第5話 家族

病院から外に出ると、冷たい風が吹き荒れて、いつの間にか、この世界を白く染めまいとしてふわりふわりと粉雪が降り注いでいた。私は、帰路につくため、また、タクシーを探しつつ、当たりを見回していると、あのタクシー運転手が車外で、タバコをふかしているが見えたので近づいた。


「また、会いましたね…」


「おお、これは、これは…」


「まさか、待っていてくれたとか?」


「あー、ハハ、いや…、そうだ、なんて言いたいところですが、なんだか、急に、眠気が襲ってきまして、それで、寝てしまったんです。こんなこと、会社にばれたら殺されるでしょうな、アハハ」


「乗車しても?」


「もちろんですよ、どうぞ、乗ってください」


タクシーの運転手は、ドアを開けながら、車内にはいるように促した。


私は、また、タクシーに乗り込み、また、巻き戻しをするように、そのまま帰路にむかった。帰り道の景色を見回していると、ふと、親父は、もうすぐ、いなくなるかもしれないという気持ちがまた、沸き起こった。


「運転手さん」


「はい?」


「私の親父なんですけど…、もう…、長くないかもしれません」


私は、なんとなく運転手にそんなことを呟いてしまっていた。誰かに話したかったのかもしれない。いや、話さずにはいられなかったのだろう、誰かに私にも親父がいたというありふれた思いを伝えたくてしかたがなかった。


運転手は私がいきなりこんな話題をもちだしたため、一瞬、たじろいでしまった。当たり前だ、いきなりこんなことを言われたら、だれだって戸惑ってしまうに決まっている。だが、運転手はバックミラー越しに優し気な顔をみせながら、しゃべり出した。


「でも、親より先にいかなくて、まだ、よかったじゃないですか?親より先にいってしまう人なんて、ごまんといますから、先の大戦じゃ、なおさらですよ。それでもあなたは全うできたのですから、良かったとは思いませんか?それだけでも親御さんは嬉しかったはずですよ、きっと」


「…そうですかね」


「そうですよ、そうに違いないですよ」


運転手は付け足すようにそう肯定していた。


私は、その運転手の優しい言葉が心にしみて、一筋の涙がこぼれてしまった。




「ただいま」


私は、リース付きのドアを押し開けると、アイと妻が迎えてくれた。


「おかえりなさい」


「おかえり~!」


「おおっと、いい子にしてたかな?」


「うん、ママと弟をまもってたの」


私はふっと笑った。


「えらいえらい…」


私は、アイの頭をなでながらそういった。


「もうすぐ、夕飯ができるから、さきにシャワーでも浴びてきもいいわよ」


「あぁ、ありがとう、イル、ちょっと疲れたから、ソファで寝ているよ、夕飯になったら、起こしてくれないか?」


「そう…、分かったわ」


私は、くたびれた体をひきずり、暖炉のそばにあるソファに座り、天井を見つめて、ふーっと長い息をついた。チョビは相もかわらず、寝ていた。窓越しに外を見ると、白い怪獣が叫び声をあげながら、世界を白く染めあげていた。本降りになりつつあるようだ。明日は雪かきで腰をおることになるであろう。


感傷的になってしまい、好きなジャズクラッシックなんて聞く気分には到底なれなかった。だから、さきほどの湿っぽい雰囲気を壊してくれるレコードに手ををかけて、この鬱蒼とした空間を無くそうとした。テーブルに置いてあった短編小説を手にとり、最後のページを読んだ。その最後の一節がなぜか、妙に心に残った


なるようになれ、と書かれた言葉


「ケ・セラ・セラ…」


なぜか、その言葉を見たとき、その音楽を思い浮かべてしまった。そのとうり、人生なんて、何が起こるかわからない、ままならないものなのだから、ただ、川の流れのように自然に任せるのが一番なのかもしれない。いや、それしかないのだろう


暖炉の火が弱っていた。


私は、暖炉の薪をくべて、寝ているチョビの頭を撫でた。


「…!」


チョビの頭と体は暖炉の火のおかげで微かに温かみをおびていたが、氷を触っているみたいに冷たくなっていた。


私は、冷たくなった、チョビの頭や、体を何度も撫でたが、彼は、起きることなく、ただ、


「いままで、ありがとう…」


私は、悲しみを抑えながら、チョビの耳元でそう呟いた。


奇しくも、親父がこと切れたのは、チョビが死んだ七時間後の深夜だった。まるで、チョビのあとを追うように眠るように死んでしまったらしい。

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