」

「おわるなんて言うな!」

「いいや……。本当の、終わりじゃ……ない」

「!」


 顔を跳ね上げた少年は、竜の瞳を見つめた。

 そこには彼が初めて目にする強い輝きがある。


「セイル……頼みが、あるんだ……。聞いてくれる、かい?」

「なんでもする!」

「君に、僕を……預かってほしい」


 目を丸くする少年に、竜は弱々しく微笑んだ。



「君は……友と、世界のために……“ヒト”を、辞められるかい?」


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