1−4 観念しろ、竜人
書物の畑にもぐって暮らす、まっくろ頭の“モグラ姫”。
「……っ」
そのあだ名を好いてはいないのだろう、王女はびくりと飛び上がる。肩までの黒髪を隠すように手をかざした少女を見、竜人――セイルは首を傾げた。
「綺麗な髪じゃねえか」
「で、でも……」
「ああ、黒が嫌いか? ほら見ろ、お揃いだぞ」
「!」
自分の鎖骨に流れ落ちた長髪を目で示してみせると、王女は空色の瞳を丸くする。
「は、はい……」
「見ろ、あの翼や尾を! ヒトではないぞ」
「しかし竜でもない。細すぎる」
挨拶を交わしている間に、崩れた踊り場に集まった兵士たちが次々と驚愕の声を上げはじめる。
「おい待てよ。竜のような翼に尻尾、鱗つきの身体……あいつはもしや、“竜人”では?」
「り――竜人!? それって、世界創世の話だろ。ただの伝説じゃなかったのか」
「ヒトと竜の血が混ざった、忌むべき一族……!」
「ええい、怯んでいる場合かッ!」
部下たちに革ベルトを掴まれ引き戻されながらも、彼らの先頭でリクスンが吠える。
「賊め、やはり城内で捕らえておくべきだった!」
「リクスン様、戻ってください! 落ちる、落ちるぅ!」
「ん?」
ふと気配を感じたセイルは、どよめく騎士たちの頭上――いまだ屋上に居残る者の存在に気づく。切り取られた城壁塔の端に臆することなく立っているのは、星屑のような銀髪を持つ騎士であった。
「はっはっは! まったく我が
「はぁ……」
完全に状況を面白がっている指揮官にため息を落としたのは、いつの間にか影のように脇に控えていた痩身の人物だ。
「カイザス隊長……。貴方に似たのでしょう」
軽そうな黒装束に身を包んだ人物は、鋭い目だけで隣の美丈夫を見据えた。布越しのせいか男とも女とも判じづらい、くぐもった声をしている。
「うん? そうかな。まあこうなれば仕方がない。捕らえるぞ、クリュウ」
「は」
カイザスと呼ばれた男が放った指令に、黒装束が夜風よりも疾く飛び出す。瓦礫の塊に足をかけひらりと飛び上がると同時に、クリュウは音もなくセイルめがけて鈍色の煌めきを放った。
「きゃっ――!」
「おっと!」
手で顔を覆った王女を片手で抱えたまま、セイルはもう片方の手を挨拶するように軽くかざす。
「そっちこそ無粋じゃねえか。危ねぇモン投げんな」
一瞬にして不可視の防壁が展開される。弾かれた飛び道具はひらひらと蝶のように舞い、暗い湖へと落ちていった。
もっとも近くでその事態を目撃したリクスンが叫ぶ。
「なっ! 詠唱もせずに防壁を……ではあれは、魔法!?」
「そういうこった。次はコレをぶつけて、歴史ある城をもっと洒落た形に作り直してやってもいいぜ?」
「くっ、下郎が!」
怒り心頭の騎士を尻目に、セイルは腕の中で硬直している王女へ爽やかな笑みを向けた。
「悪ィんだがな、姫さんよ。旅行鞄にドレスや靴なんかを詰め込んでる暇はねぇんだ。そろそろ楽しい旅に出発しようじゃねえか?」
「え、ええっ……!? ど、どういう」
「何だよ、その身体――治したくねえのか?」
「!」
セイルの言葉に、王女が息を止める。
「お前さんは、もうひとりじゃねえ。来るのが遅くなっちまって、悪かったな」
「あ、あなたは、一体……?」
「言っただろ。俺は、どこにでもいる木こりさ。まあ、ちっと“個性的”ではあるけどな」
茶化してみるも、根が真面目らしい王女はますます顔に疑問符を並べるばかりである。奇しくもセイルの誘いに答えたのは、歓迎するつもりもない人物だった。
「貴様が何者だろうが、彼女は渡さん!」
騎士リクスンの決意が
「お?」
常人よりも優れた聴覚を持つセイルの耳が拾ったのは、金属質な物が次々と床に落ちる派手な音――そして屋上からこぼれた、諦めの呟き。
「ああ、これはいかんな」
「せぇいッ!」
一瞬で鎧を外した若き騎士が、部下たちを振りほどいて宙へと跳んだのだ。
並の脚力ではないらしく、若者は飛行とも呼べそうな距離を一瞬で渡ってくる。
「観念しろ、竜人ッ!!」
「ホントに飛びかかるか、普通? 忠義心より命を大事にしろっての」
命知らずなヒトの大胆な行動に一瞬目を見開くも、竜人――セイルは迷いなく掌を開く。先ほどと同じく鋭利な爪が煌めきを帯び、再び球体の壁が形成された。
「ぐぅっ!」
「きゃ!」
鈍い衝突音に重なる、哀れな悲鳴たち。
「ひめ……さまぁッ……!」
しかし驚くべきことに、騎士は白熱するような防御壁に根性だけでしがみついていた。
「り、リン! もうやめてくださいっ!」
「賛成だ。これ以上は、本当に俺が悪役になっちまう。安心しろよ、お前の姫さまの身体をどうにかしてやるための旅なんだ」
「なん……だ、とぉっ……!!」
壁の向こうから睨めつける燃えるような眼差しに、信用の色はない。
侵入者は軽く息を吐き、唐突に魔法を解いた。
「くッ――貴様!」
「鎧を脱いだのは、水遊びのためだろ? 楽しめよ」
「リンっ!! お、お願いです、彼を助けてください!」
「慌てるなよ。落ちたって、下はこの城自慢の湖だろ」
「こ、この高さからでは、地面と変わらないですっ! 死んでしまう」
はて、とヒトよりも遥かに屈強な身体を持つ存在は首を傾げた。
たしかにこの王女は長い軟禁生活を勉学に充て、博学になったと聞き及んでいる。それとも、部下を救いたいがためについた嘘か――。
「んー……」
その迷いに答えたのはやはり、己の心中にだけ響く澄み渡った“賢者”の声だ。
(彼女の言う通りだよ、セイル。さすがにこの高さじゃ、鍛えている近衛騎士とはいえ助かりはしないだろう)
呆けたように開いた口から牙を覗かせ、セイルは虚空へと呻いた。
「何だと? 本当か、テオ」
(君の“賢者”が、計算を間違ったことがあるかい?)
「ない。じゃあ、あいつは」
(文字通り、命がけってやつだったのさ。昔から、根性のある子だったからねえ。悪いけど、拾ってきてくれるかな)
「だが……なぁ」
歯切れの悪い言葉をこぼす竜人は、ちらと黒い湖面を見下ろす。
その一瞬の隙だった。
「ッ!?」
硬い胸板を突いたその衝撃に、痛みはない。
かわりに訪れたのは、腕の中の重みと熱が消え去る感覚。
「リンっ!!」
「なっ――お、お前!」
まっすぐに前方に手を伸ばし飛び出したのは、なんと王女フィールーンだった。
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